指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

文章さんと★3つ

「面白いか?」の続き。



人物紹介

インタビューア……無名。

文章さん……妄想上の人格。伊藤悠が何かものを書くときにそれを脳内で添削指導する。萌えキャラ。(第二日記内検索

理屈くん……文章さんの弟で、姉から形式面でのこだわりを抜いて論旨の脈絡に特化。しかし声質が似ていて、まだ常時聞き分けられるわけではない。今回登場しない。(第二日記内検索



「文章さんはなぜそんなに★3つや10点満点といった評価法を使うのが嫌なのですか?」

「ふたつ論点があります。ひとつは、私や弟その他から成る集合体である伊藤悠を、フィルタとみなす考え方です。伊藤悠を情報を飲み込んで情報を吐き出すフィルタと考える場合、彼は自分が面白く書ける情報だけを出力すべきであって、面白く書くことが難しい情報については諦めざるをえないはずです。何もかもを通していたら、せっかく面白く書けたものも、雑事の海に埋もれてしまう危険がある。しかし点数評価というものは、そのジャンルにおいて自分が触れたすべての作品を取上げようという姿勢なわけです。ここが気に入りません。いわばそこには『自分ノイズ』とのちょっとした戦いがあるのです。彼がそれにどの程度成功しているかはともかく」

「なるほど、第一日記の1999年あたりを見ますと、今よりずっとノイズが多いですね」

「私の監督がまだまだ弱かったころで、申し訳ありません」

「では、第二の論点とはどんなものでしょう?」

「データベースと理屈との優先順位です。一般的に文章は理屈を含んだり物語を含んだりできます。そしてデータベースを含むこともでき、主にデータベースであるということもあります。文章がデータベースである状態というのは、文中に含まれる単語をざっと流し眺めて拾い読み、それらの単語を連想処理してそれで済んでしまうような場合です。Aが好きでBも良くCは素晴らしい、だがDは気に入らない、という文章は、読み手がもしAとBが好きでDが嫌いな場合、これからCを買う価値があると判断する根拠となって役立ちます。逆に読み手がAとCが嫌いでDを好きな場合、Bを避ける根拠ができます。そういうふうな役立ち方が、データベースです。しかし私は、私個人は、そういう文章にはなりたくない。ErogameScapeさんはすごいサイトであり、面白く、役立ちますが、しかしたとえばこの世の果てで恋を唄う少女YU-NOを高評価しているサイト、ユーザーが他にどんなゲームを高評価しているか探すページのような情報単位を私一人でもって構成したくはない。それは私の役割ではありません」

「しかし、逆にまったくデータベース的でない文章というのも、なかなかありませんよね」

「そうですね。データベース的な性質を含むことが嫌なのではなくて、それが主になってしまうのが恐いということです。伊藤悠全体としては私をやや偏執的と考えているようですが、バランスをとるのが彼の役割で、私は私の役割をしなければ」

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