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わかるという体験は信用できない

 わかるという体験は信用できない。たとえば今年8月18日前後、僕はコンピューターRPGのプレイヤーと経験値や貨幣、報酬と並列独立式の処理について「わかった」ので、いそいそとその話を去年のエントリーに追記した(CRPGの最適化と確認の脚注)。ものすごく嬉しかったし楽しかった。しかし、それ以前の数ヶ月ほど、僕はCRPGと解発行動とに、なんらかの関連性があるんじゃないかとうっすらと、ずっと意識していたのだ。そして「わかった」瞬間にも、それはふたつのことがらをつなぐ理屈が組み立てられたというより、それらについて文章を書こうという決心、そのふたつの関連性について時間投資するに足るという小確信を得たというべきものだった。理屈はまだその時にはろくに得られておらず、その確信の後に、文章を書くことで組み上げられた。

 たぶん人間の脳は、それまで別々になっていた2つの概念神経網*2の間にバイパスを作るときに脳内物質を分泌するのだと思う。かなり適当で与太な推測だけれど、おそらくそうだ。思考のスポットが何度も何度も2つの概念神経網の間を行き来しているうちに、ショートカットが形成されて、その開通式の時に松果体だか何だかから何か出る。それで血圧が上がって愉快になるのだと思う*1。しかし、バイパスを作ること、CRPGのことが心に浮かんだ時に解発行動のことが心に浮かぶようになること、ふたつの概念の間に関連性があるのだと感じるようになることは、ふたつの概念の間を繋ぐ関連性の理屈を得たことにはならない。具体的にどのような理屈がそのふたつの間にあるのかは、小確信を得た後、文章を書いてみなくてはしっかりしない。

 だから確信を得るだけでは不足で、文章さんに聞いてみなくてはならないし、ぜいたくを言えばさらに統計的に有意になるまでデータを集めて、実験もして実証するのが望ましい。そして自分が応用するか、誰かの応用になれば……ぜいたくを言えばそうなる。

 逆に苦行僧や神秘体験系の衆らはこの確信だけを得て、文章と理屈とを組もうとしないでいる。悟りというやつ。特に禅宗の衆らは言葉の届かない領域で悟りを得ようとするので容れ難い。人間が自分抜きでこの世の重大事に理解と確信とを得ようとするなど、文章さんにとっては許しがたい僭越なのだ。問題が解決されたとき、その脇に自分が立っていないだなんて、どうして文章さんが納得しようか。扉に鍵をかけて文章さんを締め出して、何をやっているのか? そんなに脳神経系が好きか?





*2 概念神経網

 適当な造語。ある概念を形成する脳神経のつながりのひとかたまりで、『心の社会』(マーヴィン・ミンスキー先生)で言うK-ライン。



*1 血圧が上がって愉快になる

 僕はたいがい椅子から立ち上がって周囲をうろうろし、シャドーボクシングかなにかひとしきりやってから、知合いに電話をかけたりする。

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