指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

リアリティという言葉を後輩がいかに警戒し嫌うか

「先輩。聞いてくださいよ。今朝、シャワー浴びてるときに、やっとわかったんですけれども、」

「(どうぞ、うかがおう、の手ぶり)」

「いままで、『作品のリアリティが…』とかいった話を聞いていて感じてた違和感の、整理がやっとついたんですよ」

「リアリティ?」

「ええ。そのリアリティってやつです。ときどき聞く、『作品の世界観にリアリティがあってこそ視聴者は物語に没入でき…』とかいった話があるでしょう。あれでリアリティって単語を聞くたび、少しずつひっかかるものがあったんですが、」

「『ジャンルによって固有のリアリティが存在し、それに基づくことなくては…』みたいなやつね?」

「そうそれ、そういったあれ。あの単語はですね、あまりよくない。」

「単語が、あまり、よくない」

「えーといや、かなりよくない。」

「なにどういうこと」

「たとえばですね、戦隊ヒーローもので見栄を切っているあいだ相手が割込み攻撃せずに待っていたり、そして、変身が終わったら石切場にいたりする。」

「するね。」

「あるいは、ソ連の戦争映画で主役も含めて登場人物の誰も生き残らなかったりする。映画って多くの場合、なんらかの試練の最後まで生き残った人を主役に置いて話を語るものですが」

「まあそうとも言えるね」

「そこで、ああいう、割り込み攻撃は有りか無しか、登場人物全滅は有りか無しかなどの基準というのはですね、それは、そのジャンルの制作者・視聴者が、彼らの集団の間で合意している基準なわけですよ。」

「ふうん? そういう限られた集団の間で通用するものにすぎない、と言いたいのかな」

「そうです。限られた、固有の文脈・情報に沿った、あるていど恣意的な、人と人の間で合意されたものです。だから、そうですね、ああいうのは『合意性』とか、あるいは『コンカレンス』とでも呼べばいいんですよ。」

「個別の集団ごとに保持している基準であって、あまり客観的ではないものだと。」

「そうです。ある人間集団が何かについて、それを有りだと合意するか、それともしないかという集団的な性質です。」

「それを合意性とかコンカレンスと呼ぶのがいいと。リアリティじゃだめなの。」

「リアリティとか呼ぶのはよくない。というのは、あれをそういうふうに使うのは希望的な使われ方になるから。」

「希望的な使われ方?」

「単語というのは過重な希望を含めて使われることがままあるんですよ。典型的なケースだと、『こんな事件を起こすとは人間性を疑う』といった使われ方です。人間に倫理や徳の高さだけが含まれていて、残虐さや悪辣さなどが含まれていなければいいなあ、という希望的な使い方です。」

「希望は嫌いかね」

「その希望のぶん、概念が緩くなって理屈の強度・精度が大きく落ちますから。緩い概念を導入した理屈話はそれだけグダグダになりやすくなっていきます。倫理や道徳と言っておけばいいんですよ。」

「血圧の高いことだ。で、そうするとどうなる」

「そうするとこの場合はですね、リアリティ、という言葉を使ってるようなときは多くの場合、自分の属する集団の合意性が、客観的で広く通用する現実性というものに含まれていればいいなあ、という希望を含んでいるわけですよ。これは、人間集団というのは、自分たちの合意性が他の集団の成員にも通用するようになっていくことをあるていど望んでいるから。だから、自分たち固有の合意性が、あたかも客観的に広く通用する現実であるかのように、『これはリアリティが有る、あれはリアリティが無い』という言葉使いになる。恣意性を多分に含んだものを、あたかも当然で自然な判定であるかのように有るの無いのと言う」

「こんなの常識でしょー、と冗談で言うようなものね」

「そう、こんなの常識でしょー、えー俺は違うな無いなーと冗談で言い合うような水準の緩さを理屈話に導入することになります。もうぐだぐだとへぼい領域でもがくだけで、理屈の枝を遠くへ延ばしていくことなんてできやしません。そんな単語は疫病のように避けるべきです。」

「どう、どう。鼻息が荒いよ。」

「すみません。久しぶりにシャワーを浴びて理屈を思いついたので、血圧が上がりまして」

「シャワーも浴びれんとかどういう生活だったの、君のところの仕事は」

「いえ、入浴時に抽象的な与太理屈を考えるような状況が久しぶりだったということで…いやたしかにここ一年と半分以上、ひどい具体的なおもしろい状況でしたが…」

「じゃあ具体的な愚痴話でも飲み聞きしに行くか。なんだっけ、ベルギービール? 赤ワイン? おおこのスノッブめ!」

「やる夫スレで読んだだけです。いじめるとからみますよ」

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