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無飾の境地への憧憬/妹対兄、ファン対シスプリ

 あの妹達のポイントは、それを愛していることが異常だ、という他人の目を意識しないでそれを愛していることである。連中は、悩むとしても内心のモラルに対してであって(可憐)、それに対して虚偽を演じて本心を隠匿すべきものではない。

 すなわちシスプリとは、自分の愛する対象がおかしいのではないか?という他者の視線を意識しない人間の心理の美しさである。

 そしてこれはシスター・プリンセス(以下シスプリ)を愛していくファンの目指す/憧れるところでもあるわけで、一致している。イェイ!



 つまり、われわれは時として、世間様に隠匿すべき愛を抱えることがあり、鬱屈する。そのような二重の精神構造から解放されたいと願う。その点で、あの妹連中は悟りを開いており、為無く自ら然る の境地に達しているので、憧憬せざるをえない。

 多くのシスプリファンは、彼女らが兄への愛を修飾隠匿せずに磨き上げ続けるさまに倣って、シスプリへの愛から虚偽修飾を剥ぎ落していこうとする。すなわちシスプリファンは、ファンであることを他者に対して隠さない傾向が強い。当時の電撃G'sマガジンの読者投稿欄に充満していてわれわれをおののかせたもの、「ほんのなかにはいるには とうする」、それは、愛の発露のイノセンスであった。そこには、通りに出て拡声器で叫んだり、世間を愛の敵対物として置いて戦おうとしたりする姿勢はない。自らの愛を押入れに入れたり、棘付きの殻で覆ったりしない。

 キャラクターコレクションを奥義書として、彼女らの内功を自身に取り込むべく、ファン達は研鑚を積むのである。江湖のどこかで。

 なお、あの妹達は、愛の対象に対しても、自らの愛を修飾する必要を感じていない。一般に、愛をテーマにして世間の視線を除去した作品といえど、さすがに対象の視線は意識するものであり、どう伝えようかとか、伝えたいのに伝えられないなどと悩んで、相互誤解やらコミュニケーションまわりのドラマで右往左往させるものであるが、それすら除去している。このへんがファン活動との一致の代償に食い足りなくなってしまっているところと言えるが、まあいいや。



 ちなみに、ここまでの理屈から、なにげなくもう一歩話を進めると、そのようなファンの心理は……とか、そのようなファンとは……という、評価的な話をはじめることになる。文章さんはそういう組み立てが教本どおりだと勧めてくる。

 が、そこには踏み込まない。というのは、うっかり末尾をそれで〆ると、話全体がどこかで聞いた凡百気味の話でまとまってしまう。あるいはそこで凡百から逃れようとすると、2レベルぐらい一般性の高度なビッグテーマを解体する仕儀となり、何倍もの文量を要する。

 だからここは、一歩とどまって済ませるのがおくゆかしい。



 F橋さんと話してたら、この理屈からすると「咲耶はわれら12人のうちで最弱の妹」「千影はその次の若輩者」だということになった。前者は、兄への愛をそのまま兄に伝えることについて恐怖があって、兄に対するときに自らの愛を修飾して振舞っているし、後者は、自分の愛が一種の不幸を内包していると思っている。F橋さんは、それでも愛自体はあるんだからと弁護していたが、この理屈の理屈はそこにはなくて、愛をどう発露するかという出力部分にある。この二人はその点で、妹として旧型だといえる。





 2005年05月27日追記暇なのでキモメールを送ろうのまとめ2ch喪男板の抜粋)

 だめだ、そっちいっちゃだめだ、待て! 本心を、内語を告白するというアプローチは、虚像に対してしかしちゃだめだ!

 妹が兄を性愛対象にしてはいけないように、キモメンもまた、美しい娘っ子を性愛対象にしてはいけない。本心をしゃべるというのは、美しく楽しいしかしファンタジーだ。

 隠匿すべき愛がいかに隠匿すべきものであるかという実例。地獄もいいとこ。

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