指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

カプローニ先生と二郎先生の激熱師弟関係/風立ちぬ

最後の丘

「このイタリア人のおじさんと、主人公の二郎先生との師弟関係が熱いんですよ」

「カプローニさんね」

「そうそう。あれはどういう関係かというと、あのさ、最後の最後、あの丘でさ、カプローニ先生が、十年どうだった、って聞いて、二郎先生は、最後の方はぼろぼろでした、って答える。それにカプローニ先生が、『そりゃそうさ、国を滅ぼしたんだからな』と言う。この台詞がひとつのポイントになります」

「ほう」

「国を滅ぼしたんだからな、これはどういう方向性で言っているか。これは、カプローニ先生が二郎先生を褒めている。二郎先生を弟子として賞賛している台詞なわけです」

「それはどういう話」

「どういう話かというと、二郎先生もカプローニ先生も、ある巨大な集団の中でこそ活躍できる、集団戦の人なわけです。巨大な予算が、企業なり国家なりから投入されて、それによって作られた製品に、数百人数千人の若者が乗ってくれる。死亡率のがっつり高い自殺的な製品にね。それは社会全体がその若者たちに、それが立派な英雄的な行為であると十分に教化している必要がある。そうした、資本と人材教育のリソースの集中した、ごく限られた富有な条件の上でのみ仕事ができるのが、飛行機の設計者というものなわけです」

「ふむ」

「そうしたことが、カプローニ先生が二郎先生に教えたことなわけです。二人の師弟関係はそこにある」

「じゃあべつに飛行機の具体的な設計や技術を教わったわけじゃなくて、組織論で、キャリアパスの組み方を学んだと」

「そう、そう、まさにそれ、キャリアパスを学んだんです。急激に発達してる技術だと、具体的な技術の何が優れていて何が劣っているのかというのはその基準自体がどんどん変わっていってしまうから、青年になった二郎先生から見れば、カプローニ先生は具体的な技術面の師匠じゃないんですね」

「ははあ」

「それに、カプローニ先生は壮麗なものが好きなわけじゃないですか。巨大で壮麗な飛行機に何百人のお客を乗せて、大西洋を横断するんだ、っていう目標を持っている。ところが二郎先生は、軽くて細いものが好きなんですよ。薄くて、小さいものが好きなんですね」

「あー」

「なので二人の、飛行機設計の方向性はかなり違うんですよ。非常に違う。あの二人、互いの飛行機を決して心底から感動してはいないでしょう。好みが一致している師弟ではないんです。でも、あの二人は師弟だ。それはキャリアパスの組み方、というかその組み方に対する姿勢という、少し抽象的なところで師弟関係にあるから。」

「なるほどね」

「逆にですね、飛行機の好みが似てたらね、師弟じゃなかったんじゃないの、っていうところも多少ある。両方とも細くて軽いものが好きだったり、両方とも大きくて壮麗なものが好きだったら、ちょっと話が違うんじゃないの、っていうね。あれは方向性が違うからあの二人はけっこう仲がいいっていうのはあると思うんですよね。」

「はは。あるある」

「で、だから最初にカプローニ先生が、見たまえ、あれはみな戦争に行く飛行機だ、あの半分も戻って来まい、そして戦争が終わったらこれを作るんだ、と言う。それは戦争という、社会全体が、国家全体が予算と命をつぎこむ大プロジェクトに乗っかって、その中で自分の予算を得て、戦後に自分の事業につなげるんだ、という手法を教えている。こうやるんだぜ、という伝授なわけです。設計者として活躍する、この巨大な動きに乗って……つまり、風にですね。この巨大な風に乗って、飛ぶんだ。」

「風」

「それで二度目かな、引退飛行のときに、カプローニ先生がまた教えてくれていわく、こんな大きなものは戦争には向かんよ、役に立たんよと。だが連中の派手好きにつけこんだんだ。この一言で何を教えているかというと、そうした巨大な軍や会社や国というスポンサーの勢いに乗って製品を開発するときに、いかに自分の好みをスポンサーの好みに合わせて、要求に応えつつ、同時にそれを半分裏切る、というか、相手を乗せてやる。そういうのも要るよ、って言っているわけです。相手の好みに、自分の好みを合わせて、乗ってやる。でも実はそれが、相手が本当に望んでいるものに、望んでいるところに、行かなくてもいいよ、って言っているわけです。戦争にはあまり役に立たないんだが、発注元は派手なものが好きだからな。そこに乗って、乗せてやる。そういうことを教えている」

「ふむふむ」

「じゃあそれを伝授された二郎先生は、どうかというと、二郎先生は日本軍の、長距離飛んで運動性があって、という総花的な要求に乗っけることに成功したわけですね。なので零戦というのは日本を代表する、大量に作られて、それに大量の若者が乗ってという飛行機になるわけです。そして同時に、二郎先生の発注元に、『これがあれば中国にもソ連にも欧米にも勝てるかもしれない』という夢を抱かせた。そういう夢を抱かせられたからこそ、膨大な予算とパイロットを得られた。カプローニ先生は、イタリアの軍に夢を抱かせて、あの巨大な飛行機を作ったわけですが、国を傾ける規模のところまでは、あの軍用機を大量に作ってはいない。でも、二郎先生の零戦はものすごく大量に作れたわけですよ。だから、国や軍の望みをうまく乗せて、自分のプロジェクトに巨大な予算と人的リソースを引っ張り込む、っていうことは、実は二郎先生のほうが成功したわけです。それだからカプローニ先生はあそこで、二郎先生が自分を越えた、と認めている。褒めているわけです。よくやった。見事だ。そして同時に、そこまで設計者としてものすごい成功を収めたのだから、その人間が汗一つかかず颯爽とその大成功を成し遂げていいものと思うか、いいものじゃあるまい。ぼろぼろになるものだ、当然だ、と慰めて(?)いるわけです。『そりゃそうさ、国を滅ぼしたんだからな』」

「うむう?」

「そしてそこに、その零戦とそれに乗る若者たちが、横一線で飛んできて、かすめ飛び去っていく。ここで若者たちが地上に片手を挙げて、それに二郎先生とカプローニ先生がそれぞれ礼を返すんですが、ここがまた熱い。ここで二郎先生は手を挙げて答礼するが、カプローニ先生は帽子に手をかけるだけの軽い礼です。これは冒頭の初めて二人が会った夢のシーンとの対比になっている。冒頭の夢では、爆撃機に乗って飛んで行くイタリアの若者たちの礼に、カプローニ先生が片手を挙げて答礼し、二郎少年は軽く礼をするだけです。これは、支える国が違い、そしてカプローニ先生自身が作った飛行機だから、答礼すべきはカプローニ先生であって、二郎少年が答えたら礼節の筋が違うからです。それがこのラストシーンでは逆になって、零戦の若者たちには二郎先生が答礼するのであって、カプローニ先生は帽子を取らない。二郎先生が作った飛行機に乗った若者たちの挙手だからです。そのように二郎先生が筋を背負うところに到達した、という描写なわけです」

「なるほど?」

「いやあ…すごいですよ」





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