バットマンの基本設定
バットマンの基本設定について。
もともとバットマンの基本設定は「すごい資産と軍事力を持っているやつが、社会構造レベルでうまく回っていない世界に存在しているとき、教条的な正義でいいのか? 駄目じゃね?」なわけだが、そう、駄目だ。
たとえばおまわりさん、警官であるならば、市中のいかなる地点にも即座に現れ現行犯の犯罪者を殺さずに殴り倒せればよい。警官のはたすべき正義というのはそれでいいわけだ。しかし、とてもすごい資産と軍事力を持った人間が「とてもすごい正義の警官」をやれば世の中がとてもすごくよくなるかというとならない。スケールしないのだ。
司法機関はシステムの一部として教条的短期的な行動指針で、世界を犯罪者と良民とに分け、罪に罰を与えるたぐいのほとんど自動的な反応をしていていいけど、すごい資産と軍事力のある奴でありシステムに収納されない奴なんだったら、中長期的な、また構造的な関心がないと困る。バットマンの設定のテーマというのはそれだ。
やっかいなことに、画像または映像的なエンターテインメントは中長期的な事柄の描写に向かず、構造の話ができない。だから基本設定で問題を問うたうえで、現行犯の犯罪者を殴るエンターテインメントをする。それで「うまくいかない! 何故だ! 苦しい! 俺って悩ましいよなあー」って言う。
こうして、エンターテインメントと悩みとを兼備し、近代的なよくできた作品になる。うーむ
ちゃんと正義に従って、善意からやっているのに、国連では支持されず国際法を破るはめになり、守っている当の良民たちから指弾され、憎まれることは多く愛されることは少ない… ちゃんと正義に従っているのに。なんでだ? 俺って悩ましいよなあー
それはあんた、エンターテインメントな警官の教条的正義に従ってるからですよ、もう少し考えてください。…いや、少しではないな、世界を良くしようっていうんだ、大いに面倒複雑な課題だが…あまり自己憐憫に浸らずにひとつ…頼む。いや…画像または映像的なエンターテインメントの市場の中にいるあんたに頼んでもしょうがないことなんだが…
…世界モデルとエンターテインメントがごっちゃになってるぞityou…
あるいは、言ってみれば、この世はアメリカ人のエンターテインメントなのか? そうかもね。というか、そりゃあそうか。それはそうだ。
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