指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

君はシンデレラの靴は割る派?/沙耶の唄

 18禁エロゲー沙耶の唄』(ニトロプラス)をやった。こいつは素晴らしい。3000円、3時間、2選択肢、3エンディング。フルボイス演技良好。

 主人公は手術の後遺症で、まわりの人間が醜悪な肉塊の、怪物に見える。しかし一人、ヒロインである沙耶(さや)だけは人間に見える、という初期設定。

 遡ると『火の鳥復活編』が似ていて、回りの人間が土くれや枯れ菜葉に見えるのだけれど一体の事務用ロボだけが美しい女性に見える…という業の早いドール萌え話でした(Tezuka Osamu @World -火の鳥・復活編-)。さすが手塚治虫先生。この土塊や菜葉の絵面がこわくて幼心にトラウマ漫画となったものです。ちなみにオチは駆け落ちの末に心を合成して一体のロボットにしてもらうというものでした。

 しかし、今回は、土塊ではなくて怪物です。周囲の怪物どうしは何の不都合もなくやりとりをしているので、もしそっち側に復帰したときのことを考えると、ヒロインはいったいどういう見た目をしているのか…という緊張をはらんだ初期設定になるわけです。こわっ! かわいい! こわっ! あんたは怖いのか可愛いのか。キモカワイイというやつ。

 言い換えると魔法少女ものみたいなもんで、ヒロインの正体を主人公キャラクターが認識したらどうなっちゃうんだ?この暖かく居心地の良いコミュニティが崩壊しちまうぞ?という心配とともに常に進む。

 火の鳥だと素の事務ロボもそれなりに可愛いし、土塊も菜葉も無害なので、そういう落差予想による緊張感は無い。ここが進歩しています(?)

 それでヒロインがまた(想定される真の)見た目にたがわぬ肉食性でして、さらに当然まあ人肉(゚∀゚)ウマーなうえに主人公も普通の食べ物が不味くてしようがないときます。よし、いいぞ。

 このへんは遡るとSF小説『地球最後の男』や、あるいはそれを漫画で描いた藤子不二雄先生の『流血鬼』などがある。主人公たちは蔓延していく吸血鬼にさまざまな工夫と重武装とで戦うが、善戦及ばず、ついに世界中が吸血鬼化してしまう。ニンニクと十字架で要塞化した主人公の家に吸血鬼が一人訪ねてきて言う、「ねえもうこっちはこっちで社会化しているんで、昼ごとに寝ている人々を殺して回るのはやめてもらえませんか」。なごむオチといえます。異端と正準は数によって入れ替わるという話。

 それともうひとつ。『月姫』という古典的同人伝奇エロゲーがありまして、これに弓塚さつきという脇役キャラクターがいる。さっちゃんは特にフラグのない一般人だったのですが、主人公の生家にまつわる伝奇展開に巻き込まれて吸血鬼になってしまいます。そんで街の人を3〜4人殺して食ったところで我に返りまして、どうするよこれと自問した末に、治らない病ならば開き直って人食いとして生きるしかねえ、行くしかねえと腹を決める。で、主人公を呼びに来て、主人公くん、血を吸わせて。一緒に来て。一緒に行こう? と頼むわけですよ。

 ところがですね。さっちゃんルートというのは無いわけなんですよ。つまりどう選択肢を選んでも主人公はさっちゃんを17分割に斬り殺してしまうんですよ*1。それはまあそうかもしれないけれど…でも主人公の妹、これも実は殺人歴有りの秋葉たんルートはあるわけですよ。いやこれが一番かわいいとは思いますけれども。でもやはり3〜4人ばかり軽々と殺害済みの秋葉たんがルートありというか本命で、さっちゃんはアウトなのの差はなんなんだよと。陥った状況にへこんでから、前向きに適応しようとするさっちゃんの未来を、断たないルートが、ほんの5ページぐらいだけでも、何故無いかと。

 その意味では、沙耶の唄は、ありうべきさっちゃんルートをニトロプラスが描ききってくれたとも言えましょう。さっちゃんと二人、闇に生きる旅。ある状況に陥ってひとしきり嘆いてから、それはそれとして歩き始めるという話。いいぞ、大変結構。これがやりたかった。

 そういう陥った状況の話といえばグレッグ・イーガン先生のSF小説万物理論』というのもあります。自閉症を起こす脳神経系の損傷が同定されていて、あえて自閉症のまま生きることを選ぶ自発的自閉症者協会が曰く、われわれを不健康に生きようとする異常者とか言うな。これは選択であって、卑下したり迫害されるつもりはない、と。

 あとレイ・ブラッドベリ先生の『明日の子供』というのがあって、これは生まれた子供が変な立体にしか見えない、物理的接触はできるけれど。で学者が見て、これは異次元に本体がいる、向こうからこっちには来させられない。でも、こっちから向こうってのはできるよ。両親は子供と同じ次元に生きることを決行。オチは、部屋の中に小さな立体1つと大きな立体2つが見える、という情景で終わり。

 さらにきつい話としては、両親が聾唖で、子供は健常に産むことができるんだけど、そのオプションを選ばないって話。ブラッドベリとは親子の順序が逆で、かなりきつい2択になり、ちょっと手が出ない。たぶん、非聾唖者のほうが幸せなので、それは親のエゴであり良くない、の、だろう、が、しかしそうだろうか。怪しい。聾唖者コミュニティというものがあってそれなりの社会を提供しているわけだし、そもそも子供は親のエゴなしには生まれてこないという噂もある……きつい。むずい。



 沙耶の唄では、主人公がやたら攻撃的な反応をして、親友も個人的恩讐で応えてきて、クトゥルフガジェットをまぶしつつ*2世界を生化学的・生態学的に全置換するグレッグ・ベアオチに持ち込んでいますが、まあ実際この初期設定、シリアスに考えれば適応できるからなあ。大技を使って世界を全とっかえしなくとも、肉塊と働いて、まずい飯を食べながら、庭を掃除して除臭剤を置いて玄関口から奥をサイケに塗って、暖かい家庭が築ける。つまり物語的必然で広がる初期設定ではない。物語でだけ考えれば、ブラッドベリのおとし方が自然で綺麗に済む。しかしエロゲーはそれではおさまらないので、エロゲー的エンターテインメントたるべく、派手な感情起伏をつけておとすために、攻撃的挙動とか武装女医とかが投入されなきゃいけないわけだ。





*1 さっちゃんルートは無い

 この段落は誤り(コメント欄で御指摘いただきました)。秋葉ルート反転衝動III「2、そんな危険な真似はできない」からのバッドエンド(月光洞攻略ページの一番最後)はさっちゃんを成仏させず、降伏する展開で、これがさっちゃんとのハッピーエンドルートと言えます。西奏亭の偽シナリオさっちんシナリオも参照;事実上同じ展開であることに注意。



*2 クトゥルフガジェットをまぶしつつ

 クトゥルフガジェットをフックにして訴求層を広げるのは正しいんだけれど、テーマとしてはヒロインの正体が不明であればあるほど効くので、トレードオフがある。



参考:

好き好きおにいちゃん!内俺は人間をやめるぞ!ジョジョーッ!!

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