言葉と現実世界の潮風
言語体系というのは、かなり綺麗に建っている構造物である。○○は××で△△い□□する▽▽である、という定義を柱として、無数のそれらが組み合わさってできている。そして全体としては美しいトートロジーである。
しかし、それらの柱は、現実世界から吹いてくる潮風によって腐食されていってしまう。
「滅茶苦茶」「凄い」「マジで」といった新鮮な感動を表す言葉は、新鮮であることを求められるので、つぎつぎ腐って交換されていく。
「公約」という言葉は、言語体系の中では「公に誓って実現する約束」と定義されていたが、現実世界の中では「守られず政治への幻滅をもたらす文言」であるので、腐食してしまい、交換でその位置には「マニフェスト」が入ることになった。
さまざまな被差別民を指す言葉も、蔑視的に使われていないものを新たに持ち込み、それが腐る、という繰り返しである。現実世界で被差別民を蔑視する人々が蔑視して使うのだから、何を持ってこようが腐る。高湿度帯なのである。
毎年登場する新たな言葉のうち、何割が言語体系の構造を変えているもので、何割が腐った柱の補修交換だろうか。
spcateg文章[文章]