キャラクターポテンシャル
テレビシリーズなどの長いドラマでは、キャラクターのポテンシャルを消費するタイミングと順序が重要である。
キャラクターのポテンシャルは使い切ったらなくなるものであって、後から追加することはできない。特に人間ドラマではキャラクターの成長が最強兵器であるが、キャラクターの成長のポテンシャルにはこの消尽性のほか、90分1回の劇場サイズに収まり難いなど、扱いづらい特質が多く、厄介である。
キャラクターポテンシャルを使い切った登場人物は、画面内にいると脈絡なく裏切るなどファンタジックな挙動をしはじめがちなので、できればドラマから蹴り出したい。言い換えると、そのキャラクターの行為の動機の面白い部分が、もう整理されておさまるところにおさまってしまっているのだから、画面内に居ても、他のキャラクターから飛んできたドラマのボールを面白く打ち返すことができない。しかし、たとえば26話中の第7話など、早期の時点でキャラクターポテンシャルを使っているのはシリーズのメインキャラクターであることが多く、その場合退場させるわけにもいかなくて、難しい構図にままなる。富野由悠季先生の作劇のごとくかっこよく生死の境から蹴り出すのも悪くないが、良いかというと悪い。
もうひとつ、キャラクターの外の、定常的な大状況がはらむ矛盾のポテンシャルというのがあって、こちらは使うほうが難しい。現実的かつ社会的な状況の矛盾を解決してみせようとすると、リアリティが失なわれてファンタジーになりやすく、視聴者がどっちゃらけやすい。大状況のポテンシャルはシリーズの背景に存在させつづけて、時折ドラムビートのように表に出し、少量ずつ消費するのが安全といえる。
キャラクターポテンシャルをできるだけ使わないで過ごすという形式も、強力ではある。これはいわばドラマを使わないということだが、キャラクターの静的魅力が十分高ければ成り立つ。こうしてしまうと登場人物がどいつもこいつも、ロールを自らに任じ演じて、小集団を平衡維持しようと汲々としている絵面になる。そのため小集団内のコミュニケーションプロトコル*1構築を重視しすぎな話になるので、注意が必要である。
アニメシリーズで有利なのは、劇場化やOVA化の際にキャラクターデザインが変更できる(される)ことである。キャラクターデザインはキャラクターポテンシャルのかなりの部分を構成するため、その変更に伴って登場人物にそれまでとは違うポテンシャルを設定することができる。
*1 小集団内のコミュニケーションプロトコル
ある集団の人物間で繰り返されるやりとりの独自のパターン、お約束のこと。
応用:アクエリオン第7話放映時点感想:
いいなーロンゲ王子とYシャツの押し引き。
思ったことをすぐ口に出す内語だだ漏れ仕様が基本設計で、しかしテンション下げて幕引きに入るとこで無言の小芝居で締める。
無駄に今から心配なのはロンゲ王子(&Yシャツ)のキャラクターポテンシャルをほぼ使いきったのでは?ということ。そういうキャラは、素人考えでは、素早くヨーロッパ支部にでも蹴り出したほうが無駄にこじれないと思う、が、主要ポジションにいるキャラだからこそキャラポテンシャルがあって引き出せるのだから、それを相関図から外したらどうするよともいう。
つまりやっぱり素人考えだな。
26話やるなら、ロンゲ王子が裏切ったりするのかなああーー せっかくまじめに対野良関係レベル2、対Yシャツ関係レベル3まで進んだんだから、ここでファンタジー方向に壊さないで切り抜けてほしい、けど、どうなんだろ…
こじれそうで怖い、というのはつまり、2クール26話はやっぱ長いってことなのかな。OVA6話仕様が妥当? ウテナは全49話で、誰がゲストキャラに来ても実はウテナ・アンシー関係の別表現という繰り返しで何倍にもする、という技を使っていたが…
巨大ロボものは日常ドラマじゃないし、一年単位で下が入ってきて上が抜けていく「組織」の話でもないしなあ ※例外パトレイバー つうことは、太田が裏切ったり野明が家出したりするパトレイバーを思考実験すればいいわけだ (何がだ