指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

不在の…いや、存在する!/サウルの息子

「それでさ、今回の」

サウルの息子

「もう傑作だね! これも、みんな死んじゃう系でしょ」

「死にますね」

「やっぱり高い高い死の壁に四囲を囲まれてて、絶望しようと、抗おうと、戦おうと、狂おうと、どうしようとも死ぬ。人間として強かろうと弱かろうと、善かろうと悪しかろうと、賢かろうと愚かだろうと、あまりに高い死の壁の中では、ごまつぶの背丈がわずかに凸凹しているだけで、意味がない」

「ふむ…主人公はヘマばかりで、身勝手で、仲間の足を引っ張りまくりますけども」

「仲間って言ったって、そもそもが同胞を騙しなだめて屠殺場まで連れて行く、死の羊飼いをやることで、数ヶ月の生をながらえている背信者たちなわけだからね。だから、いったいなにが裏切りなのか、なにがヘマなのか、もうすり切れてしまっていて区別がつかない。その無意味さの中で、存在しない息子を弔おうと執着して、危ない橋を渡り続ける。この映画はその執拗さを延々写していく」

「むー?」

「主人公があくまで執着する息子。その息子が、意味がなく、死んでおり、そもそも存在しない。主人公の執着対象がいかに存在していないかが明示されていく。存在しない息子。屋内に閉じ込められている鳥が、なにもない空間で虫をついばむ行動をとるようなものだ」

「なにかの代償行為ということですか」

「そういったものなのかと思う。そしてその死体もついに、流されてなくなってしまう」

「渡河するシーンですね」

「もとから存在しなかった息子が、ついにその死体も消えてしまう。と、そこに、その意味のなかったポインタ、虚無の場所に、生きている少年が立ち現れる」

「あの目が合う子ですか」

「金髪碧眼のあの少年、あれは

 ・ナチスではないが、

 ・ナチスのやったことを見ていた、傍観していた──『知らなかった』ではない、

 ・戦争中は声を上げられなかった──口を塞がれる演出、

 ・生き延びて敗戦後の国を継いだ、

という少年、つまり、お前たち国を継いだ人間、この少年がお前たちだ、という含意になっている」

「えー」

「これはもう明々白々、めちゃくちゃわかりやすい。論を待たぬといえる。そして、それに対して主人公が微笑む。ここが真のポイントだ。ここまで表情を抑えに抑えてきた主人公の、満面の笑み。これで、その少年が主人公の息子だ、という意味になる。この二人は血縁もふれ合いも全くない、言葉も心も交流しないまるきり無縁の二人なのだが、しかし、この最後のワンカット、執拗な90分のあとの1分のシーンでもって、息子になる。ここまで執拗に、意味がない、死んでいる、存在しない…と描かれてきた不在の人格、主人公の息子に、突如、意味が付与され、生き、存在させられる。それは、お前たちだ! スクリーンのこちら側にいる生者なのだ! こんな強引で鮮やかな技があるのか!! すごい構成だ!!」

「ノリノリですね」





参考: 町山智浩氏の 『サウルの息子』の息子とラストについて

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