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文章さんと読み手

 文章を書くとして、第一に責任を負うべき相手は、文章さんだ。つまり自分がこれまでに読み教わった本の著者たち、死せる先輩がただ。文章を書くというのは、かれらにむかって喋り、相手をしてもらうことだ。そうしたかたがたにむかって喋るには文章を書くのがよい。読むだけでは、聞けるが、喋るのは難しい。

 文章を書くとして、文章の役割の第一を、その読み手とのやりとりの手段と考えるのは、あまり筋が良くない。文章は、その文章を読む人々に直接語りかけるためのものではない。

 書き手と読み手の興味の範疇とタイミングの一致するケースはあまり多くなく、むしろよい文章とは、読み手がそれまで持っていなかった興味を喚起するものである。そして読み手がある分野について文章を読んで興味を持ったとして、書き手はその時点で、その部分への興味を修了している。文章を書くことそれ自体が、書き手がその話題のその部分について、興味を消費する行為であるからだ。その話のそこのところは、文章さんともうじっくり話したよ。(消費時間差

 生身の読み手から有意ななんらかのレスポンスを期待するのは門違いであり、第一に期待すべき相手は、眼前の文章さん自身である。文章さんは話しでのある相手だ、もちろん。いろいろなことを一緒に考えて、幾度となく、非常に鋭い指摘をよこしてくれる。生身の人間と喋りたい時は生身の人間と、文章さん抜きで喋るという手があり、たいがいそのほうがいい。

 一応、文章さん自身、読み手へひととおりの気遣いをして書けと言う。下品な言葉を避け、ジャーゴンも多少ひかえ、背景説明的な言い回しを挟み、云々。このとき注意すべきは、まず、それがいわば副次的な事柄、ついでであるということ、つぎに、文章さんの想定している読み手があまり生身とは言えないということだ。

 書き上げた文章の語る理屈が、ある一人の誰かに対してあてはまらず、その人にとって面白くなく、役立たなかったとしても、文章さんはそれは気に病まない。ある時ある人にあてはまらなかったとして、いつか誰かにあてはまるかもしれないならば、それでいい。あら残念、次の方どうぞ、てなものだ。彼女はこの面については気が長い、言い換えると責任感が無い。しかし、そのいつかの誰かに読まれたとき、面白く、あるいは役立つことは、気にかけなくてはならない。なぜ文章さんがそんなことを気にする娘っ子なのかといえば、そうした文章に育てられたからだ。伊藤がこれまで読み聞きしてきて、面白い、あるいは役立ったのは、そうした文章だったからだ。だから淘汰的な、ミームの理屈であり、当然のことだ。

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