指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

It's fun to get big dreams and to see them collapsing

 この連休中最大のイベントといえば、猿遊会という江戸川区でやったウォーゲームの3日間合宿だった。

 去年もOCSのモスクワ戦(グデーリアンズブリッツクリーク)を3v3でやるという地獄極楽であったわけだが(GB2プレイ報告)、今回のOCS卓は人数3人ということで、1944年1月5日からのキエフ以西ウクライナの戦い、フーベズポケットを赤軍2人独軍1人でゴーだ。



 史実ではこの戦いで2度、ドイツ軍の大戦力が赤軍に包囲される。まずコルスンポケット(包囲網)が作られ、その救出は失敗する。次にフーベ*1の包囲網が作られ、これは救出が成功し、戦線はルーマニアへうつっていく。

 独ソ戦後半といえば、1943年のクルスク戦で予備戦力を使い尽くしたドイツ軍は以後めろめろで本国まで退却戦をしていった、という印象もあるかと思う。うっかりした解説書だと、44年1~6月は三行ぐらいですっとばされる。実は、駒をならべてみると、1944年1月のドイツ軍は全然強力だ。独軍司令官の手元にはほぼ完全編成の15個、すぐに全軍最強のグロスドイッチュラント師団が来援して16個の装甲師団があり、これはソ連軍に対抗しうる十分に頑健な布陣である。ここから3ヶ月のはげしい戦いの結果、それらは大敗北を喫し、回復不能の損害を被って、めろめろになるのである。44年ウクライナの戦いは独軍の大きな、きわめて大きな敗北だった。赤軍はついに機動戦で勝利を収めた。

 ドイツ軍の敗因としてはヒトラー命令でドニエプル河の橋頭堡確保が強制されていることが言える。歩兵が少なくて戦線がはれないというのに(戦車師団は充実しているが歩兵が…)、初期配置でコルスン橋頭堡というでかい突出部ができてしまっている。OCS:フーベズポケットではドイツ軍はここを16ターンまで所持していないとVP的にやばく、サドンデス負けする。セットアップしたとき、コルスン突出部の左翼の防備の薄さに人々は涙するだろう。まあこのシステムは、一度敵に渡した橋頭堡を取り戻す苦労がわかってくるので、ヒトラーの気持ちもわかる。でも、そういう戦略的反撃はもはやドリームな方面なんですよ。この戦争を通じてドイツはソ連軍の総戦力を把握してないというか、「敵はボロボロだ、最後の絶望的な攻撃に出てきている」などといった極めて希望的な観測が上層部に横溢していたわけで、それは昭和二十年と同様といえよう。

 というわけで独軍がコルスンに拘束されて足を止めざるを得ないために、赤軍は短距離範囲に限定された突破・機動戦に独軍を引き込み、戦うことができる。しかしそこから先は勝負だ、卓上に答はまだ出ていない。サイコロとチャート、ユニットとマップがそれを教えてくれる。さあレッツプレイ、ゴー、ロックンロール!



 今回のプレイでは僕は赤軍北方方面の指揮をとった。「コルスン包囲の第一次攻勢を行い、ドイツ軍の戦略予備SS2個師団を北方から南方へ誘引した後、戦車軍団を隠匿下に北方へまわし、北から第二次攻勢を発起」も成功させたし、「敵の3個装甲師団を無力化し、ある方面の戦力の8割を撃滅する決定的な包囲」「敵の主要補給路を遮断し、まるまる1個軍を補給切れにして完全にゲームを終わらせる決定的な一撃」という2回の万能感も味わえた。それら2つの夢はすぐに反撃され、崩され、破れ去った。大きな夢を得て、そしてそれらが崩壊していくさまを眺めるのは素晴らしい。That's War. That's East Front. *2



 もうひとつOCSの素晴らしいところは、司令官の精神的敗北、までをもシミュレートしうるところで、フーベズポケットで言えばドイツ軍プレイヤーは赤軍の強力な攻勢に呑まれて防戦一方になると本当に押されていって負けてしまう。自分が苦しい時は相手も実は無理をしているのだ。OCSは、補給投入と犠牲を覚悟すればあっさり戦線の抜ける、攻撃側有利なゲームだ。フーベズポケットの独軍には前線ですりつぶしあいのできる歩兵戦力の余裕は無い、しかし敵布陣の後方を見ろ、優秀な赤軍歩兵師団は皆攻勢に投入されていて、その側面は三線級の師団がものすごく薄い防御線をひいているだけではないか。そのすぐ向こうに、補給幹線道路が無防備にさらされている。敵攻勢を支えている主要補給線はほんの1~2本の道路、そしてピンポイントの渡河点だ。

 こうした致命的地点を予備装甲師団で外科手術的に奪取すれば、赤軍はそれを再奪取するためにおおわらわとなり、大攻勢に油(補給ポイント)を使った挙句、後退せざるをえなくなる。殴られたら顔を引き締めて、そんなカウンターの一撃を狙うのだ。独軍がVPサドンデス条件をかかえているように、赤軍もまた、VP獲得サドンデス条件を課されている。彼らも前進していかなくてはならない。必ずやそこには隙が生じる、それを信じるんだ将軍。



 今回は3日間の合宿中、特に2日目のプレイヤーの疲労が双方激しく、へろへろになったため、ソ連軍北方戦線の隙は見逃されたが、翌3日目闘志を取り戻した独軍司令官の反撃は、第2ウクライナ方面軍指揮官の腸をしめあげた。そして10ターン裏が終了した夜9時、ソ連軍優位の盤面を片付け始めた時には、早くもプレイヤー達はまた初ターンからやりたいなあと言い合うのであった。



 次はぜひ防御側をやってみたいな。米本国の掲示板では、モスクワ前面の戦いでロシア軍の秘訣は果敢な反撃にこそある、とか盛り上がってるし…(ConSimWorld OCS 14298

 独ソ戦史の入門書だと、1941年のロシア軍の反撃はすべて撃破されてひどい損害を出し、成果を挙げなかった、という評価だけれど、ゲーマーどもによると「ドイツ軍に防御のたびに補給ポイント2Tずつを使わせていけば、油切れで攻勢を止めさせられる。そのほうが重要で、単にfall backしているほうがむしろごつく突破されてやばい。独軍補給ポイントをburn outさせろ! 血と油を交換しろ! ウラー!」とか言ってて楽しそーーー やらせろーーー





*1 ハンス・フーベ

 ドイツの撤退戦の上手い将軍。シシリアおよびイタリアの撤退戦の司令官。44年4月ダイヤモンド章受賞の帰路飛行機事故により墜死。



*2 それが戦争だ、それが東部戦線だ

 ウォーゲームは、千数百個のユニットのちまちまとしたチット切り、数時間かかる初期配置のセットアップ、そうしていわば訓練と開発・生産・装備によってぴかぴかに磨き上がり勢揃いした自慢の軍事組織が、一瞬の夢を描きながら実際には次々にデッドパイル送りになり、溶けて消えて何も残らないという、そこまでをシミュレートしてこそ深趣生ずるといえよう。(ロシア戦線に憑かれた人間の物言い) そして盤面の動き、すなわち軍事レベルの行動を統べているのは合理主義だけれど、一段引いた時の状況自体はきわめて愚かというか、あるいは混沌として、合理的制御ができず、非合理に生成されているという構図も最高だ。ここに冷笑主義を適用して、ややヒステリックな談笑のもと戦史薀蓄を披露しあいつつ進行するのが、ウォーゲームのプレイというものだ。



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