指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

宮崎駿先生の近三作

「先輩。新聞とは珍しい。鞆の浦ですか。」

「ここしばらくポニョのことを考えてたんだけどさ」

「ほう…去年の映画ですが。長いですね」

崖の上のポニョ、見た時はどうも何の話をしてるのかよくわからなかったのだけれど、最近やっとひとつ考え方を思いついた。宮崎駿先生が、子供をはげます映画を作るんだ、とおしゃっている線での考え方だ」

「ふむ? はげます。『出発点』でそんなことをおっしゃってましたね。えーと、


 シャーロック・ホームズのある話に、ワトソン博士が「君は人類の恩人だ!!」と叫ぶくだりがある。そんなふうに世界を考えられたらどんなに楽だろう。…

 残るは、他のジャンルがそうなっているように、職業意識しかない。ロボットの兵士だから戦い、刑事だから犯人を追い、歌手を志望しているのだから競争相手に打ち勝ち、スポーツの選手だから努力するのである。あとは、スカートの中への関心か、ズボンの中へかくらいになってしまった。…

 たまたま、自分が巨人軍に属し、相手が中日か、広島か、阪神に属したからといって、相手を憎むことはできない。負けたくはないが、お互い大変ですな……てなことになってしまう。そんなロボット宇宙戦争のTVアニメがたくさん作られたが、登場人物は引き裂かれた者たちがひしめくばかりで、視聴者はこれから出ていかねばならない社会のシミュレーションとして、その分裂をリアリティーとして受け入れもした一方、ウンザリもしたのである。

 職業意識とプロ意識というのは、一種の没価値論で、どこかで生存競争説に溶けてしまう言葉だ。…

 作り手に動機づけができなくても、子供たちは毎日生まれ、育っている。子供たちの戦いは少しもなくなってはいない。かつてのように正義のヒーローに自分を託して励まされる子はいなくても、いまも子供たちは励ましや、世界を美しいと感じとる術を教えられたいと願っている。…

「素晴らしい論考だね。これが1987年。22年前にこの見切りだとは。」

「こんなに残虐に、端的に観察してしまうと苦しいですね。それで見切ってしまうので、じゃあやるとしたらはげます話なんだと」

「まず、二作品さかのぼって、千と千尋の神隠しの話を考えてみるに…両親が突然変な宗教かなにかにはまり、家が崩壊して、働かねばならなくなった少女。職場は特殊浴場。誰かをはげます映画だとすれば…そうだと思うのだが…それは新宿歌舞伎町その他の水商売の女の子たちや、水商売予備軍の、両親に連れられて映画館に来ている普通の女の子たちをはげます映画ということになろうか。自分の責任でもなく家がなくなって、恐ろしい店長の下で源氏名をあたえられてそれまでのアイデンティティを否定されて働かねばならなくなる。それは何かのせいだとか、何かへの報いだといったものではない。ハチワンダイバーでいうと7巻のここが端的に書いてる話だと思う。」

「えーと、どこですか。これか。ふんふん。


「小学生に教えるようにわかりやすく 世界がどうできてるか今から一発でおしえてやる」

「薄氷一枚 透けて見えるほど薄い氷が一枚あるだけだ

 毎日 何万人単位で足下の氷が割れて 人生がぶっ壊れる

 男女年齢善人悪人関係ない 誰だって突然そこに落ちる可能性がある」

「落ちたんだよ おまえの足下の氷は… 砕けた」

「晃弘くん。千と千尋の冒頭の展開の描写って唐突じゃなかった?」

「冒頭ですか。そう…いつのまにかあの湯屋にほうり込まれますよね」

「あの映画は序盤の展開に、責任を問われる何か、原因を求められる何かの描写がほぼない。あの職場にほうり込まれるのはこのせいだ、これがあったからだ、という理由の描写が排除されている。冒頭での両親の挙動は、子供から目を離してどんどん歩いていってしまう場面などがあって、このへんの描写は『あらまほしい親、家庭、立派な大人』ではなく、といって『この親たちが悪いのでこれからまずいことになるのですよ』でもない。かなりニュートラルだ。これは『普通にある現実』なわけだ。つまり、あんたの隣に座って映画を一緒にながめているその両親は、『薄氷』を構成する一部だよ、という世界観だと考えられる」

「ははあ。それが、毎日何万人単位で起きている、年齢善人悪人関係なく突然起きることだ、というわけですか」

「そう。そして職務は過酷で、わけのわからない醜悪な客たちが来て世間のストレスを吐き出してくるが… しかし…それはひとつの立派な仕事でもあるのだ、へこむんじゃない そしてやがてそこを脱出する機会があるのだ、まともな男の子を一人見つけて氷の上に」

「ふむん。そういう話ですか?」

「と考える理屈もあるかなと。長くなったが、次に、ハウルの動く城の話、これは短い」

ハウルですか。以前一話話してましたね(動く城と恋物語)」

「あのときも、やはりいまひとつふたつよくわからない考えだったのだが、はげましているんだと考えると納得ができてきた考えがある。つまり、年頃を過ぎるまで浮いた話のなかった喪女さんが、いかした男子を見て、やる気を出し、家庭を築くにいたる。」

「はあ?」

「はげます話というなら、ちょいととうの立ってしまった娘さんらをはげます話。」

「あのソフィがですか」

「これも、アラフォーだのなんの、『私はおばあさんなのか女の子なのかどちらなのかしら』という、当代の市場が問題意識を持ち、またどぎつさのあるテーマを、アニメの伝統的なモーフィング描写の芸ですよ、という作りで端麗にやっている。たぶんそういう話」

「ううん?」

「さて、それでポニョだが…」

「ああ、はい。ポニョですか。ポニョはどうなんです」

「まず宗介の家の構成を見る。


耕一:父。仕事で頻繁に長期出張している。天変地異が起き始めた時に仕事を続けて家に戻らず、「宗介はしっかりしているから大丈夫だ」発言。

リサ:母。子供に名前で呼ばせる。また、夫を名前で呼ぶ。子供を乗せて粗い運転をする。夫の帰宅予定が変わった際にむくれて子供にすねる。

「ということで、まあ…しばしばある家庭のように思われるね? どうかな」

「高性能な描写ではありませんね。ははあ、『あらまほしい親、家庭、立派な大人』では、そう、ないですね。」

「両親や登場する大人が立派な大人でないというのはこの三作のポイントだと思う。で、こういう形だとこの家の子がどういう性能の子供になるかというと、


宗介:母親がへこみいじけるタイミングに即座に反応してフォローをはじめる子供。そのようなタイミングでは押し引きをすばやく切り替えて、家の空気が動くように努める。

「はあ。…?」

「で、こういう男の子というのは、弱っている女の子に対する反応が速い。反射的にフォロー、手当てをする。あまり適当な言葉でもないが、女あしらいがうまい、というか、女あしらいをしようとする。例としては、このヒロインのポニョに水をあげたり、保育園の幼女に対応したり、養老院の老女たちに対応したりする。そういう対応を、面倒だ、僕は別のことで遊んでたいもの…と思わない。あるいは面倒だと感じていてもそれを放置できず、自分の担当すべきタスクだと感じる子供だ。面倒だな、それは僕の仕事じゃなくて誰かの仕事でしょう、つきあいたくないもの…と背中を向ける子供だって、たくさんいるのだが、こういう子供はそうできないんだ。」

「んー?」

「だので、やっかいそうな女の子を見た時、宗介は反射的に、近づいていく。やっかいな女の子がいたとき、それに近づいて対応しなければならないと感じるからだ。いわば長年の訓練の賜物?だ。近い間合いまでいってさばこうとする。」

「お話がよくわかりませんが…」

「ではポニョの家の構成を見ると、


フジモト:父。人の世ですごい技術を究めた男で、究めたことで人の世から離れて隠遁して暮らせるようになった。もう人間界に興味はない。妻に大きく格負けしている。

グランマンマーレ:母。やたら抽象化されており、とにかく偉いらしい。

ポニョ:父親から非人間的な期待、「ただの人間になってもらっては困る」、を持たれている。態度のエキセントリックな不思議ちゃん、やっかいな女の子。ただの人間の男の子にひっかかって、父親のためておいた資産を持ち出して周囲を大騒ぎにさせる。

「どういう話ですか?」

「うん。これを当世の嫁取り、婿取りの話と考える。嫁としては、どうも得体の知れない、海のものとも山のものとも知れない、言ってみれば海の向こうの国から来たような嫁である。婿としては、どうもつまらない、ただの人間である。婿がやっかいな嫁に反射的に手当てをしたので互いにひっかかってしまったわけだが…あと世界の危機も起きた。しかし、まあ、いいじゃないか。けっこういけるぜ。祝福しろ! 結婚にはそれが必要だ!」

「えー」

「そういう話…と考えた。だから、子供に語りかける話、子供をはげます話を作っているのだ、とおっしゃるのなら、どういうことになるか」

「そういうことになりますか?」

「ご両親や、『立派な大人』への信頼がほぼなくなっている世界観である。信頼がなくなったからといって、『裏切られた』みたいな怒りやうらみを扱う世界観ではなくて、こういうものだろう、というシビアな見切りに近い気がする。そういう観点で、親の性能が低いのは意図された描写だと思われる。」

「たしかにこの三作には、立派で頼れる大人は、見回してみていないようですが」

「そのような見切った酷薄さのうえで、子供に与えられている状況っていうのは、世界の危機ではない。ハウルには戦争があり、ポニョでは天変地異があるが、それらを取り組むべき課題として子供たちに与えていない。」

「ふむー。そういう伝でいうと、世界の危機に立ち向かわせる話というものは、立派な大人たちとセットですよね。だからいないってわけですか」

「そう思える。そうして、主人公の苦境を世界や人類のシステムの問題まで遡るのはしていないわけだ。子供をはげます、という指針にはそれはそぐわないってわけなんではないか」

「なるほど?」

「世界規模のレベルまで大きくひろげた話というのは、恨みや、拗ねや、自爆や自己憐憫に結果しやすいようではある」

「ああ。コードギアスなんか力強く、面白かったですけれど、オチとしては自爆オチに結着しましたものね」

「そう、それはそこ自体ははげましにはなりづらいところがあるかもしれない。そういうのはやっていないわけだ」

「ふむん。『お前はひとりでは何もできない、みじゅくなよわいいきものなのだ』とか、言ってくるけど、案外大丈夫なものだよ、歩けばいいんだ、みたいな…」

「詩的なことを言うね。宗介や千尋は、物語の最初と最後でそれほど成長した描写がなくて、成長した部分をラストで忘れてしまう描写があったりもする。そのへん、成長を讃える話でもないように思える。子供に、判定基準は案外甘い場合が多いから、大人の指図を待ってからとか、理知的に理解してからとかじゃなくていいんだよ、ダイス振れ、という」

「あー? 理知的ではない。だから問題の解決が魔法っぽいんですか?」

「そうかも。理解できるギミックやトリックで解決する、というのは、理知的なことで、それは成長して大人の力を得ていくことで解決する話に近くなるからね、解決するためには成長していけ、という要求が含まれるよね。この三作の世界観はもっとゆるい。要求が低い。これらの終盤では、問題の解決に際してつじつまが合わさっていない描写がもろもろ見られるけれど、そういう世界観になっているとはいえるね」

「ふむう」

「ひとくちに、はげます、っておしゃっているけれど、その実装は、けっこう酷薄な観察の上にもとづいていたり、妙に見える筋書きで仕立てていたり、凝りに凝ってるように思える。そういうことを考えていたりした」

「なかなか考えましたね」

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