趣味無王道、恋愛無要領、何虚戯求道
オタクのうちでも天運地利人和に欠くわれわれは、恋愛をリアルだと思ってきた。恋愛をやっている人たちは、実戦をやっているんだと。手元のギャルゲーが仮想現実で、あっちのあれが現実だと。こっちが短期的逃避で、あっちは長期的実利だと。一時しのぎの偽物と正真の本物、誇張とデフォルメにあふれた修飾過多の邪道と、リアルでシンプルな実体を持つ正道とだと。
リアルで実利あるものごとにおいては、スキルに優れたハイレベルな人間は要領が良く、投資するコストに対して得るベネフィットが黒字である。リアルとスキルという言葉の定義からしてそうなる。だから、恋愛におけるスキルの高いプレイヤー、モテな人々は、なにかしらわれわれと違うなにかでもって、要領良く黒字を上げているのであろう。そのなにかというのはかなりすごい何かに思える。だって自分が実利を得ることを想定してみると、どうにもはげしくコストが要って赤字に思えるからだ。 この違いは何だ。 わからん。 生まれつきの、才能か? 見た目か? 後天的な嗜好か? なんだってんだ、ちくしょうめ!
しかし恋愛はじつはリアルではない。恋愛はゲームだ。そこではシューティングゲームや格闘ゲーム同様、ハイレベルなプレイヤーたちは莫大な時間と興味とを投入しており、赤字だ。彼らは要領よくやってはいない。ゲーム自体の面白さにとりつかれて、多大なコストをつっこんで省みないでいる。そうでなければ、芸術性に優れた、人様の御目にいれるようなプレイは出せないし、したがってわれわれがテレビで見かけるような恋愛は、彼らの中でさらに上位わずか何組かの、トップクラスのプレイを模したものだ。
恋愛はこの現実世界の物と身体で、物理レイヤーでプレイされているので、うっかりリアルなものごとだと思える。リアルで実利的なスキルというものは、上手ければ上手いほど低コストで高ベネフィットを得られる、黒字を叩き出す、羨ましいものだ。ここで推論が間違っている。物理レイヤーで行われていることであっても、恋愛は趣味であり、その技術は自己目的化している。テレビで見るようなレベルのスキルを得るには20余年かそれ以上に渡るたゆまぬ研鑚のコストが要って、そしてそのレベルのスキルは、嫁や娘や愛を手に入れる上ではオーバーパワーだし、けっこうずれている。
Why Nerds are Unpopularの邦訳オタクが人気者になれない理由
ゾゾコラム内「恋愛資本主義」へ、ようこそ
404 Blog Not Found内Give women a chance
雑に要約:「対女の子状況について、自分ルールを二次元限定と決めるのは、迷惑をかけることにびびりすぎ。多少迷惑なぐらいで良い。なぜなら人付き合いのコストとベネフィットの合計はおおまかにいって正で、そしてコストは基本的に有るから」