指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

キル・ビルの絆創膏と女の子いじめ

 キルビルvol.2観て来た。

 このお話への絆創膏の当て方、実にお上手です。



 基本構造は前回同様、主人公をきつくいじめる→大反撃です。いじめがどぎついので反撃のどぎつさと拮抗し、そこここに配された間抜け描写がそれらを中和する。こうして、全体として絵面の派手な悪趣味さを維持しつつ、飲みほせるように仕上げています。しかし今回の話、脈絡のつなぎかたの手並みはただごとではない。


剣を捨てたヘタレ弟→ヘタレなりの勝ち方で主人公をボコり前作末尾でのパワーバランスをリセット→

観客と主人公をみっしりといじめる(外側に助けがいないことをマリオを通じて暗示してある)→

突然焚き火を囲んでファイブ・ポイント・パーム・エクスプローディング=ハート・テクニック(*1)の連呼でとぼける→昔話のスカしたオチでスカす→

特訓で主人公をいじめる→

いじめのネタであった特訓でもって脱出→

岩漠の上に空を広くとったカットで一息つかせる→

ヘタレを始末しつつコスプレナースの極悪/まぬけ度Up(ヘタレがヘタレであることは既知だから主人公のお手を煩わしては見苦しい)→

コスプレナースに反撃→

(ビル父の描写によりビルとの和解ルートフラグをふさいでおく)→

御子さんを投入して盛り上がりを大スカししつつ、ハッピーエンドルートおよび防衛課題の提示→

情操教育を語りつつ包丁を振り回して緊張度を復元→

クライマックス。会話モードと暴力モードを頻繁に鮮やかに切換えつつ、アメコミ話の絆創膏を使用して第一動因の謎(なぜビルは撃ったか)を回収→

新ネタのアクション、そして*1のファイブ・ポイント・パーム・エクスプローディング=ハート・テクニックで決着させる→

ハッピーエンドとクールダウン→

長い趣味的スタッフロール→

おわびにサービスカット、end

 さて、エンターテインメントなフィルムでは、その間違いっぷりは時間とともにふらふらと上下しています。間違いっぷりの度数が視聴者の合理性判定回路の閾値を越えたカットでは、視聴者が怒ったりしらけたりします。しかし、ある種の娯楽性(※攻撃型)の根源は間違いっぷりの根源と同じ所にあるので、その二者をいかにトレードオフし、あるいは止揚するかが制作者の腕の見せ所となります。

 ここで後者の手法のひとつに、絆創膏というものがあります。ビルとの対決シーンでいえば、スーパーマン話がそれです。

 絆創膏フィーチャーは、フィルムにおいて間違いっぷりが目に付きやすい、ピークとなっている、ボロが出る、傷になっている部分に投入されて、視聴者の合理性判定回路を一定期間不活性化する囮、目眩ましです。北斗の拳で人体を爆破するのが「大見得」であり、間違いそのものを見せつけ、視聴者に「ワハハハこの大バカどもめが」という突っ込みを入れる権利を渡す、つまり間違いそのものがエンターテインメントである攻撃型のフィーチャーであるとするなら、絆創膏は、ゆるやかに間違った物語の展開を補強し保護するための防衛型のフィーチャーです。

 絆創膏フィーチャーは、本来は、映画の世界観とは独立した別の世界のものであり、そこから切り取られて、映画内に持ち込まれます。そして本来の世界の論理/世界観に基づく説得力を発揮して、傷を隠す絆創膏となるのです。

 女の子をきつくいじめるお話は、日本男子をたいへん喜ばせるものであり、王道です。これを理解しているところも監督の理解しすぎなところですが、なぜ女の子に不幸がびしばしと投入されなければならないのかという説明は、日本女の子いじめ話の多くでは、ゆるやかに間違った物語の設定部分に任せられます。つまり、女の子は兵器であり、それが不治の病である(最カノガンガル)。あるいは、世界の真実を知るのがその女の子しかいない(ナウシカ)。しかしキルビルでは、この説明を謎の第一動因「なぜビルは撃ったか」としており、これは勝負の短くて設定説明の時間をおしむ映画媒体ならではの処理ですが、決して楽な選択ではありません。視聴者の興味を引く謎である以上、その回収には芸を見せる必要があり、それは近年いっそう困難になってきている技です。

 ここでその困難をしのぐのが、ビルのスーパーマン話なのです。(a)引退して世間から引っ込みたいというくのいちを、愛し、子までなしているビルが、なぜ、かくも残酷にいじめなくてはならないのか? それは(b)アメコミヒーローの中でスーパーマンが、そしてスーパーマンだけが、クラーク・ケントに「なる」からだ。 この(b)はそれ自体は正しく、そして一定限気の利いた、アメコミ読者が耳を傾けるに足る言説であり、したがって視聴者はアメコミ読者としての立場から、その言説の正しさを認めざるをえません。

 問題は次に、命題(c)「命題(b)によって命題(a)が説明される」に移るのですが、この(c)の怪しさを疑う視聴者がそれについて考え込んだ時には、話がアクションシーンになってしまい目が奪われ、あるいは次のカットの演出に力があれば心が奪われ、やりすごされてしまいます。(このへんの論法について参考文献『ゲーデルエッシャー、バッハ』)

 これが絆創膏です。強制的に時間が進む動画メディアで効果的な小技といえるでしょう。



 それはそれとして、ユマ・サーマンのあの髪型と顔は、血と泥がよく似合いますね。今回、キルビルの女の子は、「女の子をいじめるのは楽しいが、いじめすぎてはいけない」という女の子であり、女の子いじめを謳歌するわれらが日本フィクション世界の文脈を、よくもまあおさえつつ一歩進んでいるもんだ、この理解っぷり大丈夫か? と不安になることしきりです。世の中には恐ろしい人がいるものです。

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