指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

brとp、間隙と塊、シリアルとブロック

 HTMLのタグのなかで何が好きといって、br、強制改行タグが一番好きです。pタグは苦手です。



 brタグはインライン要素に属し、シリアルに文章の中に置かれてその前後を隔てます。一方、pタグはブロックレベル要素に属し、段落の前を開始タグ<p>で、後を終了タグ</p>でもって囲むことで機能します。

 W3Cによるとbrは非推奨のタグであり、pを使うべきとのことですが、受け入れがたい話です。XHTML2.0でpタグの制約が緩和されようが、sectionタグとの連繋が検討されていようが(8.6. The p element)、的が外れているというものです。頑然、brを推します。



 文章を書くというのは、単語をシリアルに並べていくことであり、文章を読むというのは、それら単語の間に因果や逆接、主述や並列等の関係を見出していくことです。そしてそれらの関係は、文章の中に細かく錯綜し、跋扈し、一つの単語に二重三重の意味が重ねられ、あるいは文を越えて延び繋がります。

 多数多種の糸と網とでつながれていればいるほど、それをひとつのみの視点によって囲い単位化するのは、つまりブロックとして取り扱うのは、難しくなります。とはいえ文章は、そのように錯綜したしろものではあれども、たいがい、部とか章とかいったぐらい上のレベルになれば、ブロックに、かたまりにまとめ、階層構造で並べることができます。

 ここで問題は、ブロックとして取り扱うべき範疇がどのレベルから上か、べきでない範疇がどのレベルから下か、ということです。



 句読点は、ブロックを作ってはいません。句点開始タグ/終了タグとか、読点開始タグ/終了タグのようなものを定義し、それでもって一文や一節のブロックを作ってみたとして、何ら役立ちません。無駄です。

 句読点はその前後の文章にある程度間隙を置き、その間の関係をいくらか離すものです。そして、いくらか離すということは、同時に、いくらか繋いでもいるということなのです。少しやっかいな話ですが、ある程度とか、いくらかとかいった言葉は、そうしたものなのです。

 ブロックとして扱うのならば、前後の文章と十分強く切り離されていて、その箇所自体がまとまりを持ち、独立している必要があります。

 同様に、改行や一行空け・二行空けもまた、距離を離しながら、また繋いでもいるのであって、ブロックとして取り扱うべき範疇のものではありません。それらはブロックを作れるほど文章を強く切ってはいない。間隙のひとつひとつに、まだ意味が残りすぎています。前後が一行空けになっている部分、いわゆる段落があったとして、その冒頭の一行空けと、最後の一行空けとは、それぞれに違う意味を持ってしまっている。それはあるひとつの読点とその次の読点との意味付けが異なるのと同様にです。十分強く切り離されていないのです。



 ブロックとして取り扱いうる、取り扱うべきなのは、表題付き段落から上のものです。つまりhタグによる表題付けがされた段落は、ブロックレベル要素でよろしい。そっちから上は階層構造に組んでみるのもたいへんに結構。だが、そこよりも下はシリアルの縄張り、インライン要素の領域であって、ブロックが踏み込むべき場所ではありません。



 pタグはシリアルな範疇へのブロックの勇み足です。HTMLは基本的に、文章をブロックに囲うことでうまくいっているのですが、ここがやりすぎの境界線です。改行はシリアルのものです。ブロックには渡せません。

spcateg文章[文章]