なぜ人を殺してはいけないのか?
ひとつには人間は高価だ。金銭面で、養育費教育費医療費他、そうとうな費用がかかる。時間の面でも十数年から二十余年という長大なコストがかかる。また、その母親からみたとき、一定時期以後再生産不可でもある。
そして、ポイントは、この高い価値が、同時にまた、かなり見積もり困難であることだ。算定困難で高い。
つまり、金銭面でこれまでいくらかかり、時間面でこれまでいくらかかり、現状でその人間への係累がどれだけ、どのようにいて、今後どのような影響を誰にどれだけ与えそうなのか、云々。そういった見積もりを、調査をするのは、けっこうな手間だ。かなりの面倒がかかる。いちいち、その人間の育成に関与した、また現状その人間が関与している、ひとびとへの聞き込み調査などしていられようか。どんな人でも、どこかに親兄弟からなにかいるかどうか、わかったものではない。調べて回るのは大変だ。大変で、どうせたぶんかなり高い算定になる。それに対して、人を殺すベネフィットというのは、まずもってわずかだ。それが高い状況はそれほどない。
つまり、くわしいことは事例ごとに具体的に調べてみないとわからない、が、していない時点でもだいたい、ほぼ、まずもって、コストのほうが高いとわかる。
それがために、事例ごとの個別の具体的な検証をすっとばして、おおざっぱに人々は言う、人を殺してはいけない。それは実運用上ほぼ合っている、ヒューリスティックである。
そうしたヒューリスティックに、さかしい子供は突っ込みを入れたくなるものである。といって、しょせんは儒子の童問。身構えることもない。
(追記)
身構えることもないは言い過ぎであった。全国の儒子諸賢、失礼した。
詳しく言い足すと、この問題でやっかいなところは、理屈のつくりはなかなか要素が多くややこしいのに、結論は楽勝である、というところだ。
というのは、この題目にひととおり理屈をおさえようとすると、囚人のジレンマと社会契約、道徳と脅迫、人間のコスト、緊急避難、再犯率と冤罪、攻撃行動の抑制機構(の欠如)あたりを読み考えることになる。これらはひとつひとつ、面白くも面倒くさい。ところが、その結論といえば、コストベネフィットの一項目でもってほぼたいてい、「殺してはいけない」になるのだ。どうせその差が圧倒的で、まずもってくつがえらないのである。
考えるのはややこしいが、答えを出すのは楽勝。アルゴリズムは面倒だが、ヒューリスティックで九分九厘いける。理屈をしっかりおさえずイージーに、いいかげんな理由を怒鳴って押し付けても、ファンタジックな理由を編み出してみても、実運用の段階では楽勝で正しい。こういう題目はよれやすい。脆弱な理屈を口にしやすい。賢い12歳の少年の挑戦にはいい的だ。
(基礎情報)
理屈をおさえるなら、囚人のジレンマをおさえておくこと。それも単発のやつの話だけ聞いてジレンマジレンマとか思うんじゃなくて、繰り返し囚人のジレンマから Tit For Tat および Tit For Two Tat そしてパブロフ。つまりアクセルロッド先生。The Evolution of Cooperation なお、この本、和訳もあるのだけれど、無理にも原書を読んだほうが5倍いいと思います。和訳は、安全幅を広くとった無難志向で、間違ってはいない、ここだそこだと咎めづらい、が、つまり、文意がゆるい。原文のほうがずっと文意が明確で、理解しやすい。