コレクターじゃないのおまじない
「さてラジオ会館終了と。いかがでしたか、先輩。え?」
「僕はコレクターじゃない、僕はコレクターじゃない」
「何ですかそれは」
「静岡大学ゲーム研究会の名の知られぬ先覚のおまじないだ。コンプリートしようとするな、それは他人にまかせておけ、といったような意味だ。コンプリートには一利がある。情報が保証される。」
「というと」
「ある事柄についての完全な情報は、一片が欠けたものとはかなり違う。たとえばシリーズものの作品を全部そろえれば、最後のオチでどんでん返しのないことが確認できて、他人と話をしていて恥をかくおそれがなくなる。」
「ですね。ある範囲の中について、全部知っていて漏れが無いと、自信を持って言える。」
「何かをコレクションしていくことに利があるとして、それは一利だ。理屈屋の役に、立つ。だがそれがディストリビュータ側の術策でもある。乱数と組み合わせる等、巧妙な手法が発達している」
「ガチャガチャのことですか。最後の一片のために最大の投資をさせますが」
「あるいは難病の先輩がいて、手術の前日に『私に誓ってちょうだい。コレクターにはならない、と。』『はい、先輩、なりません。決してなりません』というのはどうかな」
「どうとでもお好きに。」
「一般に理屈屋は購入という行為に警戒心を持ったほうがいい。ものを所有しないでいる状態への…ひけめというか、怒りによって、理屈を起動することができるからだ。なにかを持っていないというのは、文章を書きはじめるモチベーションに適する。」
「買うと満足してしまう、という危険ですね。わずかな小遣いに苦しんだ中学時代の気持ちを大切にしてやる日もあっていい」
「もうひとつ、赤尾教授の、続編不買の誓いというのもあってね。これはゲームのことだがね。あるとき、赤尾先生論想にあぐね曳馬山中に分け入りたるところ一頭の鹿あり。『なんじが想の考か験かをとるべし』と問わば、『考を』と答う。『されば齢四十をもって続きものを購ずべからず』と。」
「じゃあエースコンバットもメタルギアソリッドも買わない?」
「なかなか理がある話と思わないか。僕は赤尾先生に直接講義いただかなかったが、この警句は大いに助けになっているよ。シリーズものというのは、システムを応用発展させていくんだからさ、つまり収穫逓減するわけだろう、理屈屋からすれば。」
「結局さっきのあれは買わないということですね」
「まあそういうことだ」