坂本龍馬先生に誓って
「そういう本か。秀吉に学ぶ、みたいな」
「坂本龍馬とかね。もう一杯もらえる?ありがとう」
「どうぞ。坂本龍馬先生は…あれは、やくざの手打ちみたいな。」
「何それ」
「ひとつの見方ですけど。明治維新前後では、いろいろな勢力が動きまわって幕府を倒したわけですが、じゃあそれですぐに新しい王様ばんざい、みんなはいつまでも仲良くすごしましたとはいかないわけですよ」
「ふむ」
「表裏に派手に駆け回って社会と階級構造をゆさぶり、掘り引き崩したのですから、その直後の権力関係というのは非常に不安定で、誰も互いに簡単には信用できない。クーデターの後にすぐまたクーデターが起きたり、内ゲバとか粛清で互いに吊るしあったり追放したり、どんどん起きる。」
「倒幕したからといって、さてでは倒幕した人々の願望する未来はまたそれぞれそうとう違うベクトルでばらけていて、羊羹の切り方の対立もしているわけですしね」
「革命とかクーデターとかって、成功した後にけっこうよくそれをした人たちが死ぬんだよね」
「明治維新でも西郷隆盛先生は内戦を起こして死ぬし、板垣退助先生も下野したり刺されたり忙しいな」
「だからたとえば薩長土肥四藩どうしでですね、おうおう、まあまあ、まずは倒幕めでたいじゃないか。それで俺たち四藩はだな、おうおう、まあまあ、互いに言いたいことは、いろいろあるとしてもだ、基本的には四藩でバラけない。この四藩の体制で続けていこう。裏で切ったり組んだりパージしたりは無しの線でいこうぜ、と、そう言いたいわけですよ。あいつ一藩だけ蹴ろうとか囁き合うようなのはよそうぜ、と。でも、これこう言うとけっこう長いし、品が足りないというか、リリカルが少ないじゃないですか。それにこうやってそのまま言うのって何か逆方向のニュアンスが含まれちゃうところがあると思うし」
「フムン?」
「そこでそのかわりにこう言うんですよ。坂本龍馬は偉い男だった。坂本龍馬は未来に大きなすばらしいものを見ていた。彼は道なかばにして倒れたが、俺たちは彼の志を継いでこの国を彼の目指した地平まで導いていかなきゃならない。俺はそう思う、お前もそうだよな。ああもちろんだ、坂本こそ偉大な男だ。それだけは忘れちゃいけない。」
「こう言うことで、坂本龍馬がまとめた薩長土肥四藩の同盟を、裏切らない、という言明になるわけです。だって坂本龍馬が命をかけてまとめた同盟ですからね。そのために各藩の反対派から狙われたりしたわけですから。」
「うちとこの藩では若いのに龍馬の話を語り聞かせて、毎年、供養に参加させてるわ。おう偉いことだ、俺とこの藩でもこんど龍馬のTVドラマを作ることにしたんだわ。そいつは実に素晴らしい。こうした礼賛と活動のひとつひとつが、この同盟の線でいくよ、裏切らないよ、という言明になるわけです。」
「そして、龍馬はそこで死んでしまったので、今ならどんなことを考えてどんなことを言うのか、特定の目的のためにやはりどれか一藩蹴ることにしようと考え直したりといったことはない。死んでしまっているんで。」
「政治的意味の凍結された象徴、死んだ英雄というやつだな。リリカルな誓言か…」
「『龍馬は偉大だった。その志を継ごう』 腹にあれこれ持ってる古参にも、素直な若者たちにも、どちらにも文言は同じで言えるな」
「すごい言いやすくていいですよね。」
「なにしろ、明治維新の前後で壮大な夢に殉じて死んだ人なんてたくさんいるわけじゃないですか。その中でどうして坂本先生だけ特になにか魂のレベルが違う人的な扱いをされるのか。ちょっとこういった面の意味もある気がするんですよね」
「じゃあ今、偉大な龍馬に学べっていう本やドラマを作るような人は」
「そう、薩長土肥が百五十年を経た今でも一朝事あらば国を割って、藩どうし吊るしあいを始めるやもしれぬと疑っている、そういう考えもなしとしない。ははは」
「またまた。ははは」
「うーん?」