指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

どう見ても負け様がない戦いはやばい/文章と戦端

 どう考えても自分の勝ちしか見えないような論争には、立ち入ってはならない。

 どう考えても俺のこの理屈が勝つほかない、負けようがない、準備は万全論旨に隙なし、彼方の議論は盆ほど浅く、我が方の優勢に疑問なく、触れなば落つる勝利の実と思えるような論議、相手がいたとしたら、手を触れぬことが賢明だ。なぜなら、それは議論の決着を自方の完全勝利でしか認められないということであり、相手との中間に議論の決着点、値切り合って手打ちする落としどころを設定できないということだからだ。

 すなわち、圧倒的に優勢で勝ちきってしまえると思えるような主張とは、自分がその主張の完全勝利以外での決着を認められないような主張であり、それはつまりそれ以上譲れない、後退できない位置なのであって、実は背水の死地で、非常に危険な場所だ。そこで戦端を開くと、退却できなくて、やばい。



 それとはちょっと違う話だが、文章たんというのは、決闘の立会人として、いまひとつ信頼のならない娘っ子である。どうも文章たんには、論争の両者が対等であるという絵面をつくる力があるらしい。掲示板などで練りに練った必勝のレスを投げつけて、どうだこれ完璧な一撃でしょう、これにて決着、一本とって、TKOで10:0で満場一致の採決で俺の勝ちだろ?と後ろを振り返っても、これが不思議なもので、相手方の返答がかえってくると、なぜか、なんか決着してない構図になる。理由がよくわからないが、「相手を説得し切れなかったこちらの負け」で、もう一回 そして永遠に…forever… こちらに説明責任が発生する絵面になるのだ。そこで前回と内容がかぶらないように(これも文章たんの教えるところ)、またぞろ別のアプローチ別の具体例別の表現を考えて、文章を練ることになる。

 これは思うに、文章たんというのは非常に良いところの出で育ちがよろしいために、われわれにきわめて礼儀正しく振舞わせようとしている。その文章たんの勧告に従って一挙手一投足を振舞っていると、内心では自分が圧倒的に勝ってるだろと思っていても、字面には、相手を対等に扱う態度しか出力できない。礼儀正しく振舞ってそこかしこにこまめに仕込んでおく皮肉のやりかたは教えてくれたのだが、それは正面からの殴り合いの勝ち方ではない。

 雑に言うと、いくらジャーゴンをちりばめ、修飾に凝って読みづらくしても、文章を自分ひとりの味方にすることはできず、それは一定限共有され、万人のものである。コミュニケーション手段だから。

 今まで何度か理屈文章を投げ合い、あるいは、これは相当の使い手、歴戦の強キャラ、と見込んだ論客を幾人か追ってもみたが、未だに10:0の完全勝利を見たことがない。文章においてとどめの一撃というのは、よほど高難度な技に違いない。

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