正直、責任、明白なバグ/以上三点禁止
第一日記2003年02月03日の続き。
第一日記2002年04月24日の続きでもある。
「正直、」とか書かない。
正直な気持ちなんだからつまんないこと書いていいんだ、だって本当のことなんだからしょうがないじゃん、と思ってる人が時々いますが、ぬるめです。面白いことを書かなくてはなりません。正直な気持ちというのは、文章を書き始めさせるモチベーションにはなりますが、それ自体は、書くに足るものではありません。正直な気持ちなんて、たいがい、ありふれています。そんなありきたりの、素朴な感想を書く言い訳、ほとんど敗北宣言みたいな言葉です。
世の中には、一文の価値もない真実というやつがけっこうたくさんあり、時には、負の価値を持つ真実もあります。
これは誰の責任か、という問題の立て方をしない。
誰の責任か、という問題の立て方は、雑です。一般に、責任問題というのは相当程度どうとでも論じられます。世の物事の因果関係は錯綜しているからです。責任問題とは、これからどうすべきか、という問題のかなり粗雑寄りなバリエーションです。
こんな見落としがあるんだから、と勝利宣言しない。そもそも勝利宣言しようとしない。
よくある勘違いのパターンに、こんな明々白々なバグが残ってるなんてデバッグしてないんじゃないの、こんな派手な誤植が残ってるなんて校正してないとしか思えない、というものがあります。これは間違いです。最初はもっともっと明白で派手なバグがあって、いまわれわれが見ているのはそれらを潰したバージョンです。どんなバグが潰されてきたのかは、もはや埋没してしまっており見えません。
すごく一般的な話になりますが、作品を、製作者の努力を評価するための中継地点だとみなす考え方は、多様性に欠くので避けたほうがいいです。