指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

俺禁止シリーズその13 純粋に好き vs文章たん

 俺ルール禁止条項その13:「純粋に好き」

 人間が何かを純粋に思ったり感じたりすることはまずない。人間の思考や感性は多数の要素を含む複雑なトレードオフの集合体であり、そのひとつひとつを「なぜ」や「どのように」で掘っていくことができる。つまり「なぜそう思ったのか」「それをどのように感じたのか」を次から次へと具体的に考えていくところが面白い。純粋に、などと前置きすると、そうした堀り口がふさがれてしまう。掘り口はその時掘らないまでも、目に見えた状態で保留しておいて、後日に語る機会を待つほうが安全だ。



 文章を書いているとき、当然、とか、に過ぎない、といった言葉を入れたくなる場所が生まれることがあり(それぞれ第一日記2001年10月3日 2003年2月3日で禁止済)、スリルを覚える一瞬である。それらの箇所は実際にはほぼ、当然ではないし、過ぎなくもない。当然なことや、過ぎないことは、世の中にほとんどない。しかし、文章の形式・様式・流れがそうした言葉をその場所に入れろと要求しているわけで、一人言の相手役としての文章たん(第一日記2001年2月1日)への信頼が揺らぐ瞬間である。 それは禁句ってことにしたろ? でもつい勝手に口に出ちゃうんだよ。 まったくもう、しっかりしてくれよな。お前見た目は几帳面だけど、どこかずぼらなところがあるからな。 ちなみにうちの文章たんは、同じ言葉の繰り返しに狭量で、さきほども「一瞬である」と「瞬間である」とが被っているから別の表現を探せと5分ほどぶつくさ言っていた。時として、文章たんの小言があまりにうるさいために、応対しているうちに文章自体が書き上がらないことがある。

 文章たんには文章たんなりのこだわりがあるらしく、言い回しだけでなく、議論の組み立て方などについてもいろいろと、これはいまいち型が悪いとか、ここはよく整っています、がんばりましたねなどと講評してくる。どこの流派で習ってきたのか知らないが(本当は知っているが)、そのうち機会を見て、一つ一つの作法の内容を具体的に説明してもらうと面白そうだ。

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