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日本国憲法と締切

 現実的視点から憲法9条を守るの続き。



 現在の日本国憲法は、終戦後1946年2月から、マッカーサー元帥が大急ぎでぶん通したものであり、日本人が作ったものではない。

 このときの状況をみると、2月26日開催の極東委員会(極東委員会資料概要)に先んじて既成させようというのに、GHQ内で草案作成の命じられたのが2月3日であって、ものすごく締切が近い。原案の脱稿は実に2月10日である。しかも下命されたのは、当時中尉少尉クラスの若造面子。状況を想像するに、ちょいと小国の命運を決する文化祭前夜といったところか(解説)。ほほえましい情景である。

 極東委員会にはソ連・中国が加わっていて、それぞれ拒否権を有していた。またオーストラリアやインドあたりがどう動くかもよくわからず、日本がいかに処理されていくか、かなりの謎といえた。だものでマッカーサー元帥としては、それより一手早く日本国憲法を既成させたかったわけだ。

 極東委員会の46年2月開催は、45年末の時点で決まっていたのだから、おっさんもっと早く書き始めとけよと思わないでもない。1月29日時点でおっさんは極東諮問委員会に「憲法改正問題への検討は行っていない、この問題は自分の手を離れた」と述べているので(極東委員会の設置とGHQとの会談)、そこまではかなりのんびり構えていたことがわかる。直後2月1日、毎日新聞記事「憲法問題調査委員会試案」を読んで急激に浮き足立ったことと推察する。これは松本国務相を委員長に置く通称松本委員会のうちでも、まだリベラル寄りな甲案であったが、どうしてどうして、天皇主権以下、かなりごつい。これが通るつもりでいたのだから、40年代の司政者がたというのはさても愉快なのりの人々だったに違いない。日本案がこの甲案だったとして、極東委員会でソ連・中国の強力な干渉をまねき、またその他の参加国がその干渉を支持した可能性は高いと思う。となると天皇制廃止はもちろん、それ以上に何を言い出されたか、わかったものではあるまい。おっさんが尻を跳び上げて働きはじめるさまが目に浮かぶようである。

 こうして、極東委員会を通じたソ・中のプレッシャーの下で、おっさんとGHQとその若者たちは、憲法の中にいくつもの言い訳を置いた。その言い訳というのが、第9条、戦力と戦争の放棄であり、また貴族制の廃止であり、第3条国民の権利と義務あたりである。このへんを十二分に反軍国主義的に仕上げることで、たとえば第1条、天皇制護持のための言い訳、バーターにしたといえる。またこのとき、若者たちは日本民間の憲法研究会が作っていた憲法草案(憲法草案要綱 憲法研究會案)をいくらかパクっている。GHQは1月の時点で、こうした民間草案のチェックだけはしていた。第3条あたりはかなりかぶっている。おそろしく締切の迫ったてんやわんやの中でのことであるから、情もって汲むべしである。

 かくて拙速ながらGHQ憲法草案は極東委員会に先んじ、それから半年間の委員会の干渉もなんとかはねのけて、11月の成立に至った。以後、日本は大過なく極東米軍の一大策源地となり、重工業国へ成長した。朝鮮戦争ベトナム戦争においては立派にその策源機能を果たし、中台対立にあっても現在なお米軍のプレゼンスを支えつづけている。しかし、同時に、バーターであった第9条はいまだ改定されず日本国民の楯であり、アメリカがこれらの戦争において同盟国軍を必要としたとき、自衛隊は参戦を回避しつづけてきた。第9条はアメリカには悔やまれるところだが、何事も思うがままというわけにはいかない。一国を無条件降伏させ、その国法を定めうる時でさえ。そして、また、締切とは恐ろしい、だが人の世に避けがたいものである。

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