指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

シン・ゴジラネタバレ感想その2

三度目を見終えたのでいくつかメモ


























・女特使はラブコメアスカと思って見るとなるほどかわいい
  「アンタたちなんて見下してるんだからね!」
 →「タメ口でいいって言ってるんですけど!」
 →「帰ってこいって言われたんだけど…私、帰らないわ」
 →「私が妻であなたが旦那でもいいわよ??」


・最後の演説の直後に「ヤシオリ作戦協力民間企業関係者」という字幕を確認できた。
 作戦時にこれら民間技術者と自衛隊員とが被爆・死傷していると思われる


・第一戦で攻撃命令が長い連絡線を行ったり来たりするが、これが最後の「お前、指揮官がなんで前にいく」の前振りになっていると言える。実際に最終戦で「問題がありますがどうします」という問いが数回あって、「それは本質的ではないから続行」という命令が即座に出せているから、意味があるという描写にはなっている


・気づいていなかったが最終戦の前線指揮所には安田がいるっぽい


・総理が「今、ここで決めるのか!?」とうろたえる芝居があり、つまり、それ以前はすべて事前に説明と決定があったということ。官房長官が「(はい、利害関係組織が一通り存在を主張し終わりました。ここで打ち合わせ通りのご決定をどうぞ)」というのを毎回やってきた。
 それが、急変進行する危機のなかで、事前打ち合わせなしに芝居でなしに組織を動かせる首相になっていく。
 その成長の頂点で死んでしまうという理屈に沿った脚本になっている。


・赤坂の、また彼の将来像である官房長官の立ち回りというのは交通整理である。個々の課題を、それに関わる複数の政治権力の間のバランスの最適な落としどころを見つけるべきものととらえていて、その把握と取引とだけに専心しようとしている。「俺は権力者じゃない、交通巡視員だよ」といったところだ(そこにこそまた巨大な権力があるのだが)。
 世界に誰も解決策を知らない新しい問題などなく、ただ複数の組織のうちのどれがどれだけコミットし、どれだけリスクとリターンを分割するかの手柄争いに過ぎない。「誰も気づいていなかった新しい解決法を僕が見つけました!」などというのは自分が英雄になれると舞い上がった作業者の譫妄だ、という考えの持ち主であり、それが「うぬぼれるな」という台詞として出る。
 そうして怪獣騒ぎは矢口に持っていかせて、「成功しても失敗しても政治的イベントにすぎない」とうそぶいていたのだけれど、核攻撃は彼の世界観の枠を越えていて、唯一動揺した顔芸を見せる。そして矢口に相談をしに行く。
 最後の面談は赤坂が矢口に嫌味を言ってマウンティングしている絵面だが、実際には「こっちは追い詰められてしまった。お前のほうの成算はどうなの」という弱音を吐いていて、それをあくまで自分が力及ばなかったのではなく客観的合理性に従っているのだ、というレトリックで覆っている。


・今回、ほぼ唯一、ゴジラ側に感情移入させそうな箇所は、バンカーバスターくらったところでよろけうつむいて「悲しいぜ〜♫」みたいな曲が流れるところなのだけれど、そこから流れるようにスーパー大逆襲に続いていくので、「ああ、憐れな…憐れどころじゃねえ!!!?」
ってなるので結局感情移入させないつくりになっている。

シン・ゴジラネタバレワンポイント

「じゃあネタバレ部屋作りますね」

「オーケイ」































































「はい」

「ここ?」

「ようこそ」

「どうでした」

「ダメどころは色々あるな。まず、アメリカ特使のキャラ付け…



…あとゴジラの立ち位置に依存しすぎる最終作戦。ゴジラがあそこに居続けてどこかよそに行くことを考えない」

「んーそれは、そこは一点、あなた方に言っておかなければならない」

「なに」

「最後の決定打が盛り上がらないとか、顔をむけて倒れること、機材のスペースがあることの都合良さ、といったことを言う向きがあるが、そこは失礼ながら重要なポイントを逃していると申し上げたい」

「なによ?」

「それはこの映画が、『ポンプ車にゴジラを倒させる』ための映画だ、ということです」

「??」

陸自の20mmガトリングから始まって、ひとつひとつの兵器が通用せず、適切に順番に火力が増大して、ついに世界最強の通常兵器バンカーバスターまでエスカレートしても勝てない。そして場所は日本の人口の中心、東京駅。その絶体絶命の大危機の、最後の救世主が、3個小隊のポンプ車だと。最強最悪の巨大生物ゴジラを倒した決まり手は、ポンプ車の注水だった、という、この決勝点の絵面を写すために、おおよそすべての設定と展開がある。それまでの努力とそこからの未来の、すべてを託されてゴールを決めたのはポンプ車なんだと」

「なるほど?」

「ポンプ車作戦の実行の詳細が描写されない、わからない、といったことをおっしゃる向きもあるが、そこはぜひわかって頂きたい。ガレキをどけてスペースを作り、四苦八苦ホースを伸ばしつないで注水する、それはもうわかっているのだ。フィクションのほうで長尺の描写をやりすぎては尊礼を損ねるというものだ」

「どうしてそこまでしてポンプ車にこだわるのか」

「バラバラな仕様のポンプ車を全部使ってやるんだと。どれが使われた、どれが使われなかった、とかじゃない。そんなことガタガタ言ってんじゃなく、集まったポンプ車すべてが英雄なんだ、全部活躍させる、させたい、ブーンドドドさせるんだと」

「倒れた口にホース突っ込んでゴクゴクというあの絵が全然かっこよく思えないけどな。都合よく届くのかとか、政府が苦しんだ想定外がまるで起こらないし、人類側の作戦がそこまで上手に決まってほしくないという感情もある。これまで数々のスーパー兵器を退けてきたゴジラが倒されるんだから相応の説得力がほしい」

「そうかな。もう『ポンプ車で勝った!!』『うおおおポンプ車だあああ』という感想で脳内のタイムラインがいっぱいですけど」

「どこだよ」





当時の記事 http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2200I_S1A320C1000000/

中央建設株式会社記事 http://plus-mie.jp/fukushima.html

一緒に見に行った土屋つかささんのネタバレ感想http://someiyoshino.main.jp/nowornever/?p=88


spcateg漫画/アニメ/映画[漫画/アニメ/映画]

不在の…いや、存在する!/サウルの息子

「それでさ、今回の」

サウルの息子

「もう傑作だね! これも、みんな死んじゃう系でしょ」

「死にますね」

「やっぱり高い高い死の壁に四囲を囲まれてて、絶望しようと、抗おうと、戦おうと、狂おうと、どうしようとも死ぬ。人間として強かろうと弱かろうと、善かろうと悪しかろうと、賢かろうと愚かだろうと、あまりに高い死の壁の中では、ごまつぶの背丈がわずかに凸凹しているだけで、意味がない」

「ふむ…主人公はヘマばかりで、身勝手で、仲間の足を引っ張りまくりますけども」

「仲間って言ったって、そもそもが同胞を騙しなだめて屠殺場まで連れて行く、死の羊飼いをやることで、数ヶ月の生をながらえている背信者たちなわけだからね。だから、いったいなにが裏切りなのか、なにがヘマなのか、もうすり切れてしまっていて区別がつかない。その無意味さの中で、存在しない息子を弔おうと執着して、危ない橋を渡り続ける。この映画はその執拗さを延々写していく」

「むー?」

「主人公があくまで執着する息子。その息子が、意味がなく、死んでおり、そもそも存在しない。主人公の執着対象がいかに存在していないかが明示されていく。存在しない息子。屋内に閉じ込められている鳥が、なにもない空間で虫をついばむ行動をとるようなものだ」

「なにかの代償行為ということですか」

「そういったものなのかと思う。そしてその死体もついに、流されてなくなってしまう」

「渡河するシーンですね」

「もとから存在しなかった息子が、ついにその死体も消えてしまう。と、そこに、その意味のなかったポインタ、虚無の場所に、生きている少年が立ち現れる」

「あの目が合う子ですか」

「金髪碧眼のあの少年、あれは

 ・ナチスではないが、

 ・ナチスのやったことを見ていた、傍観していた──『知らなかった』ではない、

 ・戦争中は声を上げられなかった──口を塞がれる演出、

 ・生き延びて敗戦後の国を継いだ、

という少年、つまり、お前たち国を継いだ人間、この少年がお前たちだ、という含意になっている」

「えー」

「これはもう明々白々、めちゃくちゃわかりやすい。論を待たぬといえる。そして、それに対して主人公が微笑む。ここが真のポイントだ。ここまで表情を抑えに抑えてきた主人公の、満面の笑み。これで、その少年が主人公の息子だ、という意味になる。この二人は血縁もふれ合いも全くない、言葉も心も交流しないまるきり無縁の二人なのだが、しかし、この最後のワンカット、執拗な90分のあとの1分のシーンでもって、息子になる。ここまで執拗に、意味がない、死んでいる、存在しない…と描かれてきた不在の人格、主人公の息子に、突如、意味が付与され、生き、存在させられる。それは、お前たちだ! スクリーンのこちら側にいる生者なのだ! こんな強引で鮮やかな技があるのか!! すごい構成だ!!」

「ノリノリですね」





参考: 町山智浩氏の 『サウルの息子』の息子とラストについて

spcateg漫画/アニメ/映画[漫画/アニメ/映画]

みんなちがって、みんな死ぬ/野火

「野火の話はしたっけ。去年の、塚本晋也監督の」

「聞いてない…と思います」

「戦争映画の傑作でさ。みんな死んじゃう系。いばるやつも死ぬ、せこいやつも死ぬ、若僧も死ぬ、ベテランも死ぬ。人間性を捨てたやつも死ぬし、捨てなかったやつも死ぬ」

「みんな死んじゃう系」

「こうすればよかったのでは、という選択はなく、こうすれば生き延びれたのでは、といった道もない。それがしっかり説明されていく。賢ければ生き残れる、なにか知恵がまわれば生き残れるみたいな状況ではない。四囲を死に囲まれて、その死の壁が十分高いので、その中で賢さや人間力やらをくらべても、ごまつぶの背比べが凸凹してるだけで死んでいく」

「壁」

死の壁のなかでぐずぐずと、たがいに空気を読みあいながら死んでいく。軍隊は、軍規と、命令系統と、兵站とがあるんだが、海軍が輸送艦をぼこぼこ沈められてるのに、陸軍は前のめりに兵士を送り込むから、兵站がなくなって下から崩れていく。兵站がなくなり、命令がなくなり、軍規がなくなる」

「組織として崩壊していくんですね」

「そう、まず組織として、次に個人として崩れていく。そして各人が人間性を、一部を残しながら捨てていって生き延びていくんだが、どこを残しながら捨てていくか。残しかた、残す部分が人によってちがっていて、バリエーションがある。それがみんなちがうんだよ、という映画だ。みんなちがうが、そこに優劣はなくて、どの残し方をしたら生き残るということはなくて、みんな死ぬ」

「みんなちがって、みんな死ぬ、と」

「うまいことを言うね。この、こうすれば生き残ったのでは、こういう人間性の残し方なら生き残ったのでは、という、ごまつぶの背比べを、丹念に描きながら丹念に潰してある。予算はないかもしれないし、歯がきれいなのが気になったりもするが、すみずみまでしっかり作り上げられた戦争映画だ」

「ふむふむ。あ、すみませんー。この…だし巻き卵を。あと…?」

「ねぎの焼きびたし。それと、これを、ストレートで。はい、お願いします」



spcateg漫画/アニメ/映画[漫画/アニメ/映画]

西住みほはいつか死ぬ/ガールズ&パンツァーを兵士の映画とみる

ため息をつく西住みほ

「ああ、ガルパンはいいですね。先輩は何回目なんですか」

「これで3回目だね」

「よく見ますねえ。ミリオタとして闇の成分が足りないとか言ってたじゃないですか」

「うーん…それが…ふむ」

「?」

「ちょっと思いついたことがある。食いながら話そう。何を食べたい? タイ料理屋と、よさそうなおでん屋、あともうひとつ和風のところを見つけた」

「おでん屋でお願いできますか」

「いいね」



ガルパンを戦争映画、兵士の映画として見ることは、やはり可能という気がしてきた──明博君、きみはガルパンを戦争映画として見たいかね」

「二次設定とかの話ですか?」

「いや、TV本編とOVAと劇場版の情報だけからいけそうだ。まず…あの熊のボコを、死のメタファーだと読む」

「おっ メタファー」

「傷と包帯だらけのボコ人形は、明らかに死のメタファーだ、としよう」

大七はこっちです。はい、どうも…どうぞ。では…乾杯!」

「乾杯! …いいね。それで、あのボコワールドで、着ぐるみショーがあるだろう」

「ありますね」

「あれは『負けるとわかっていても立ち上がり、抗い戦う、それがボコだ』というテーマだ。つまり、『死ぬとしたら今日ではなく、明日だ』という言葉がある。兵士の言葉だな。『死は避けられない。あんたも死ぬし、俺も死ぬ。皆いつか死ぬ。だが今日じゃない』絶望するような戦場で、それでも立ち上がって今日一日を戦い抜く、それが兵士だ、Live another dayだと」

「はあ…?」

「着ぐるみショーでの『ボコ、がんばれ、ボコ、がんばれ』という声援は、ボコと自分を同一視している台詞だ。励ましているのは自分なんだ。島田愛里寿も同じ声援を送るが、あの二人は二人とも、死に共感している。死の中の生だな。死の中にあってその恐怖に抗い立ち上がり、一日一日を戦い抜く、それが兵士。Furyと同じテーマだ。ガルパンは実質フューリー」

「大丈夫かぁー はーい、こっちです。よし。よさそうですね。頂きます」

「いただきます」



「西住みほの発言を見てみるとだ;


3話麻子に「危ないから中に入って下さい」

4話 弾道に息を呑み、被弾をまぬがれて吐息→「車内は大丈夫だよ」

「めったに当たるものじゃない」→当たらないとは言ってない→いつかは当たる(だが今日ではなく、明日だ)

ガルパンの感想で、戦車道について、『カーボンで車内が安全とか言ってるけど体乗り出してるじゃないか。なぜか当たらないことになっているじゃないか。そこは言わないご都合の、お約束の世界観だ』という意見を聞くことがあったが、そう読まなくてもいい。西住女史の発言は、一貫して、『いつかは当たる。それはわかっている』と言っている。本人がずっとそう言っているんだからな。『(いつか当たる。だが、今日じゃない。私はボコだ)』ということだ」

「女子高生がですか」

「女学生が死傷の危険を冒すなんておかしいのでは? と、一見、思うが、オリンピックやマラソンの中継を『この選手は去年、二度、疲労骨折しました』なんて解説を聞きながら見てたりするし、皆が拍手喝采で喜んで見てるチアリーディングや組体操のピラミッドで、首の骨折ったりしてるからね。そういったものに近いのだろう」

「いちおう…理屈は通ってるのかなー? いずれ死ぬことへの達観と、その達観を持ちながらボコを応援することが、イマイチつながらない」

「ボコは達観してるキャラであり、西住みほはその達観に憧れている。死を前にしてなお立ち上がり戦う、その覚悟ができるボコに憧れている」

「戦車から体を出してるみほは、それが役割だから死に面してるけど、達観しているわけではない?」

「『ボコは私だ』ではなく『私はボコだ(ボコでありたい)』」

「うーん?」

「ああー次作ではヨルダン高校のザイアダイン隊長と戦ってくれー 『きみは兵士だから戦う、ただそれだけだ。銃が自分は撃たねばならぬと知っているように、兵士は戦わねばならぬと知っているだけだ。だが、銃が撃つのをやめたら、こわれたら、もはや無でしかない。きみもおなじだ、西住みほ。撃つことをやめたら、死んでしまったら、神はなにを見いだす。無だ』って言われてくれー」

「なんですかそれ」

「ライアルの『砂漠の標的』だよ。全ページがこれぐらいかっこいいのでおすすめ。そろそろ行くか」

「はい」

「すみませーん。お勘定。はーい」

「なかなかよかったですね」



「タイトル…なにか強めの釣りタイトルなにか。『西住みほはいつか死ぬ』とか?」

「『戦争映画』の一言が入ると良いけど、『死ぬ』のほうがインパクトあります」

「『西住みほはいつか死ぬ/ガールズ&パンツァーを兵士の映画とみる』」

「良いのでは」

「:)」



spcateg漫画/アニメ/映画[漫画/アニメ/映画]

マッドマックスFRのストーリー ひとりめ:旅人マックス

幻影の少女

「ストーリーのない、頭からっぽにして見る映画だ、なんてコメント見ていったけれど、どうしてどうして、ストーリーみっちりみっしりあったね」

「ほほう?」

「あれはさ、6つの感情曲線が巧妙精密に編み込んであるのよ。すなわち、旅人マックス、戦士フュリオサ、囲われワイブズ、少年兵ニュークス、老婆バーバリーニ、老首領ジョー。この6本の感情がそれぞれ、希望 → 絶望 → 再起の曲線をたどるつくりになっている」

「というと」

「表に書くとこうだ」

人物希望絶望再起
旅人マックス逃げて生き延びる過去の記憶からは逃れられない人を救うために目標を示し共に戦う
戦士フュリオサ逃げて故郷に帰る故郷は失われていた故郷を勝ち取るために戦う
囲われワイブズ姐御についていって逃げ出す姐御が死んでしまう自ら勝ちとるために戦う
少年兵ニュークス立派に戦死して老首領に承認される失態から老首領に否認される恋人と生きるために戦う
老婆バーバリー植物を再び育てるどの土地の土でも育たない砦に種を持っていく
老首領ジョー健康な跡継ぎを得る子も女も死なせてしまう砦を守るために戦う

「ふむー?」

「ひとりめから話すか。この旅人マックスはさ、物語冒頭の時点で、すっごい追い込まれてるのよ。もうぎりぎりのところにね」

「ぎりぎり? 何にです」

「過去の記憶に。この旅人はむかし、女子供やその他何人かの人を救おうとして、救うと約束して、それに失敗して死なせちゃった過去がある。それでその記憶から、ずっと脳裏で、死んでしまった人々が問い詰めてくる。『約束してくれたのになぜ守ってくれなかったの』『わたしたちが死んだ時どこにいたの』『わたしたちが死んでいるいまどこにいるの』『なんでおめおめと生きているの』」

「ああ、あの少女の幻影たちですか。なるほど?」

「つまりこの記憶たちは『死ね』と言ってきている。旅人の失敗を責めて、早く死ね、いま死ね、と繰り返してくる。それで旅人はその声に抵抗するだけでもういっぱいいっぱいで、他のことは考えられない精神状態になっている。灼熱の太陽の下で現世のおいはぎから逃げ延び、死者の声に抵抗して夜の悪夢を逃げ延びる、それだけで一日ぶんの人格を使いきっちゃうから他にはなにもできない。それが "I am a man reduced to a single instinct: Survive." なわけ。『生き延びるという本能のほかには何もできないほどすべての精神活動を削り込まれてしまった人間、それが俺だ』という自己紹介だ。あまりに精神的に追い詰められているから、『今日一日生き延びる。今日一日生き延びる』という言葉を心のなかで繰り返してる状態で、自分の身体の『死にたくない』という本能にすがりつくことで、かろうじて生き延びている。気を抜いて自分の頭の中の記憶の声に耳を貸したら狂って死んでしまうからだ。まあ狂わないために抵抗している姿がもうかなり狂って見える様態なんだが」

「それであんなにキョドってるんですか」

「そう、いっぱいいっぱいだから他人と会話をするだけのバッファがないわけ。それと、人を助けようとしたことで幽霊をたくさん背負い込んじゃってるから、いま生きてて助けが必要そうな目の前の人らも、自分にとりつく幽霊の候補みたいなもんに見える。だから精神的距離をできるだけ離して、相手と絆をもたないように務めている。なるたけ言葉をかわしたくないし目も合わせたくない」

「ふむふむ。目線つねに外してますものね」

「それがさ、戦いの中で、逃避行の中で、絆をもう一度持ち始めてしまう。心から出た忠告もする、言葉がうまくないから説得できないけれどね。そして死の塩湖に走りだした人々の姿に、幻影の少女がかぶって旅人を呼ぶ。そこで旅人は懸命の決意をして、人々を助けに行く。また彼らを死なせてしまい、その怨嗟の声を抱え込むかもしれないという恐怖に打ち勝って」

「あのバイクで追いつくシーンですね」

「たしかに、今日一日を生き延びたかもしれない。ここで人々と別れて、また明日も一日生き延びられるかもしれない。だがそれはまた自分の頭の中の死者たちと戦い続けるということだ。その絶望。そこから、旅人は一歩を踏み出す。距離を詰めて、できかけていた絆をはっきりと手と手で結ぶ。握り合う」

「おお」

「するとさ、死者も、赦してくれるわけよ。最後の戦いの中、ピンチになったときに、あの少女の幻影が旅人を指弾する。ハッと顔を覆ってかばうと、かばった手がかろうじてやじりをふせぎ、命を助ける。そこは少女の赦しのシーケンスなんだよね。あそこで旅人は赦されてるのよ」

「彼がそう思ったということですね」

「そう言ってもいいかな。ただ、死者の人々のうち、少女から、ということだけれどね。それで旅人は、人に自分の血を与え、名前を教えるところまで心を取りもどし、最後についに目線を合わせる。今日助けた人々に対しては、やましくない、目を見合う人になれたからだ。ただ、まだ彼の心の中には死者たちが残っている。だから旅立っていく」

「そういう勘定なんですか。あれは」

「たぶんそういう話なんじゃないかなと。思うんだけどね」



spcateg漫画/アニメ/映画[漫画/アニメ/映画]

ホルムズ海峡、光対闇のディレクター、怒り狂うプログラマー

夢やぶれたディレクター

「ああ、それでいうと安倍首相は夢やぶれたディレクターっぽいなと思うんですよね。すみません、この米焼酎をストレートで」

「僕もそれ。2つ。あとお冷やも2つ。お願いします……なにそれ、ディレクター?」

「安倍首相のことを独裁者やらファシストやら言う方々もいるんですが、そういったのはどうもピンと来なかったんですよ。それが先日、参議院で国会議員が、アーミテージ報告のままではないかというツッコミをしてて、そうかこれはわかるかもなと」

第3次アーミテージ・ナイレポート

「というと」

「このフリップの12項目、たしかに安倍内閣はこの12項目をひとつひとつ通してきた。この中でとっかかりになるのが、ホルムズ海峡です。存立危機事態の例として、安倍内閣は何度もホルムズ海峡の機雷掃海を仮定に出して説明してきた。これは妙に話が古い。2015年現在や近い将来にホルムズ海峡が機雷封鎖されるというのは、うまく想定できなくて話がかみ合いづらい。イラン大使も「(核開発の嫌疑が晴れて友好関係を築こうとしているイランを念頭に置いているのであれば)根拠のないことだ」と釘を差したりしてます。これは何かわざわざ話を回り道でもしているのかと思っていたんですが、それより簡単な話で、アーミテージ報告にホルムズ海峡って書いてあったからなわけです」

「ほお?」

「あのホルムズ海峡、ホルムズ海峡ってのは、よくある景色で、あれはディレクターがスポンサーから渡されたペラ2枚の資料の上のキーワードを繰り返してる景色だったんですよ」

「?」

「もうすっかり妄想モードに入ってるんで話0.15掛けで聞いてほしいんですが、安倍首相は2013年に渡米したとき、言い換えるとスポンサーとの打ち合わせに行った時に、2つの企画について交渉してきた。1つは、彼による日本国憲法改憲案。これは彼のオリジナル企画で、彼と彼のゆかいな仲間たちが長年抱えて暖めてきたものです。もう1つは、スポンサーが出してきた12項目20ページの実装要件資料。打ち合わせの日、スポンサーは資料を机の上にぽんと置いて、これをやれやと言った。それに対して安倍ディレクターは一歩も怯まず、懐から自分の資料を取り出してこう言った。『この僕の考えた最高の日本国憲法改憲案をやらせてほしい。これをやっていいなら、その12項目をやりましょう』」

「ほほう」

「それでスポンサーは『ふむ。やれるならやっていいよ。12項目をやると約束するならね』と言い、ディレクターは『確かに約束します。では、やらせてもらいます』と応えて、打ち合わせは終わりました」

「終わったのか」

「ディレクターの主観的には、これで巧みな交渉に成功した、見事な成果を得たという自己評価でいた。そしてディレクターは自社に戻ってきて、ほくほくでこの自分のオリジナル企画、『僕の考えた最高の日本国憲法改憲案』にとりかかった。資料を書き加えて太らせ、関係部所に根回しして回りました……ところが、案外現場と国民の支持が少なく、法制と国会政治をくつがえす見込みは消えていき、企画は実装できず、やがて流れてしまいました」

「ええー。なんてことだ」

「これにはディレクターの認識に齟齬があったのだと思われます。著作の売れ行きやフェイスブックかなにかで国民の支持を見ていたときに、『政党政治の頭数に表れない非常に多数の改憲支持の潜在層が存在する』と評価したのではないでしょうか。その層が国民として下側をおさえ、自分がスポンサーに話をつけてきて上側をおさえれば、中間の法制と国会政治をはさみこんでオセロのように覆して勝てる、という算段だったのではないかと思う。願わくばディレクターのゆかいな仲間たちの中に、Twitterでもらったふぁぼ数をもとにコミックマーケットに本を出して、売れ残って在庫を抱える失敗の経験のある人がいればよかったのですが」

「なにじゃああれフェイスブック事案だったの。あ、どうも。おっと、そうか、この紙で注文すればいいんだな。ふむ、よし、乾杯! おつかれー」

「おつかれさまです! V8!」

「V8! えーと……サーモン4、さんま2……ほたて2、この塩セットってのもいくか」

「シャコも」

「シャコ2? オーケー。で、それで」

「それでそうして残念ながらオリジナル企画は流れてしまったのですが、では彼の仕事は終わりかいうと、もう1つのほうの企画、スポンサーに約束した実装要件は残っているわけです」

アーミテージ報告のほうね」

「そうです、アメリカから渡された12項目のうち、順々に実装してきて残るは安保法案の部分、この実装要件が残っている。ここを約束した通り実装しなければならない。ところがですね、このディレクターとゆかいな仲間たちは、この安保法案の部分を、『オリジナル企画が通って俺憲法改憲案で改憲できたとき、それにぶら下がって実装できるもの』として考えていたんですよ。これがまずかった」

「まずいの?」

「まずい。なぜなら、たしかに俺憲法改憲案が通れば、安保法案はその大きな構想の中の小さな一部分として実装していけたかもしれない。だが俺憲法が流れたいま、安保法案は解釈改憲を使って実装しなければならなくなった。ここで、このディレクターとゆかいな仲間たちは、解釈改憲を使う想定での実装準備をぜんぜんしてこなかったんですよ。スポンサーから12項目20ページの資料を受け取ってから2年間、夢みたいな俺改憲オリジナル企画資料を楽しく太らせるほうに時間を使っていて、それがポシャったときの予備手段、解釈改憲による堅実な実装を想定して資料を太らせるということはまるでしてこなかった」

「ほほう。あ、すみません、これお願いします。はい」

「そうするとですね、いざその企画の打ち合わせになって、現場の作業部局から『この企画案は解釈改憲で実装すると聞いているが、シチュエーションとしては具体的にどんな想定をしたものなのだ』といった質問が投げつけられた時に、すごく情報量の少ないことしか言えないわけですよ。『えっとそれは……そのですね』とか言ってね、スポンサーに渡された資料20ページ中の2ページを何度もめくって見なおして、『えーとホルムズ海峡に機雷が敷設されたと仮定した時にですね』なんてね、そこに書いてあるキーワードを繰り返すしかできない」

「あー、そこでホルムズ海峡が出てくるの」

「はい。3年前にスポンサーが企画資料を書いたときにはホルムズ海峡は眼前の課題だった。だからスポンサーの企画資料、アーミテージ報告には、ホルムズ海峡、機雷、掃海というキーワードが書いてある。当時要求された実装要件です。しかし3年たってイランの核疑惑も解かれ、資料の側が古くなっている。古いまま、やせたままで、現場の作業部局からの突き上げをさばくには情報量が足りない」

「本当はもっと情報量があるはずなのか」

「そうです。本当はスポンサーから実装要件資料を受け取って持ち帰ってきたら、ディレクターとそのゆかいな仲間たちはその資料を太らせていかないといけないんですよ。政治的修飾のレトリックをかぶせて重ねて、法制のつじつまをあちらにこちらにぬいつけてつくろって、自社の理念の建前とつながるように太らせておかないといけない。そして現場の作業部局からの質問攻めを耐えられるように、アップトゥデートな適用例と想定問答集を用意しておかなきゃならない。なぜならスポンサーの資料にはむきだしのシンプルな実装内容が書いてあるだけで、なぜ下請け会社がそれを実装するのかの政治的修飾は書いてないわけですからね。下請け会社の社員たちが『なるほどこれはわが社の理念、わが社の利害として一応理屈がつながっている企画だ。そういうことならまあやろうじゃないか、汗を流そう、徹夜もしよう、三者面談の予定を遅らせよう、肝臓の半分くらいも壊そうじゃないか』と思うためには、スポンサーの実装要件の字面がそのまま並べられるだけではだめだ」

「下請け会社ってのは、日本のことか」

「です。戦後いままで70年、下請け会社のディレクター仕事をやって、そのディレクターを引き継いできたチームが、自民党だということになるのでしょうね。スポンサーの要件資料に政治的修飾のレトリックをかぶせて防御的に資料を太らせ、法的つじつまを幾重にも構築しつつ、現場の各作業部局の利害と感情量を見計らって作業負担の配分をする。このマネジメントは労力のいる仕事であって、その部分はスポンサーたちのチームはやりたくない。スポンサーのチームは有能ではあるが下請け会社の内部事情にそこまで詳しくはないし、人的リソースをけっこう食うから、そこに投入するくらいなら委託して、自社の人材は他の案件に回すわけです。逆にいえば委託されるディレクターチームは、そのコストを取引材料のカードにすることができる。『スポンサーさん、いったん持って帰って検討しましたが、現場を納得させるにはこういうふうにまるめなおしての実装をさせてください』といってスポンサーと押し引きして、実装要件を修正させることができる。これが彼らの誇りでもある。大人の仕事だと。敗北で打ち倒された、その打ち倒されてつながれた憲法9条を逆手にとって、軍事力を充実させながら、『軍事リスクを負うのはスポンサーさん、あなたがやってくださいよ、それはあなたとわが国で作ってしまったこの憲法があるんで充実させるところまでしかできないんです、ぎりぎり解釈改憲でがんばりましてここまでですねえ、あなたもわが国も立憲民主制なんでねえ、憲法もある、民衆の声もある、いやー残念ですねえ』ともたれかかるつくり。下側から勝者にからみつき、敗者の下請けでありながら経済的勝者の立場に復興した。この見事な仕事がわからないか、わからんやつらにはわからせないでおけ、それでよい。わかってもらうためにこの仕事をしているのではない。われわれこそが理解せぬ人々に理解されぬままに仕えているのだ。われわれは仕え、釈明しない。サーバントなのだ」

「詩的だな」

「かもですね。いままで、お話に出てくるような自派への利益誘導ばかりしているおじさん政治家像たちというものなのかと思っていたのですが、そればかりということではなくて、その中にこういうものがあるんですね。理解されぬままに労苦を捧げ、仕える、欺瞞の中でこそ果たしうる種類の忠誠。影の中で仕える者──シャドウ・サーバント」

「しかしそれならそれでいいじゃないか。理解されぬままがんがん働いてもらおうじゃない」

「ところが今回このディレクターはですね、こういう欺瞞は嫌いな系の人柄なんですよ。こういう欺瞞と矛盾、倒れながら寝技で勝者にからみついていっての経済的勝利なんて、美しくないと感じている。欺瞞の中で仕事をしているような人々は美しくない。矛盾を解消し、立ち上がる、これが美しい国だ。そうすることで国民自身がこの国を理解できるし、ディレクターとしても理解してもらうことができる。彼は理解してほしい系の人柄なのでしょう。輝く日の光を浴びて表舞台に堂々と立ち、国家の指針を指し示す人物。それこそが立派な政治家だ」

「若々しい」

「でしょう。そこだから、自民党元幹事長元総裁が安倍首相に苦言を呈しているという面がありそうに思うんですよね。光の中に輝こうとする光の政治家の流派と、闇の中で仕えようとする闇の政治家の流派。闇の政治家たちが力の源にしていた闇の呪文のページを、光の政治家が取り除こうとしている」

「光と闇のバトルだな」

「そうそう。そしてこの光のディレクターなんですが、自分のオリジナル企画が流れてしまったことでがっくりと落ち込んでしまいましてね。もうすっかりすねてしまっているんです。あーもう俺の考えた最高のオリジナル企画がと。なんだよこの連中、俺がせっかく奮戦して、オリジナル企画でお前たちをお前たち自身から救ってやろうとしてきたのにと。オリジナル企画を進めたかったのにそれはポシャってしまって消えて、それを進めるための取引材料だったはずのスポンサーの企画のほうだけが残ってしまった。自分に周囲が聞いてくるのはスポンサーの企画の話ばかり。打ち合わせが次々開かれて、そのたびにここが仕様不足だ、仕様のここに大きな穴があるのは明白なのに、なぜ今日まで埋められていないのだ、してあるべき仕様策定業務がされていない、と糾弾される。なんだよそれは俺の企画じゃねえよ知るかよ、スポンサーから言われたからやるんだよ、と、言いたいけれど言えないから胸の内にずっとためこんでいる。ごっそりモチベーションが落ちていて、それを周囲に隠す努力もしたくない。打ち合わせを欠席して他所のプレゼンに出るなんてのはそんな気配がある。本当の自分の夢は失われてしまって、なぜか他人の企画を守るために糾弾を受けなくてはならない、そういう夢やぶれたディレクターです」

「んーああ? わからないでもない気もするが、ああ、ありがとうございます。これ同じ米焼酎をください、ストレートで」

「僕も同じで、お願いします」

「いただきますか」

「いただきます。主観的にはすごくストレスフルで不条理な立場でしょうね。もう早く終われ、この企画1つ通したら下りるから、あとは知らんよ、この呪われた企画は次からのディレクターが背負え、いい気味だ、といったところでしょう。もうこの企画自体に愛は無くて、むしろ嫌悪感を抱いているから、それを守り育てるために自分から新たに企画の仕様を太らせるコミットメントなんかもしたくない。具体的な仕様を付け加えたらその箇所は自分の責任ということになりますからね。『私は総理大臣なんですから』という発言なんかはそのあたりでしょう。字面の強そうな言葉で、具体的な仕様のコミットメントをしないで打ち合わせを押し通りたいと思っている」

「なんでそんなことになったの」

「なぜ……と経緯と問えば、スポンサー側の都合としては、黒人大統領が当選したことですかねえ? 黒人男性が大統領が当選したことで、アメリカの中でいままで手広く世界に介入してきたツケを、いまあるていど手仕舞いしよう、というタイミングができた。『ごめんあれこれやりすぎてたかもしれない。予算も使いすぎていたし、手を引いていくわ』と言うにしても、白人男性がトップだったなら、それが理屈だとしても、よくもまあほざいてくれるじゃん感が出る。黒人男性が看板はっている間なら、『お、おうまあ大変だったな。気をつけろよ』になる。そこでアメリカはこの破産管財人のもと、各所であるていど手をたたみ始めたんですが、介入の旨みをおぼえてしまったおじさんたちもいて、その人たちはアメリカ内の予算が減ってもまだ中東あたりで火遊びがしたい。そうした遊びたいおじさんたちが、下請けのあの会社、座布団の下に一揃い隠してるだろ、ちょっと揺すってみろや、出せるもん出せるだろ、というのがひとつ。もうひとつはフィリピンから米軍戦力を減らすうえで、南沙諸島の資源争いでの対中圧力の穴埋めがほしい、これがもうひとつ。このふたつといったところかと思います」

「うーん」

「それでもうひとり、この物語の中に登場人物が出てくるんですが、聞きたいですか」

「まだキャラ増えるの。誰それ」

「それはプログラマーです」

「何それ」

「先日、防衛省内部資料いくつか共産党が『独自に入手』して、その存在を防衛大臣が知らなかった、いや知っていたなんて問答があったでしょう」

「あーあったかな」

「あれはですね、怒り狂ったプログラマー、現場の作業部局の中のひとりのしわざなんです。どういうことかというと、こういうふうにディレクターとゆかいな仲間たちがぜんぜん資料を太らせないでいる場合、現場の作業部局は手待ちをさせられる。待っても待っても資料が太らず、仕様書が降りてこない。だが、スケジュールはずいずい迫ってくる。実際に実装作業をすることになるのは作業部局のプログラマーたちであって、そのとき実装できませんでしたとは言いたくないから、そういうとき作業部局はどう動くかというと、たいていは実装仕様書を書き始めるんですよ。本来はディレクターとゆかいな仲間たちが書くはずのものなんですが、もう職分をおかして書こうと。そうしてあるていど手を動かし始めよう、だって待ってたってあいつら書かないじゃんと。この場合、作業部局というのは防衛省です。そこで実装仕様書を書き始めちゃっていて、来年1月のKeenEdge16演習は新ガイドラインに沿ってやるかも、とか、2月からの南スーダンPKOは新法制に基づく運用をするかも、とかいった見込みスケジュールも並べてみてしまっていて、現場レベルでのスケジュールの握りもとりはじめてしまっている」

「ディレクターの仕事が遅いから、プログラマーがディレクターより先行して資料を書いて動き始めちゃうわけね」

「そうそう。そこでさ、そのプログラマーたちの中でひとり、怒り狂ったプログラマーがいるんですよ。資料を直接書いているか、あるいは書いた資料を回覧した中に、静かに胸の中で怒り狂っているプログラマーがね」

「何それ」

「今回のこの企画はさ、非常にきなくさい企画なわけですよ。現場で運用作業をするプログラマーがすごいでかいバグを発生させるにおいがぷんぷんするわけ。兵站線を警護してたら奇襲されて、相手を撃ち殺してその勢力と戦闘状態に入ってしまった、とか、その中で民間人を射殺してしまった、とか、そのとき国連だか他国だかの指揮下にあったとかなかったとかいって、そのプログラマーがひどいトラブルにわが国を巻き込んだではないか、住所と個人情報と家族さらし、嫌がらせのネットサービス大量登録、作業部局へのアンチまとめ記事もふだんの何百倍乱立する。そのとき、この仕様を書いたのは誰だ、という話が出るはずで、調べてみると基本的な軍事法典とROEの噛み合わせも準備できていないことが判明する。それでこの現場の作業規定の資料、この作戦任務書の資料、この国際なんとか活動の実施方針資料、と資料から資料へさかのぼっていって、さかのぼった資料の行き止まりの原点、それはプログラマーたちが先走って書いたこの資料だ、ということになる。ディレクターの職分をおかしてプログラマーが先行して書いていった資料だ、こいつらが自分で進み始めたんじゃん。ディレクターたちが抽象的な議論をしていたときに、先に進み始めたのはプログラマーたちでした、それがいま大きなバグにぶつかった、じゃあ自己責任ですよね、文官の責任でも政党の責任でも国民の責任でもないですよね、となる。責任のボールを受け取る親役に誰も名乗り出ないからプログラマーたちはボールを抱えさせられたままぼっこぼこにされる」

「それはひどいね。そんなんなったらおこだわ」

「だからげきおこですよ。ディレクターが資料を太らせないくせに、バグって大炎上したとき、そのケツはわれわれプログラマー自身が持たされる、そんなのあるかよと。『いいじゃんどうせ実装するんだろうし仕様を書こうぜ進もうぜ』という多動的で楽観的なプログラマーたちの中で、その未来の大炎上を確信して怒り狂ったひとりのプログラマーが、内部資料のパワポファイルをひそかに野党に横流しするわけですよ。『先を考えないプログラマーたちがこんなん書き進めててまじおこだわ、いま炎上しろ、ディレクターとゆかいな仲間たちが炎上しろ』とね」

「正義の怒りだ!」

「Scales of Justice, Conductor of the Choir of Death ですわ。もちろん、資料を表に出された作業部局もげきおこで、この怒れるプログラマー捜索中。まあ大変です」

「大変です、ねえ。好き勝手ほうだい言っておいて」

「ああ、それはまったくあるんですけれどね。言うじゃないですか、ねじまわしを持つ者にはすべてがねじに見える」

「ねじ?」

「下請け開発会社仕事をちょっとかじった人間には、すべてが下請け開発仕事のラインに見えるんですよ。それも、ラインのごく一部の限られた視界のね。首相はディレクターに見えるし、自衛官プログラマーに見えてくる。だからこうやってべらべらしゃべって言った理屈も、たぶん15%言い得ていられればいいところ、この安倍首相と安保法案まわりに100の事情があるとして、そのうちの15をとらえているかもなあ、といったところです」

「15%ねえ。自信がないんだかあるんだか」

「かなりあるんじゃないですか? 15%ですよ15%」

「さあね。そんなところ?」

「そんなところですね。おかわりいきます?」

「もらうか。すみませーん。それで君は国会前に行ったりしていたわけだ」

「まあ一応、2度ほど。金曜夜のやつは、学生なり、手ぶらの都民たちってかんじでしたけれど、30日の日曜のやつはリュックサックに帽子、のぼりばたで、地方のおじさんおばさんが来てる、アニメ的にいうと『小僧ども、よく頑張ったな』て言うやつ感あったですね」

「えー、この米焼酎をストレートで、2つ。お願いします」

「あ、お冷やをひとつ。はーい」

「なるほどね。ふむ。じゃ話変わるけどマッドマックスの話でいいかな」

「いいですよ、やっと見ましたか!」

「最高だね。素晴らしい」

「だから言ったでしょう。まったくもう」

「あれさ、ストーリーのない、頭からっぽにして見る映画だ、なんてコメント見ていったけれど、どうしてどうして、ストーリーみっちりみっしりあったね」

「ほほう?」



spcateg政治[政治]