安い正しい
馬場秀和のRPGコラム2004年7月号
馬場さんのコラムの新作。円盤な青春が熱い。
さてその枕部分にこういう一節がある。
(RPGでストーリー重視とか言う人を問い詰めると、良いストーリーとは何かが定義できていない。なぜか?)
答えは簡単だ。その人を感動させているのは、ストーリーではないからだ。
そもそも、RPGのストーリーに大したものはない。ハリウッド映画の超大作と同じように、通俗的で、分かりやすく、安っぽいものばかりだ。違いますか? ハリウッド超大作を観ても感動できるのは、実のところ登場人物に感情移入するからに他ならない。キャラクターへの感情移入が、批判精神を一時停止させて、あたかも自分あるいは自分の大切な人が、実際にそのような体験をしているかのように錯覚して、そのことに感動するのだ。観客はストーリーにではなく、疑似体験に感動しているわけだ。
(感情移入は思い入れであり、思い入れはキャラ萌えであり…)
通俗的で、分かりやすくて、安くて、どこにでもありふれているものが、重要であり、人を感動させる、良いものである。これは非常によくあることなのだ。100回聞いたようなべったんべったんの人情話が人を泣かせる。それらは二束三文の駄作でも用いられているかもしれないが、だからといって駄作の証拠ではない。安いものを見つけたら、それが安いのは、正しいからではないか、と考えるべきだ。われわれは他愛のない真っ向からの背負い投げをくらって脳をぐらぐら揺らされるものだ。ストレートな衝撃こそ、短時間で脳に通じやすい。
理屈屋が作品を論じるにあたっては、安い部分は、使いづらい。正しい安物をそのまま正しい安物に書いては理屈屋ではない。それでは理屈にならない。理屈屋の技は、ストレートな衝撃が通り過ぎた後に、同じ題材からより細緻な枝を伸ばして読み手の脳の奥に届かせることだ。その快楽の基本は「わかった、理解した」感覚を発生させることであり、一種のパズルを提供して解かせるものだといえる。だから、瑣末な部分にこだわったり、無駄に高い部分を評価したりする必要がある。ここには、理屈自体の面白さと、その重要性との、トレードオフがある。いにしえの言葉でいうと、真・善・美のトレードオフだ。このトレードオフは、同じ形のものがたとえば映画と人生との間にもある。
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