わかったとしてもわかってない/発想の経路と採用の根拠
茂内さんid:AYSと電話で喋ってて流れ込んだ話。
発想の経路と採用の根拠は違う。混同しがちなので注意しなくてはならない。
例えば。ストリートファイター1はパンチ/キックボタンが巨大なゴム製のやつ2つで、それぞれ拳で叩いて大中強を入力しわけさせてたわけだが、これは格闘の表現として肉体寄りで、リアルさを志向したものという感じがする。
感じはするが、それは雑だ。この「感じ」は、正確には2つに分けて整理したほうがよい。すなわち制作者の発想の経路と、制作者の採用の論理とだ。
発想、思いついたときには、「格闘って本当はボタンひとつでパンチひとつ打つもんじゃなくて、打撃の重さが違うんだよな」という脈絡で、あのボタンのアイディアが思いつかれたのかもしれない。それはリアルさに基づく思考だ。
だが、あのボタンがゲームとして面白いか、商品としてペイするか、という、採用不採用を考えるときの判断の論理は、それとは違うものを根拠におく。あのボタンがゲームとして面白いかどうかは、リアルさに基づいて考えるものではない。
あの監督っていつもこういう発想でものを作るよな、とわかった気になることがある。しかしそれはたぶん、彼の発想の経路を読み切ったのであって、彼がそれを採用した論理はまだ、わかっていないのであろう。またひとつ世界が難しくなった気がした朝であった。
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