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暴力は手元にあるが、いつそれを使っていいのか?/スーパー!

第6艦隊

「面白かったね、『スーパー!』。章浩君笑いすぎ。」

シネマハスラーで褒めてる映画に間違いなしですね。あ、すみません。レタしゃぶ二人前と、それと生をふたつで。どうも。もっとも、あのオチに、主人公への優しい視線とか、ありますかねえ』

「ふむ。古い言葉に、『暴力は手元にあるが、いつそれを使っていいのか?』という問いがある。」

『どういう話ですか』

「この問いは、日本のヒーロー物なんかでも扱われることがあるが、アメリカ人のほうが何段階か強く考えている課題だと思われる。個人単位の肉体的な暴力でもいいし、あるいは、銃だったり、国家の軍事力だったりだ。」

『ほう。』

「個人の肉体の暴力というのは、たとえば、男の子が第二次性徴期に急激に戦闘能力を高めたときに、どうする、なんて話になる。これはどの国の男の子もそこそこ考える課題ではあろう」

『ははあ。学生の殴り合い系の話になりますね。でも、銃は日本ではあまり手に入らないと。』

「そうそう。銃砲はアメリカの人々の身の回りにはごろごろあるからね。アメリカ人からしたら、日本人がアニメに登場させている日本刀や魔物なんて圧倒的に観念的で、何を象徴してるものなのかつかみかねるだろうな。アメリカでは、日本刀が町中で簡単に買えて、年間何人もの女学生が人を斬り殺す事件を起こしているんだよ」

『それは大変ですね』

「国家の軍事力についても、アメリカ人は、極めて強力で、即応性の高い戦力を持っている。日本の自衛隊とはかなり大きな違いがある。」

『第五、第六、第七艦隊あたりですか。ほんの数時間で地球上の任意の地点を制圧できる』

「なにしろ、こんな戦力を持った国は人類史上かつてないからね。むしろ46億年で最強。」

『まあこれまでのところ、その時点で最強の軍事力は、それまでで最強の軍事力ですよ』

「確かに。で、そういった細大いくつかの面において、アメリカ人はつねづね、自分たちの手元にある暴力を、いつ使っていいのか、悩んでいるんだと思われる」

『こぶしでいつ殴っていいのか、あるいは銃をいつ撃っていいのか、あるいは艦隊をいつ派兵していいのか、という悩みですね。なかなか大した悩みだな。してみると、いろんな面で、暴力がみなぎっている人々なんですね』

「イギリスの運営していた世界帝国では、女王の資産と貴族階級とにけっこう大きな比重があったわけだが、それと比較してアメリカの世界帝国では、民主選挙の効果のぶん、アメリカ人ひとりひとりの責任が増したところがあると思う。そのへんに詳しいわけではないんだが」

『床屋談義ですから、いい気分でしゃべればいいじゃないですか。よっしゃ来た。うぃーす。では、えー、ジェームズ・ガン監督に?』

ジェームズ・ガン監督、脚本、あとあのTVドラマの悪魔役に。乾杯! …… うまい。プレミアムモルツってちょっと梅の味がするよね」

『(先輩、味覚大丈夫ですか? という視線)まあビールをおいしく味わうのはいいことです。で、えーと、アメリカの選挙の話ですか』

「では失礼して。さっきまで話していたような話が、アメリカのスーパーヒーローものの扱っている話なわけだ。」

『あー?』

「個人の肉体の暴力、身の回りにたくさんある銃砲、国民国家の地球上最強の軍事力。生まれつき貴族というわけでもない市井の個人のアメリカ人の手元に、これらの暴力があるんだが、それをいつ使っていいのか? スーパーヒーローもののコミックではその問いが基本構造だし、ウォッチメン、キングダム・カム、ダークナイト、あるいはキック・アスあたりにはその文脈がかなり強く出ていると思う。スーパー!は、まあ、そのうちの前2者あたりまでの話なんだろうな。」

『よし来た。どうも。少し弱火でいきますよ』

「レタスか… あー腹減ってきた。早く煮えろ。美味そう美味そう」

『熱が通り過ぎると残虐なことになりますから、煮える直前の出掛かりをむっしゃむっしゃです』

「出掛かりね」





「美味しい美味しい。いいねこれ。豚も美味いし」

『でしょう。では順次やっていって、なくなったら追加注文しましょう。よし。えーと、で、じゃあ『スーパー!』の話していいですか』

「どうぞ」

『シネマハスラーで触れられてた宗教的な面というのは、僕はあまり詳しくないので、詳しい向きにたのむとして、まず、あの映画での主人公の精神的成長()を並べてみます』

「どうぞ」


第1段階:人に文句を言えない

第2段階:人を殴れる(超進化)

第3段階:神が自分を守ってくれなくても人を殴れる(小さくても大きな進歩)

第4段階:最後のチンピラボスとの問答ができる

第5段階:過去と現在の多数の事物を良い思い出化する能力を身につける

『ざっとまあこれぐらいの段階を進んでいったと思うんですよ』

「フムフム」

『シネマハスラーの冒頭のおたよりコーナーでは、あの主人公が反省して… という意味のメールがあったようですけれど、あの映画で、あの主人公が反省した箇所なんて、ないですよね。』

「僕もないと思うよ」

『コスチュームを捨てようとするのは、逮捕される危険を意識したからであって、それは神が自分を守ってくれないのかもしれないと思ったからだ。神が自分を保障してくれるのかどうかというとこに恐怖をおぼえたってことであって、反省ってのとは非常に違う。』

「あの主人公は非常に自己愛の強い男だね。そしてほぼ他人の観点からものを見ない。それは最後まで一貫している」

『そう、最後まで一貫している。僕は、僕も、そこがポイントだと思いますね。あの映画は、『最初は活躍していた主人公のヒーローごっこが、徐々に』といった話ではない。『徐々に』とか『少しずつ』なんて話ではまるでない。最初から、中盤、終盤、そして最後まで、全部アウトって話だと思う。』

「27打席全部アウト、パーフェクトゲームってわけだな。」

『あの映画には何度も暴力シーンがありますけれど、そのどれも常に、暴力が3まわりぐらいやりすぎの絵面になるように演出している。周到というか、注意深い。シネマハスラーでも言ってましたけれど、どの暴力シーンも、口火となる悪事は、観客もたしかに同意できる嫌なことで、想像で殴ってやりたくなるような不快さに演出されている。あの、行列への割り込みと態度なんて、非常に見事な不快さの場面になってますよね。ただそれへの暴力的な反応が常に3まわりほどやりすぎである。レンチにしろ、コンクリートブロックにしろ、飛び出しナイフにしろ。そこがブラックバイオレンスギャグとして毎回笑えるという作りです。やりすぎで笑わせる。』

「全てどの暴力シーンも、観客の、やりすぎやりすぎ、という突っ込みを待っているのだ、ということね」

『イエスエス。いちばん、暴力に正当性があるのが、チンピラ2人が主人公の命を狙ってくるところなんだけれど、そこですらあのマヌケ女の演技で、やりすぎに見えるようになってる。あそこは正当防衛といえる条件が揃ってるのだが、マヌケ女が喜びすぎ侮辱しすぎる態度の強力な演出と、あと、あそこでは主人公が目を瞑って発砲するのも上手い。一応、銃口を下げ気味に、足を狙って撃った絵にしてて、それがカットを切り替わると胸に当たってて死ぬんで、やりすぎたって絵面にしてある。』

「細かいな。本当か?」

『本当本当。全部、だいたい3まわりやりすぎの暴力にする。これがあの映画の演出プランですよ。キリッ。あ、僕も。生2つでお願いします。あとレタスをもう一皿で。』

「一貫してやりすぎなんであって、君のさっきの5段階でいえば、第2段階から先に『徐々に』『途中で変化が』『暴力の連鎖が』なんてことはないわけだ」

『そうです。この5段階の2−3−4−5は全部アウトですから。別に1がセーフというわけでもないですが、まず1→2のステップアップがすごくて、次に、2→3で信仰()の力からある程度脱却()、というか… なんだろ? 神を自分の杖としなくても歩けるようになった()のだ()』

「丸括弧つけすぎだよ」

『主人公の行動も精神的成長()も一貫して全部ダメなほうダメなほうへ進んでいき、ブラックギャグの強さがエスカレートしていって、最後もブラックなひっどいオチでオチる、というのがあの映画なんだと思うんですよ。哀愁のダメブラックギャグ傑作30連発、スーパー!』

「たった2杯で調子あがったなあ」

『登場する人物も、非常に注意深く、隅々まで、あらゆる登場人物のダメ人間度が同じ範囲に収まるように演出してますよね。それは街の人々や、テレビのキャスターや刑事に至るまで、必ずある程度マヌケに見えるようにしてて、まとも度の高い人間を出さないようにしてる。これはさっきの先輩の言ってた、貴族階級のいない世界観の線じゃないですか』

「ふーむ?」

『チンピラたちやチンピラのボス、あと取引相手のヤクザも、それぞれおもしろ小物演出を多めにしてて、範囲内に納めている。あのクライマックスの問答も最高ですね。ちょうど3まわり的外れな問答。』

「あのチンピラボスとの怒鳴り合いのことか。どういうこと?」

『お前も俺と同じだ! とか、何も変えられやしない!! だが、試みることはできる!!()()()という定型の問答ですよ。いやいやいや。そういう問題じゃないから。あんたの暴力は常に3まわりやりすぎで、はじめから一貫して全部アウトだから。チンピラボスさんは急に定型の問答を言い出して深みのある場面にしてみせなくていいから。 …という突っ込み待ちのブラックギャグシーンですよ。あれは。』

「まじか。それであの場面でケタケタ笑ってたのか、君は。本当か?」

『本当本当。それでオチね。あのひどいオチ。シネマハスラーでは、主人公に対する優しい視線、っておっしゃってましたけど、僕はかなり違うんじゃないかと思いますね。』

「いいか。生! えー、2つ! はーい」

『あのオチはさ、ブラックギャグのかぎりをつくした悪趣味な所業も、主人公の観点からは多数の良い思い出と、そしてコマとコマの間に、変換されてしまうのだー、ってオチなんですよ。お前も良い思い出にしてやろうか!』

「今思うと君の、そして僕の姉さんのことは、とてもいい思い出だったよねえ」(※筋肉少女帯『いくじなし』の歌詞

『Oh... そうか、奴はアンテナ売りの兄さん...!!』

「おそろしくダメな人にかかれば、ひどい暴力の誤用の数々と、それによって死傷した多数の人々も、すべて人生の輝く瞬間と、壁に描かれない緞帳の裏のエピソードとに編集されてしまう。なんておそろしいことだ」

『そう、それですよそれ』

「どうもです。はい乾杯ー。フム。ということはあのラストは、主人公は過去と現在を、輝く場面だけの集合として解釈できる能力を身につけたハッピーエンド?なわけだが、市民社会としてはうすら寒々しいアンハッピーエンドなんだな。」

『そうそうそう。交通事故のブラックジョークで、一家族を全員死なせてしまった事故のほうが、一人だけ生き残った事故よりも、賠償金がなくていい、って笑い話がありますよね。ひどい。ははは。』

「あれはじゃあ、物理的な暴力ではないけれど、質の違うやはり深刻に暴力的なシーンなのかもしれないな。他人の人生、非常に悲惨なことになった人生を、良い物語の一部として解釈し、編集してしまう。解釈と編集の暴力。ちょっと概念を拡大しすぎではあるが。」

『アリじゃないですか? あれは実にひどいオチですよ。まったく見事にひどい。脚本、演技、演出、隅から隅まで完全に完成されている。笑いっぱなしの映画ですよ。そりゃもう。ええ。なんで皆笑わないの? 突っ込み待ちなんだからさあ。もっと笑ってあげましょうよ! 笑ってあげなくちゃあ。』

「もう一杯飲むかね。すいませーん」





「そうそう、あとさ、『暴力は手元にあるが、いつそれを使っていいのか?』という問いには、『正義とは何か?』という言い換えがあるけれど、かなりズレる言い換えなので精度は悪くなる。非常に格好良い言い換えだよね。抽象度が高すぎてよくない。この言い換えが入った理屈はたいがい、かなり精度のへぼい話になる。必要なのは個別の事例についての是非だ。」

『ふうん?』





予告 http://www.youtube.com/watch?v=eL57ncw2jr8

日本版予告 http://www.youtube.com/watch?v=iN60xhdYYrM 『みごとにコマとコマの間を消してるね! がんばったね配給会社さん!』

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