呪いのややこしさ
昨日、無敵の愛の伝説/呪いについて触れたが、呪いは無敵の愛にかぎらずたくさんある*1。呪われるからといって伝説や観念をかたっぱしから潔癖にぜんぶ削っていくと、肉体しか残らない。われわれは複雑不可逆奇々怪々に組み上がってはいるが、肉体は生物学的/遺伝的な適応、すなわち祖先と両親に由来し、脳神経系の配線は他人から読み聞きした文化的経験/ミーム/ミーム複合体、すなわち伝説や観念に由来して、このふたつの総和がちょうどぴったり自分である。
呪いというのは、文化的経験、伝説、観念、ミーム、のなかでも特に嫌なもの、不幸を呼びやすいものをいうわけだが、ここで厄介なことに、嫌だとか不幸だとかいう評価自体がかなりの部分、文化的に身につけた観念に基いて判断される。そうやって循環しはじめると圧倒的にややこしくなるが、それを嫌って肉体に任せれば快楽主義になり、その上に考えをつきつめると麻薬をオーバードーズして即死するので、難解でも循環させながら選ぶしかない。
だから本当は呪いだ呪いじゃないということは、よほど考えた上でないと言っちゃいけない言葉ということになる。厄介なものである。
*1 呪いは無敵の愛にかぎらずたくさんある
他の例:the grandfater確かに戦隊モノは子供に勇気と正義の心を与えるもんだよ! 子供騙しだよ!!
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