おおかみこどもの雨と雪/田舎とスタッフワークと強い方
(この映画でもっともバイオレントセクシャルで素晴らしいと思う風呂場で錠を下ろすシーンの画像が見つからない! ここにあると思って頂きたい)
「hoi」
「hai」
「他の作業しながらなんで応答率低いけれど、いるよ」
「これが細田守監督のインタビュー http://wired.jp/2012/07/21/interview-hosoda-mamoru/」
「とりあえず昨日の怒りの話をさせてもらうけどさ、」
「どうぞ」
「田舎の社会性、田舎で農業やってる社会集団はさ、すごく環境の共有部分が大きいから、ああいう動きにはならないんだよ。ああはならない」
「というと?」
「都会であれこれ雇用労働してる人らはさ、ある地域のお隣ご近所っていってもけっこう職種とかばらばらだからさ」
「たとえば、お隣のご主人が最近調子よくて昇進したらしいですわねとか、いったって、」
「そのうわさ話からそんなに自分とこの生活や労働にフィードバックできる情報がたくさん取れるってわけでもない。」
「お隣が官僚で自分ところが運送だとかさ、ノウハウがそんなにかぶってるわけでもないでしょう」
「ふんふん」
「一方、田舎で農業やってる社会集団では、戦闘条件がめちゃくちゃ共有されるわけよ。その土地の土壌や水質や気候と戦っていくわけだからさ。」
「それに農作業というのは近隣が直接にかかわる部分も非常に大きいから、稲とか、隣の田圃に別の品種うえちゃって交雑したら収穫が激減したりするし、」
「人手のかかる作業にいつ誰が参加できるかとか、近隣の家族の行動予定や内部事情まで把握していかなきゃ戦えないわけよ」
「だからそれこそ、その土地の野生動物との戦い…山から下りてきて作物を荒らす動物との戦いにおいて、主人公の家だけがそれに勝てているとき、」
「集団の他のメンバーがそれを『不思議ねえ』とだけ言って見過ごすなんてことは、絶対にありえない。わかる?」
「あー」
「なんでうまくいっているんだろう? という話になるはずですね」
「基本的に非常にかぶったものと戦っている集団だからさ、理由がわからなくてもだれかがうまくいって他がうまくいっていないとき、」
「その真因を見出してノウハウ化し導入すれば皆が同じようにうまくいくはずだ、と考えるんだよね。悪い言葉で言えば嫉妬や詮索と言っていいんだけどね、」
「ゲームでたとえることもできる。僕らがモンスターハンターを遊んでいて、みんなティガレックスと何度も戦うよね」
「はい」
「そのとき、Aさんだけがティガレックスの回転攻撃に毎回当たらないのよね、不思議ねえ、そうねえ、で僕ら済ませるわけないじゃない?」
「おおう」
「どういうタイミングでどういう入力してんの? って質問責めにして検証するし、たとえAさん本人がどう避けているのかを本当に自覚していないとしても、ビデオ設置して動画を撮ってコマ送りで観察してでも原因を突き止めようとするはずだよ。それでも原因が不明のままなら、なにか特定の装備の組み合わせによるのかなあ? 何着てんの? とかいっていわばプライベートなところまでどんどん追い詰めていく。」
「そしてもしそのどこかでAさんがなにかを隠そうとするような非協力的な態度をみせたとしたら、そんなの仲間じゃないよね。一緒にプレイできなくなるよね。そうじゃない?」
「ああー」
「部外者から見ればたったひとつのささいな当たり判定の話から、あっという間にかなり深くのプライベートまで追求が及びかねない。そういう性質の圧力が常に存在している、生活のかなり細かいレベルまで情報共有して日々を戦っている社会集団なわけよ。そこになんらかの秘密を隠しつづけるつもりで抱えて入って行くなんて必ずや失敗する。」
「そうした圧力にくらべれば都会における隣近所や児童相談所のお役人の干渉なんてそよ風もいいところ。」
「そりゃあ、都会では空間的に非常に密集していることによる他人の圧力ってのがあるし、それにストレスを感じるんだろうけれど、」
「田舎ではその空間的なストレスがなくなるのだから社会的な圧力がないだろうっていう考えには、血圧が上がらざるをえない。」
「こうしてまた何百人なりの楽観的な衆らが田舎に行くわけよ」
「田舎、が、要求仕様の項目のひとつにある感じはしますね。どれだけ貯金額あればあの暮らしできるのかな。」
「要求仕様満たしてる感は僕もある」
「要求仕様?」
「・田舎 ・母子愛 ・子供の成長と別れ とか企画書にそう書いてあるような気がする。それは満たしているでしょうと。」
「フィギュアスケートの得点技のようなものだ。ここでトリプルルッツ、そこで三回転半、ちゃんと決めてるでしょうといえるものだ」
「『で、トトロと同じ枠に流せるんだろうな?』『勿論で御座います』」
「そういうのは放映する側の理屈だけどさ」
「今回は細田守監督がマッドハウスから独立した一本目で、しかも日テレ配給で映画館の館数もどかんと増えて確実に当てなきゃならない。かつ、一年後にTV放映した時も視聴率取らなきゃならない、みたいな縛りは何重にもあったと思われる」
「そうかな」
「何重にも縛りがある作りに見えないんだよな…89分でなしに118分というのは、興行収入にそのままぶつかってくるハズだぞ」
「それでもサマーウォーズより短くなってるんだよね。ギリギリノーカットで金曜ロードショーで流せる長さ」
「いや、サマーウォーズは115分だから、3分長い」
「あれ、そうか」
「笑うな、って台詞のところもあってさ。あのクリント・イーストウッドが言うじゃない。『笑うな。なぜ笑っていられるのだ』」
「村のじいさん、韮崎ですね」
「あれは、どれだけ追い詰められても笑顔をなくすな、っていう主人公の父親の遺訓は、都会的な戦いの技法なんだよ。」
「自分がどんな大失敗をしてしまい苦境に陥ったとしても、社会的態度を保ち、人間関係を崩すな、という処世訓なんだ」
「人間関係を崩さずに保てれば、そこから援護を受けて、立ち直れる。それは都会での戦いの技法のひとつと言える」
「ほう」
「でもさ、農業はそれと比較して客観物理よりの戦いだから、失敗は失敗なんだよ」
「失敗したときに笑顔を保ってみせても、自然環境はあんまりそれを見ないから、次回もまた自然環境に負ける。」
「父親の遺訓はここではそれほど通用しない。クリント・イーストウッドが言ってるのはそういうことなんだ」
「ははー。そうすると、あそこではじいさんの理屈が勝つべきだと」
「そう。あの後のシーンで田舎のイーストウッドの理屈が勝つ展開にならず、都会の主人公の理屈が通ってしまうのは、田舎的に残念である」
「ふむ」
「あの雪山の疾走シーン、喧嘩、学校でのワンパンシーンが素晴らしかったじゃないですか」
「それはすごくある。蛇とか捕まえたり、大丈夫してって甘えるとことか、」
「ただ、似たシーケンスが何度も重ねられていくと、必然性が弱くてキメラ的な映像に感じられてきて、」
「なんでもっと削り込んで89分にならないのかと思えてくる」
「細田守監督って、自分も生粋アニメーターな所もあって、コメンタリーとかで聞くと、相当な原画フェチなんだよね」
「本人も、キャラがぬるぬる動いているの大好き」
「原画フェチはよく伝わってくるよ」
「そこがちょっといらっとくる」
「はは」
「『アニメ作画マニアにドヤ顔してる感』が半端ではない」
「いや、それは違うと思いますね」
「アニメ作画マニアよりも、彼ら自身がもっとも彼ら自身のうまさを現時点で理解できているんだから、」
「あの映画の作画スタッフと監督とが、それぞれ、自分の仕事を相手にドヤドヤしているはず」
「だから、予算がないから○○さんにいいシーンをあげられなかった、とか、あまり得意でない芝居を振らざるをえないとか、プロデューサーに言い負けて、描いたカットを切らざるをえなかったとかなかったんですよたぶん。」
「ああ、それで全部出来ちゃったんだ?」
「監督はそれでよっしゃどうよと。」
「作画スタッフは自分の腕を見せきれてどうよと。」
「ドヤドヤしているのは彼ら同士なんだと推測」
「そうだとしたらプロデューサーが必要な状況だよね。きみこれ89分で出来るだろうこれって」
「悪魔のような強力なプロデューサーが必要だ」
「『狼人間の子供が変身しながら駆け回る』とか『人獣を行き来しながら喧嘩する』とか、きっともうスタッフみんな描きたがる、おい、俺にもその場面振ってくださいよって」
「そこで、尺を切り詰めて興行収入を上げようという強力なプロデューサーがいたなら、そういうシーンも切り詰められてしまって一番上手いスタッフしか描けないんだけれど、これは二番手から三番手あたりまでもちゃんと振れている」
「だから、幼年時代に2回、子供時代に2回とかあったり、山の中を走るシーケンスが2回あったりでかぶる。」
「そういうの見てて血圧上がる」
「はは」
「けっこう、そこがモチベーションおおきめな方なのではないでしょうか、監督」
「作画スタッフが一番手〜三番手ぐらいまで活躍できるぶんの予算を確保できるぶんの要求仕様を満たせればいい?」
「あー、そっちの方が監督おっかけている僕的にはしっくりくるかも」
「AさんとBさんは確定で、今回はCさんにもアクション原画描いてもらって上達してもらいたい。だから野山を駆け巡るシーンは3つだ!」
「ふむ…自分の部隊が強力ならいい、というとこを強く感じる…たぶん、『どけ、俺が描く』とか、『この映画にはこれがどうしても必要なんだ、君には泣いてもらう』とか、比較上あまりしない、映画の『テーマ』とかへの思い入れが少なめなのもそれか…?」
「i agree」
「『彼はスタッフワークの監督であった…彼が自作のことを語るとき、それは彼がいかに優れたスタッフに恵まれ、彼らがいかにその優れた力を発揮し、彼と彼らがいかに祝福されたチームであったかだった…』」
「結婚と育児でいえば、後者にはるかに寄ってる、今回」
「だから結婚っていいなという話とは言いがたいかんじかな」
「そうかも>結婚っていいなという話とは言いがたい」
「父親不在の育児がさらっと肯定的に流れているところは僕はかなり気になる」
「単身赴任で金だけ送ってくる父親との生活と思えばよい」
「宮崎駿先生が千と千尋以降、ハウル、ポニョと、立派な大人はいないが、だいじょうぶだ、という世界観でやってきてるんで、」
「以前日記にも書きましたが(宮崎駿先生の近三作)、そのへんは踏襲したかたちになるのかなとは思いますね」
「ポニョの母親も性能高くないでしょポニョ。8歳とかの子供にもたれかかりますし」
「母親性能的には、今作の方がずっと上。というか彼女は極まってる。田舎暮らしソロプレイとか、難易度インフェルノだろう」
「確かにポニョでは父親不在だったな」
「ここらへん、現在絶賛育児中のKさん夫妻が今晩あたり、見るって言ってたから、」
「いやーこれまでの何作かちょっと苦手だったんだよねハハ、どうかな、って言ってたから、今作で怒り狂うのかどうか、知りたくはある」
「あはは」
「先輩的には狼男と主人公は愚か者なんでしょ」
「精神性は愚か者である。しかしもって、肉体的にはそうではない。」
「そこ」
「それがけっこう僕的にはポイントで、見れたんだと思うんですよね」
「ほほう」
「生物学的には…進化生物学的には、というかな」
「生物学的には、繁殖成功した生物は愚か者ではないんですよ」
「なるほど。うーん? どうかなあ。父親の責任が…」
「子供は大変なものだけど、夫婦で手を取り合い責任を持って作り育てましょう、ってやってほしいのだ」
「なるほど。たぶんそれは次回作じゃない?」
「いってみれば、近代らへんに子育てを核家族の夫婦二人の任務にした時に、親族の責任を減らしたとみなしてもよくて、その前の視点からみれば、夫婦しか出てこない映画は、親族の責任を描いてないともとれる。」
「アメリカの漫画界隈では、一時期、離婚家庭を描いてはいけないって時代があったらしいですが、片親の家庭を肯定的に描いたっていいわけじゃないですか?」
「というか、失礼な話だけれど、監督ご夫妻にはまだお子さんはいない筈なのよね」
「そのへんだと、スタッフワーク的重視的には、この、一児の母でもある女性脚本家 奥寺佐渡子女史の話になるのかもしれない。」
「う?」
「ここだな。まあ失礼な話だけどさ! http://wired.jp/2012/07/21/interview-hosoda-mamoru/2/」
「えーと奥寺佐渡子さん http://www.nikkatsu.com/interview/2007/04/vol15.html」
「丁度大学卒業の時で就職先も決まっていたので、そのまま普通に働きながら3年ほど深夜番組の台本を副業で書いたりしていました。」
「働いていたのは石油会社なんです。「新規事業開発本部」というところで、ガソリンスタンドの空いた土地をどう使うか考えたり、お店を開いたり…ガソリンスタンドにコンビニをくっつける事を考えたり…それはそれで、とっても楽しかったんですよ。」
「うあ」
「インタビュー後記 とにかく奥寺さんは、とっても強い方だと思いました。仕事が奥寺さんを強くしていったのでしょうか。その感じ分かる気がします。」
「これは…」
「この人だー!」
「『インフェルノ?あっはい私したことありますよ』」
「はは」
「『べつにファンタジーってことはないですよ。まあ大変ですけど』」
「うああ…というか、80年代、バブル期に、20代でお茶汲み要員じゃないってことは、普通にエリート以上だぞこの人」
「企画考えてんですもんねこれ。それで昼夜の二足のわらじで、育児して…ああ夜勉強するわ…」
「超人だな」
「立派な会社つとめてるんだから、わざわざそのうえにみずものの脚本業に挑むなんて、やりすぎかもしれない。だがそういうことをやりとげてきたわけだ。それらの挑戦が賢いのかどうかとかいったことは、ともかく、強いんだ。賢いのかどうか問うてあんまり立ち止まったりはしない」
「これは、それは貯金あるわ…」
「1年2年子育てだけやってたって、お金なくならんよ」
「なんてこった」
「バブル映画だったことが判明してきた」
「ははは」
「でも時代的にもそれくらいかもしれない。公衆電話が活躍する映画だった気が」
「やはり人間、自分のやれてきたことをこそ確信を持って描きうるものだということなのか」
「ああ、携帯電話のない世界のプロットだったかな」
「これはあれだな、」
「Kさん怒りの30分語りコースが聞ける線だな」
「ぜひログを残して頂きたい」
「風呂いってきますー」
「はは」
「僕も風呂」
「はーい」
「おおかみこどもの雨と雪」 [映画] 妥当な細かい指摘。
『おおかみこどもの雨と雪』におけるヒロインの怖さ ゲロ映画としての評価、本棚からの読み。
「おおかみこどもの雨と雪」評。生は喜びで満ちている もののけ姫と並べて、「笑うな」等の解釈。
『おおかみこどもの雨と雪』を観てきた(ネタバレあり) 間違える母親であってもなんとかなるよ、大丈夫だよ、という評価。
ニコ生岡田斗司夫ゼミ「さあ、道徳の時間だ」〜いじめ・原発・細田守〜 1:16:40〜1:32:40あたり。「富野先生になめられているのではないか。」泣くに泣けない映画なのかどうか。
「おおかみこどもの雨と雪」の衝撃 富野由悠季 むむ…部分的に抜き書きすると、なるほど大絶賛しているコメントになるのだが、このテキストはなかなか手強く、一文一文に嘘が書かれていない気がする。富野先生の類稀な文章能力がここにも輝いているのではと感じる。