指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

すべてを賭けて燃えあがれ/ウェブでの喧嘩のしくみ

「こんにちは、先輩」

「やあ、明博君。何してるの」

「対話劇を書いています」

「ほう。どんな話」

「文章と議論と掲示板や交換日記の話です。つまり、なぜ対面での会話と違って、ウェブでのやりとりは急速に不毛な展開へ移行するのか」

「ふうん?」

「本来、建設的な議論が発生するには、その議題についてその時点で同程度の知識・思惟進度を持つ人間が二名揃う必要があり、それは非常に稀です。かつて第一日記の2001年2月1日で述べましたね」

「講義にはなるが議論にはならない、だね」

「講義中に、説明することで考えが整理され、建設的な発展をみることもあるが、そこでも聞き手がしているのは合いの手を入れることであって、対等な議論ではありません」

「今われわれが演じているこれのように」

「そうです。この会話というのは、尻軽なツールです。会話にはふたつの機能があります。まず、二人の人間の間で情報を伝達するというもの。ふたつめが、その人間関係を管制するというものです」

「んあ?」

「既に述べたように、多くの会話は、情報面でみれば講義であり、一方的な説明です。そこには説明する者と拝聴する者という優劣関係があります。説明する人間のほうが偉い。しかし、講義を受けるたびにいちいちかしこまるのは嫌ではありませんか?」

「面倒くさいね」

「その二人には、その会話をする以前からの、またその会話以後の、現実世界での人間関係があって、そこに既に一定の優劣の度合いというものがあります。その度合いは比較的安定しており、それに対して会話での優劣関係はかなり大きな振れ幅があります」

「僕が君に説明する時と、君が僕に説明する時とで上に行ったり下に行ったり。会話ごとに高低は大きく入れ替わる。ふむ」

「そこで、われわれは会話において、片方が得意とする話題だけがずっと続くことがないよう、ある程度それが続いたらそれとなく話題を転換していき、講義の権利を譲ります。暗黙にシーソーゲームを行い、情報を伝達しつつ、会話の生み出す優劣関係を調節して、現実の人間関係に適合させるのです」

「さりげなく話題を移して不自然さを生じさせない技術が、腕の見せ所だね」

「けっこう難しいものです。また、話題の譲渡のほかにもう一つ、講義を修飾するという手があります。たとえばわれわれは会話において、問題の条件を定義してそれに対する答を聞くための発話、つまり出題をしたりします。この出題の実態は質問であり、つまり説明を求めること、だから、優劣関係で弱い立場にいる側がする行為なのですが、会話においてはこれをある程度長いフレーズで喋ることで、なんらかの説明をしているような印象をつくることができます」

「印象の面で、優劣を入れ換えるわけだ」

「出題以外にも、謙譲語など、修飾の技法はいくつかありますが、そのように虚実の手段を併せて、優劣関係の高低を振動させ、足して割って合計でのトータルを現実での優劣度合いに一致させるのが、会話です」

「人間は社会性が高くて大変だな」

「会話がこのように互いの順位をリアルタイム修正していくためのツールなのに対して、文章は、一貫した言動を表現するためのツールです。ですから、会話が尻軽であるのに対して、文章は強直で不器用です。会話では、自分の主張を簡単に捨て去って別の旗の下につくことができ、そもそも旗印をあいまいにしておくことも多い。順位を修飾して隠蔽し、暴露を防ぐのが会話なのですから、特定の主張に操を立てるような硬直的な戦術を採ると、本当に負けてしまいます」

「負けのリスクをわざわざ冒すことはないわな。では、ウェブでの、掲示板でのやりとりや、日記間での対話は、どうなる?」

「そう、そこです。それらは文章でもって行われるのです。そこがポイントです」

「文章は、一貫した言動しかできない、そういうツールだ。思考を無矛盾に積み上げて、つきつめていくためのものだからな。ごまかしがかなり難しい。記録されて残り、不特定多数に閲覧されるという特性ひとつでも、ものすごくごまかしが効かなくなる」

「文章はくそまじめな奴なんですよ。ふだんはいい奴なんだけど、ある種の状況では、場を寒く(あるいは熱く)する困ったちゃんになります」

「文章にはつきつめる言葉しかなく、拡散させたり偽装したりする言葉が少ない。だから、一方を削って尖らせた杭で組んだ通路にはまりこんで捕えられる象のように、退路がない罠になっていく」

「交互に振れるシーソーではなく、一方向に進む歯車(ラチェット)になってしまうのです」

「順位、優劣、正誤、勝敗を隠蔽する機能のないそのようなツールを使って接触すれば、それはたいがい暴露されることになるだろう。しかも、文章は、書き手の思想体系の一部であり、公理体系のなかの一定理だから、たったひとつのごく小さな負けでも強烈に連鎖して全体が負けることになる……」

「公理体系が全体で負ける ?」

「人間、そうそうダブルスタンダードやトリプルスタンダードは持てないから、文章をいくつも書いていけば、それらは一つの体系を形成していくものなのよ。それらの文章の間のつながりは、数学の体系ほど固く厳密なものではないけれど、でも会話のそれにくらべればはるかに強い。数学の体系は、たった一つの定理が間違っているだけで全部おしゃかになるだろう。それと似た状況が起きる」

「ウェブサイトが公理体系で、その中のひとつひとつのページが定理で、著者の信条が公理?」

「そんな感じ。だからこうなるのかな ウェブでのやりとりは、講義者と聴講者がいて、その関係の修飾がそもそも困難であるのに、どちらか一方がミスった瞬間に、それがわずかなミスでも、全てを賭けて戦うことになる」

「そうか。やばいですね」

「やばい。無矛盾に強くつなげてた場合、公理まで遡って否定しうる。危険きわまりないな」

「安全は大切ですよ。防御、防御、防御、キャンセルx3、行動」

「何それ」

ドラクエ3でそういう裏技があったんです。防御効果が残るの。SFC版では削られた」

「削るのも寂しいが残すのもあれだしな。裏技だって、ゲーム同様、消費されるものだし。つまり、ゲームそのものよりも消費速度が速いってことか」

「なるほど? で、飯食いに行きませんか。おろしそば定」

「おろしそば定。良いよ」

「ではゴー」

spcateg文章[文章]