指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

さすがにあれは狼でしょう。いくらなんでも。/The wolves are near.

 近代の戦争はきわめて資源消費が大きく、敵集団に与える損害も莫大です。こんな戦争になったのはいつからですかね。やっぱフランス革命からですかね。もともと一部の動物の社会生態でみられる子殺し行動などは、効率の悪いESS(進化的に安定な戦略)にはまりこんでしまっている状態なのですが、その理屈を理解できる人間様が、律儀に効率の悪いことを続ける必要はない。生存競争は受験戦争なりファッションショーなり、文化的で密やかなルールに基づいて、水面下でおもうさまシビアに遺伝的かミーム的か争えばよろしい。良いESSを選べ。Choose your life. Choose your bingo club. しかし現状は、殺人技術の進歩によって、不幸量の発生は非常に効率がよくなって、安価なライフルの数十円の弾丸で数百メートル先から数ジュールの労力で、指先一つで人命一個分の不幸量を発生させることができる。ていうかそれどころじゃなくて細菌撒いたりできる。おかげでたかが順位付けのIPD(繰り返し囚人のジレンマ)ゲームのDD(両者裏切り)の値が、どんどんでかくなって核による相互焦土化までにらむようになる。

 映画館やら大学やらといった幸福なボンクラたちを養う場所に投入されている資源は、現在、軍事費に回されている資源にくらべればものすごくわずかであり、それでこれだけ幸福になれてんだから、もっと寄越せ。もっと幸福になってやるからさ。戦争が人類の技術を進歩させてきたなんて嘘っぱちだ、金額の桁が違うんだから。技術進歩の過半が戦争に応用されたのであって戦争が進歩を生んだのではない。

 近代にペイした戦争があったか? 近代戦はあまりに高価であり黒字が出せない、ということが今や、まあほぼわかった。だが採算割れの公共事業にも利益構造があってちゃんと企画が通る。同じぐらいの大きさの隣の県に空港があってわが県にはない、これは恥だ、一人前になるには作るべきだ、赤字になるリスクは将来の納税者に担ってもらってしまえ。

 しょせんつつきの順位を競っているにすぎないのに、なんだってこんなコストを払いリスクを冒さねばならないのか? だいたい、現場の職業軍人の衆らはリアルでシビアでシリアスな戦いに真面目本気で備えてるつもりなのだろうけれど、個人レベルでは戦死すりゃ未亡人と遺児の繁殖成功率も下がるし非合理的であり、国家レベルでも採算割れで非合理的なんだから、下から上まで合理的になるレベルがなく(部分ならあるのかもしれず、それは利益構造というやつだ)、つまり挙げる理由は相手が非合理的だから、愚かだから、民度が激減してテンパった国家がヒステリーを起こして殴りかかってくるから、というほかない。そして相手もその理由を挙げて備えてるわけで、そんなのは真面目でシリアスでシビアとはいえない。ある日突然、不条理で陰惨で容赦ない事象が起きる――つまり、ファンタジーだ。世界の皆さん、ちゃんと真面目にゲームやろうぜ。勝利条件を目指してください。投げるな。もういいからウォーゲームでいいよとかって別のゲーム始めるな。われわれのこれはそういうゲームじゃないんだ。ゼロサムじゃないんだ。

 民族レベルの生存競争ととらえる向きもあるが、あんたそれ真面目に生存競争したことあるのかと問いたい。少子化とか一人っ子政策とかしてる連中が生存競争を言うのは腹で茶が沸く。現代のわれわれはそういった生物学的な合目的性をぜんぜんかなえていない。ミームやらマクロ経済のカオスやら、怪しい連中とつきあって、遺伝子の言うことをうわのそらでしか聞いていないくせに、浮気やら戦争やらとなると、ママがそう言うんだもん、とスカートの陰に隠れるようでは、腰が抜けている。

 相手に押されたら頭を下げろ。下げずにぶつけた場合の費用が高過ぎるということはもうだいたいわかっている。国家の誇り、民族の誇りなどというものは、足から馬、ローマ道から鉄道へと交通手段が発達して世界が広く狭くなるにつれて、村、郡、藩、などと順次統合されより大きな単位に変更されていく、うつろいやすく頼り甲斐のないものであり、それのために自分の女房子供を質入れして、確率1/2で質流れして焼け野原で身を販がせるような連中は、女房子供をなんだと思ってるのか。不誠実だ。責任感が足りない。男は家庭をギャンブルのチップ扱いしてはいけない。いや質流れする確率は0だ、わが方が有利だから、廃墟で身をひさぐのは敵国の女子供のほうさ、とうそぶく奴は鬼畜だ。

 われらがおじいさんおばあさん達は総力戦のコストを見誤って、もっと安いとみて、頭下げるよりペイすると思ったんだろうけど、今はもうわかってるわけだから。支出欄を上方修正してそろばん弾かねば。

 戦場のヒューマンドラマとかね、貧弱だった僕が戦いの中で一人前の男にとかね、極限状態で一人の兵士が見せる人間的行為とかね、そんなのは統計的に無意味だ。なにしろあらゆる選択機会の分岐中に死が含まれているので、戦意喪失した部下に麻薬打って復帰させたり、民間人がまだ渡ってる橋を爆破したりといった類のことが比較上ベターな行為、その場にいる人間たちの総幸福量を増す、合理的で善なる行為になってしまう。もしか戦場で「良いこと」をしたとしても、それは戦術レベルでの勝利、戦術的な善であって、戦場に来ているという時点で既に戦略的に敗北している。

 人間を冬山や難破船やエレベーター等の極限状態に置いて観察される現象を人間の本性とか言う奴は愚かだ。食塩だって大量に与えればマウスを癌にできる。人間の周囲を大量の死でとりかこめば、そりゃ観ているぶんには面白い行動をとるが、それを人間の本質と呼ぶのはぬるい。エンターテインメントとしては面白いし喝采もするが、スクリーンに投影されるものの楽しさと、それが現実になることの評価との間には太い太い一線を引かなければならない。虚構の中ではいくらでも人が死ね。皆殺しは楽しい。だがその楽しさをもってその実現は肯定されない。殺される人の払うコストが高すぎて赤字だ。自衛隊の航空ショーを見に行って入場料400円を払って楽しみ、家に帰って軍事予算削減に一票入れろ。

 守るべきものを持つ人間に対する、すべてを捨てて戦う意志をもつ人間の破壊力は、ここ100年で劇的に向上した。これは一般化して、テロについても言えることだ。ここですべきなのは、そのような守るべきものを持たぬ人間を増やさないこと、現に何か持って守っている人間からはそれを奪わないこと、持っていない人間には何か与えてそれを守らせることだ。それが平等という戦略だ。

 その昔われらがご先祖様は、インディアンとかアイヌとかを、最後までラッシュして削り倒したものだ。だが破壊力の高い現在の状況設定では、最後まで勝ちきって相手の心を折ったり体を葬ったりしようというシミュレーションRPG的な、強い勝利を目指すアプローチをしても、ワンパンチ反撃されただけで自分の女房子供を削られすぎて駄目だ。

 守っていたものを失った人間は、それを壊した相手の持つものを壊そうとする。近年、そうした攻撃は防ぎがたい。そこで両者がともに失うことなり、そうして伝染していく。同様に、平和ボケも伝染させていくことができる。ここ60年のわれわれは気楽に平和ボケしていたが、もっと積極的に、触れれば痺れるほどピリピリとはりつめた平和ボケになり、周囲を平和ボケさせて、そしてそれを維持していかなくてはならない。さいわい海があって海軍が強いからチェコスロバキアみたいな無血進駐併合からの虐殺コンボは受けない。萌えアニメを輸出してまわりを骨抜きにしろ。ベッドの下のロリ同人誌を残しては死ねないという若者を増やせ。いかにものを捨てさせないか、開き直らせないかという逆チキンレースの勝負だ。

 われわれは今地球の北側にいて、稼いでいる。だから革命を防いで稼ぎつづけるべきだ。南側は革命したい。北側の上層はスイスに口座、裏庭にセスナを用意してあるから、採算割れの公共事業の企画書書いて、国家の寿命をトレードオフしてもう一稼ぎの心意気だ。だから世界を維持するのは誰だ。パソコン買えてネット見てるようなわれわれ、北の下の層、中産階級だ。

 自他の国家レベル・個人レベルヒステリー激発を防ぎ持久することで、遺伝的・文化的な混濁速度により、数百年で人々の肌は世界中どこへいっても同じのくすんだ中間色になり、街路は世界中どこへいっても変わらないきらびやかな灰色になるであろう。完全に隅々までとはいわないが、かなりそうなる。そこでは大してかからない。その世界は低コストで戦える、安価なビンゴゲームサークルとなろう。そこがわれわれの課題だ。われわれの目標地点だ。そこまでを波風立たせずに、特に大革命や原発爆破などの大イベントを誘発せずに(採算割れの公共事業の赤字を大きく見積もった場合、革命したほうがペイする。でも革命のコストも近年の例を見るとけっこう高い場合が多く、難しい。わからん。)、姿勢を低くしてやり過ごさせることができれば、その時代に生きる、われわれの、われわれとは目の色も喋る言葉も違う、曾々々々孫たちに対する責任を果たしたと言えるだろう。

spcateg政治[政治]