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鉄の十字架が育つような場所/戦争のはらわた

 実家のS宅で寄り合い。id:AYSさん、id:hiyokoyaさんらと『戦争のはらわた』Cross of Ironを見る。池袋のツタヤの中古にて入手。

 2000年1月のリバイバル上映会、レンタルビデオで2回、そして4回目の鑑賞になるが、徐々に、五臓六腑に染み渡るように、シュトランスキー大尉に萌えて来た。

 あらすじ。


 ポーランドチェコノルウェー、フランス、北アフリカギリシアと無敵のかぎりをつくしたナチスドイツにも年貢の納め時がやってきた。1942年スターリングラードで一個軍の包囲壊滅という惨憺たる敗北を喫し、カフカスを奪回され、赤軍の反攻はなお圧力を失わなかった。

 1943年ソヴィエト連邦黒海沿岸、タマン半島。後退戦のしんがりとして、赤軍の強力な攻勢をかろうじて支えている連隊本部に、フランスから大尉シュトランスキーがやってきて、第二中隊に着任する。大佐ら本部要員は既に敗北主義的空気を帯びている。しかし、大尉は楽観的である。「実は鉄十字章が目当てでして」

 主人公シュタイナーの小隊が偵察から戻ってきて、大尉の指揮下に入る。少年捕虜の取扱いについて衝突がある。数日後の払暁、シュタイナーは少年を釈放するが、少年はソ連兵に誤射されて死ぬ。中隊は赤軍の攻撃を受け、これを凌ぐも、マイヤー少尉が戦死、シュタイナーは負傷して後送される。

 シュタイナーは曹長に昇進し、復員を許されるが、それを蹴る。前線に復帰したシュタイナーにシュトランスキー大尉が鉄十字章の申請書の推薦署名を求める。先の戦闘の殊勲者をシュトランスキーとするもので、副官トリービヒ少尉の署名がすでにある。シュタイナーは自らの十字章を机上に投げて問う。「ただの鉄片だ。なぜそんなにも欲しいのです?」

 シュタイナーとトリービヒ少尉が連隊本部に呼び出される。鉄十字章の申請理由である攻撃撃退の功績は、戦死したマイヤー少尉のものであり、当時シュトランスキー大尉は中隊指令所で無意味な報告を行っていたにすぎなかった。大佐は調査結果を並べたて、偽証罪でトリービヒを難詰する。ここにシュタイナーの証言が加われば、シュトランスキーとトリービヒは軍法会議へ追い込まれる。しかしシュタイナーは証言を保留する。

 赤軍の大攻勢が始まり、連隊は撤退を開始する。シュトランスキーは退却を指示する野戦電話の通信を切り、シュタイナー小隊を孤立させてしまう。シュタイナー小隊は辛くも全滅を免れるが、赤軍戦線の後方に取り残される。小隊は赤軍の軍服を奪い、警戒線を突破する。

 シュタイナーは中隊に無線で暗号を送り、帰隊予定時刻を告げるが、それを受けたシュトランスキーはトリービヒを会合の火点に派遣する。シュタイナーを待ち受けたトリービヒは発砲を命じる。小隊は全滅する。

 シュタイナーを撃ちもらしたトリービヒは逃げようとするが、シュタイナーに射殺される。赤軍の攻撃により突破され、壊乱するドイツ軍戦線のなかで、シュタイナーはシュトランスキー大尉をとらえる。「腐りきった、プロシアの豚め」 しかしシュタイナーは大尉を撃たず、逆に短機関銃を与えて同行を命じる。激烈な市街戦のなか、シュタイナーの哄笑とともに映画は終わる。

 シュトランスキー大尉、およびトリービヒ少尉は、ドイツ占領地であるフランスから赴任してきたばかりである。フランスでは、電撃戦が成功し、政府があっというまに降伏したのち、傀儡であるヴィシー政府との間で名目的ではあっても同盟関係が結ばれていた。それに比して対ソ戦では、ドイツ首脳部は占領地住民の反ボルシェビキ感情を利用せず、たとえばウクライナその他において傀儡独立政権や義勇軍を設立しようとしなかった。というのは西欧とちがってロシアは、ナチスドイツにとって生活圏と規定されていたためで、ドイツはロシアの地に支配下の同盟政府を樹立するのではなく、それを隷属下の植民地とすべく開戦したのである。ドイツ軍は広大な占領地に対しての兵力不足から、後方の保安を満たせず、パルチザンの増加を許すが、ヒトラーはこれを評して、むしろ好都合だ、はばかりなく連中を殲滅できるというものだ、とまでうそぶいた。

 かような強気アタックをくらったスターリンは、一週間ほどは領土割譲の類の政治的手段を試したり、郊外の邸宅にひきこもったりして萌えキャラぶりをみせたが、やがて冷徹非情な特性を取り戻して統制をふるい、苛酷な抗戦を実現した。こうして、双方とも捕虜は死なせるわ利敵住民は虐殺するわ、やたらと酷薄な戦争になった。ニーチェの偽善嫌いとダーウィン進化論の民族単位への援用、および十月革命の恐怖政治の応用試験場みたいなもので、混ぜるな危険取扱い注意の一大事例といえる。

 序盤、マイヤー少尉の誕生日の祝賀の場面で、新米であるディーツが戦場からの生還に献杯して、場を冷やしてしまう。徴募されて六週間である新米のディーツには、東部戦線に長い小隊の心地がつかめていなかったのだ。一方その裏の場面では、シュトランスキーがトリービヒをフランス占領軍での思い出話に誘導して、彼の同性愛的な嗜好を告白させ、着任早々にその首根っこを押さえる。これは、彼ら二人もいわば東部戦線における新米だからで、組織内で順位/権力をあらそっていられたフランスでの世界観を身につけたままだからだ。

 その後、シュトランスキー大尉がシュタイナーに鉄十字章の申請書への署名を求めるのも、同じ世界観から行ったもので、書類を操って栄誉を得ようという文官寄りの思考である。職業軍人においても、戦間期の平和時、あるいは戦時でも後方にあっては、その職務や評価/昇進の体系は文官的なものであり、シュトランスキーや彼に屈して署名をするトリービヒは、まだその視点に立って行動しているのである。

 署名を依頼するにあたってシュトランスキーは、シュタイナーにモーゼルワインを振舞い、人間の階級について一席ぶってちょっとした論戦を交わしたすえ、二人で軽いヒトラー批判のような結論に到って、気を許してしまう。そしてシュタイナーの質問に答えて弱みを見せる。「鉄十字章無しでは、生家に戻っても、一族に顔向けできんのだ」 シュタイナーはこれを痛烈に嘲笑する。ワインをあおる口元はわずかも歪まないのだが、その表情は鮮明に大尉をあざけり、わらっている。「鉄十字章向きとは思えんな」

 このシーンの一つ前で、戦線後方の病院で療養するシュタイナーの主観的なカットがある。そこでは傷病兵のたむろする食堂が無人なのである。彼にとって、負傷して戦力からはずれ、戦線からぬけおちてしまった兵たちは、思考の内に置けず、いないも同然なのだ。強い言葉でいえば、かれらが死んでいるように見える。シュタイナーは看護婦の教諭にもかかわらず、そこを出て戦線に戻る。シュタイナーには故郷で待っている家族などおらず、むしろ彼を必要としているのは戦線の、彼の小隊の隊員たちである。これはひとつには生死をともにした小規模な集団に対する人間の責任感であり、それは数万年におよぶ狩猟採集生活の時代にはぐくまれたもので、軍隊の機能を支える末端部の構造材、小細な骨のようなものである。

 勲章を得て、それを故郷に持って帰る、という発想は、生還を祈って乾杯したディーツと通じるもので、生き残って帰る、故郷に帰る、という考えを基にした思考である。ここで得た勲章を、そこで評価してもらおうというのだ。シュトランスキーの告白に対してシュタイナーが見せた強烈な態度はそれへの反発である。

 だが、その直後、大佐が中隊隊員から証言を集め、周到にトリービヒを追い詰める動機は、常識的なものだ。「戦死者の勲功を横取りするとは…最も恥ずべき行為だぞ」 大佐とシュタイナーとの立ち位置は違うのだ。シュタイナーは窮地に陥ったトリービヒ、そしてシュトランスキーをかばう。「考えさせてください」 病院での療養から大佐の詰問までの間に、シュタイナーの鉄面皮な表情の裏に、その自覚の変化がある。

 これ以後のシーンでは、それまでシュタイナーの胸にあった勲章類が見られなくなる。

 シュタイナーは序盤から中盤にかけては、けっこう自分の勲章類を、鉄十字章を含めて、自慢に思っている(その中で最も価値が高いのは鉄十字章ではなく金色白兵戦章である:Cross of Iron の Iron Cross)。しかしシュトランスキーのある意味わかりやすい小手先の、ペンを剣に代用しての勲章獲得策を提案されて、呆気にとられてしまう。そんなふうに十字章を手に入れてどうしようというのだ? 故郷に帰って、人々に認めてもらうのだ。 <傍点>なるほど、そうだったのか。 シュタイナーは論理的にはここで、実際にはここからタイムラグを挟んでしばらくしてから、勲章の意味というものに気づく。勲章とは故郷の家族、あるいはフランス占領軍の同僚に認めてもらうためのものなのだ。言い換えると肩を並べて危険を分かち合った戦友<傍点>以外の人々にだ。ところが、シュタイナーには、療養中に気づいたように、戦友以外の人々はまるでいないかのように感じられるし、前線の自分の小隊以外に帰っていって迎えてくれる故郷もない。だから、自らを省みれば、シュタイナーにとって勲章をつけている必要などなかったのだ。彼にとって認めてほしい人々は彼の小隊員であり、彼らは勲章などつけていなくても、彼の過去の振舞いを知っていて、彼を必要としているからだ。

 このように戦場の小隊の中だけに強く限られ、そこを離れた外の社会からの評価に思いがおよばないような世界観は、健全なものとは言いがたい。もっとも、狩猟採集生活時代の人間の集団の規模としてはそのほうが自然だと考えることができるが。それに、そのような観点を身につけさせ、維持することが、歩兵組織の運営体系であり、軍事的勝利の礎でもあるのだ。

 平時ぼけしたシュトランスキーの世界観と、看護婦が非難するシュタイナーの世界観――「あなたの病気はそれよ。戦争よ」――とのいわば中間に位置するのが、大佐の世界観である。大佐も鉄十字章を胸に飾っている。彼にとっては、書類操作で受勲することは卑劣な行為であり許せないが、それはなぜかというと、フランスに戻ったシュトランスキーが十字章を見せびらかし、大手を振るうであろうからである。彼にとっては戦場以外の世界がまだ存在していて、そこに生きて帰り、そこで評価されることは、意味のあることである。言ってみれば彼は、戦場での評価と後方での評価とがちゃんと釣り合わないことが許せないのだ。彼は高級将校であり、生きて帰れる階級の人間である。

 だから、反射的にシュトランスキーの動機をあざけったのちに、シュタイナーは強い言葉でいえば反省して、あるいは思いなおして、彼をかばう。かばうというのではまだ強すぎるかもしれない。関わる意味を認めなくなる。勲章の当否は生きて帰る人々の物議であって、戦場から帰らないシュタイナーや、帰れなかったマイヤーとはいまや関係がないのだ。

 しかし、これは失敗であった。シュタイナーが証言を保留し、奴らは俺の世界とは関係が無いから、と放り出したことで、シュトランスキーとトリービヒは味方殺しに追い込まれてしまう。やや無理矢理になるが、ここは少年捕虜のプロットと比較することができる。冒頭で、シュタイナーは捕虜にしたソヴィエトの少年兵を、銃殺せよと命じるシュトランスキー大尉から守り、小隊の塹壕へ入れるが、結局はそのままには置かずに逃がしてやり、その末に彼の本来の味方であるソ連兵の銃火によって死なせてしまう。同様に、シュタイナーはシュトランスキーらを自分たち呪われた兵卒のサークルから縁切りして、署名もせず証言もしない中途半端な状態に宙吊りにしたために、いや、そもそも最初から彼らを小隊から黙殺し遮断していったために、互いを撃ち合わせるはめに陥る。

 劇末でシュタイナーがシュトランスキーを撃ち殺さないので、視聴者は不満を感じる。われわれが一般に読み聞きする物語の規範では、無能さとそれに見合わない倣岸さ、そして味方に対する裏切りは、罰せられる(たとえ悪玉の側の中にあっても裏切りは悪であり、それによって背信者はさらなる悪玉とされる)。シュタイナーとその小隊が有能であり、シュトランスキー大尉が無能不遜であるうえに彼らを裏切って銃口を向け、殺しすらするために、後者はわれわれの物語的規範のなかで圧倒的に罰せられるべき立場にある。

 だが、軍隊のなかでは、そうでもない。完璧な兵士は、なるほど味方を撃ちはしないが、それに増して、完璧な指揮官は、指揮下の兵士に味方を撃たせはしないと考えられるからだ。フレンドリーファイアや上官反抗といった軍隊的重罪が起きた時、それを行った兵士は罰せられるが、同時にその指揮官の面目もまた失墜する。上官反抗者たちが銃殺され、すべてがおさまると、かれらの指揮官はひそかに大西洋の小島に移されて、伝書鳩の管理人になる。

 この映画では、制度上の上官はたしかにシュトランスキーだが、集団のなかで認められているのはシュタイナーが上であり、鉄十字章申請をめぐる直接対決でついに後者が前者を圧倒してしまっている。シュトランスキーがシュタイナーを指揮し導く試みは挫折し、シュタイナーが優位に立つ。だから、シュトランスキーとトリービヒが犯してしまうフレンドリーファイアについて、シュタイナーにその責任をおく見方も、ある。

 そうしてシュタイナーは、ついにシュトランスキーに銃を突きつけたその時、思いかえすのだ。ロシア人だからといってあの少年を弟子にして育てなかったのは、失敗だったのではないか? この大尉だって、生まれた階級こそ違え、俺の身内として抱え込み、育てうるし、育てるべきではないのか?

 銃を持たせてみたまえ――つい直前まで敵だったからといって、撃てやしないさ。シュトランスキーは銃を与えられてもシュタイナーを撃たない。それは壕に入れられた少年兵が、目の前に放り出されたシュタイナーの拳銃を取ろうとしなかったのと同じだ。兵卒にとっては、たとえ、そして事実、自分の命を脅かす敵であったとしても、ひとたびその統率下に入れば、それが彼の指揮者である。彼らはいまや兵卒であり、死ぬならば一人の個人としてではなく、指揮官の下で、集団の中で死ぬのだ(『砂漠の標的』ISBN:4150710619)。

 こうしてシュトランスキーは、指揮官としてではなく兵卒としてではあったが、シュタイナーの集団に迎え入れられた。それはキーゼル大尉が最後の最後にはじきだされてしまうサークルでもある。シュトランスキーが嫌な意味で成長してこのサークルに入団するのとすれちがいに、キーゼルはその在籍期間を過ぎたと判断されて、大佐に卒業させられてしまう。ある集団に一人が入り、一人は出る。

 だから、劇終、シュタイナーがシュトランスキーに言う最後の言葉は、"I'll show you where the Iron Crosses grow"なのだ。how to getではなく、whereである。これは鉄十字章という物の話ではなく、そこにいる者に鉄十字章が授与されるような集団、鉄十字章の実り生じるのはそこでの働きの結果であるような、場所についての話だからだ。





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『燃える東部戦線』ISBN:4150501254

『対比列伝ヒトラースターリンISBN:4794212348※全三巻

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