大芝居から小芝居へのグラデーション/劇場版Zガンダム第一部
劇場版機動戦士Zガンダム第一部を見てきた。なんじゃ、これは。面白すぎる。小芝居の塊だ。
90分の劇場映画というものは人間ドラマをやるうえで尺が短い。押井守先生がイノセンスの公開後、「映画は本来、人間ドラマ抜きで成立する力を持ちうるはずだし、それができると思ったので今回は話の無いような話にした」ということをおっしゃっていた(高橋良輔オリジナルの肝)。つまり基本的に工夫のできるところは絵面であり、人間ドラマは努力のしようの少ないツマになりやすい、ということであろうが、しかし絵面+話ならさらに力を持つ、足し算なわけなので、押井先生は本質を大事にしすぎだと思う。まあそれは余談だ。
たぶんZ劇場版も、三部作の一部だから細かいことをやれるのだと思われる。本当に95分だったらこんな小芝居はできまい。言い換えると、長期のテレビシリーズを下敷きにしているので、描写が圧縮されていてすごく気持ちが良い。本来、映像作品というのは、人物の来歴を小説のように地の文で長々挿入できないので、わずかな描写から「本当はこんな経歴の人なんだな」「カメラには映らないけどこんな仕事をしてる人なんだな」と視聴者に想像させ、補完させることになる。ここで劇場化にともなってもう一段、「フィルムには載ってないけど、本当はテレビシリーズでは何かしらやっていた人なんだな」という補完がされるようになるのが、ひとつの強みといえよう。
見どころ
エマとジェリドの互いに馴れの出た言い合い
ブライト「あいつ、口先だけは謝って…!」
咄嗟に優勝カップをかかえて逃げ出すファ
カミーユに、両親をなくしてもがんばれという英雄譚を聞かせるエマ
個人的復讐をする気はねえよと返すカミーユ
盛り上がる二人の話のダシにされてこっそり困るクワトロ
スカートをつまむ御辞儀みたいな芝居をするレコアさん
お別れついでにクワトロをからかい釘をさすレコアさん
あと今回感動したのは
な、何してんですかあんた。意味がわからん。レコアさんすげー!
実写では、画面内の物体はほうっておいても動く。それに対して、アニメの動きにはすべてコストがかかるので、芝居を見つけやすい。わけても低予算によって制限されたテレビシリーズでは、動いているのが芝居だ。そしてそこから、物語の上での意味、人間関係への影響の少ないやつを選んでいけば、それが小芝居だ。テレビシリーズは長いので、すべての芝居に物語的意味を担わせて大芝居にすることはできず、お話としては展開をしない、いわば隙間のような場面が生じやすい*1。小芝居は、そうした少意味なつなぎのカットで、話にも人間関係にもあまり影響をしないが、しかし場面の時間をもたせるために投入される動きといえる。そうした本筋からあさってを向いた台詞、動作、仕草、所作においては、富野由悠季先生の演技付けの対コスト効果は一級で、寡聞にしてその後継を聞かない。
ブライトが来ておっさん4人が互いに挨拶をしているところで、ヘンケンが他の3人ではなしにカミーユを見ている
ファとカミーユのいちゃいちゃが終わるまで仕事の話をして待っていてあげるおっさんたち
カツの、ノーという意味の「はい!」
フラウが間合いを詰めたのを外すアムロ
アムロをみつけてなごむクワトロ
アムロに怒られて困惑する百式
*1 テレビシリーズは長い
たぶん物語というのは、52話を使い切れるものではないのだろう、物語でもってフルに埋め尽くすには、52話は長すぎる。放映終了時に52話の中から、物語の文脈に強く組み込みうる話数を選ぶとして、26話か13話ぐらいになるのではないだろうか。そして、13話ぐらいにしたそれは、ずいぶん貧弱なものになるはずだ。つまり物語というのはあまり豊かなものではない。言い換えると、物語は強力な武器だが、すべてをそれに捧げられるほどではない。すべての描写を物語に奉仕/従事させると考えると、手数が減って、52話分には足りなくなる。
参考:
池袋の舞台挨拶より
禿げ様の好きなシーン
エンドロールでフォウがクイっと足を上げる所。
女性をあのように演出できた事が嬉しいかった。
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