指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

運とインフレと実力と麻雀

(この話題に関連する第一日記:
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 麻雀で、一発やら裏ドラやら赤やらが入っていると、実力差が関係なくなって運次第のゲームになる、と思っている人が時おりいる。あるいはそうした麻雀を、「実力差が出ない運次第の麻雀」という意味を込めて、「インフレ麻雀」と呼ぶ人がいる。
 しかし実は、そうでもないのだ。
 インフレそれ自体はレートが上がったのと同じことである。レートが上がったから、点数が一桁派手になったからといって、ゲームの本質が変わるわけではない。
 赤は、配牌の赤を生かす手作りができるか、という技術の見せ所であり、配牌の三色手を生かす手作りができるか技術を見せる、というのと同じ問題である。途中でツモってきた赤を生かせるかとか、赤ツモを意識してそれに対応できる受け入れを残すとかは、途中でツモってきた三色目を生かせるかとか、三色目を意識した受け入れを残せるかとかと、ほぼ同じである。
 したがって、プレイヤーが考慮すべき手役リストに「赤」という新たな役が付け加わったのだと考えることができ、そうすると、ゲームの要素が一つ増えて複雑化するのだから、初心者に厳しくなる効果が生じる。たとえば、染め気味の鳴きに対して、その色の赤が切れているかどうかによって点数の見積もりが変わるが、それを意識できない初心者もいるだろう。
 一発や裏ドラも、実は、麻雀において特別なランダム性を持っているわけではない。これらは雑に言ってリーチを1.5翻にしていると考えることができるが、もっと言えば、リーチを安目1翻高目2翻の役にしていると考えてよい。つまり、リーヅモピンフ裏無しを、<傍点>高目一盃口をツモれなかったタンピンと同じ</傍点>だと思ってしまえばよい。そうすれば、一発や裏ドラの持つ「運の要素」「ランダム性」が、単に待ち牌をツモるツモらないの「運の要素」「ランダム性」と同じものだということがわかるだろう。裏ドラがよく乗る奴、というのは、「リーチの高目をよくツモる奴」であり、それは「一盃口の高目をよくツモる奴」と同じなのだ。


 どんな手であってもアガった後の時点でサイコロを振ってその目だけ翻数を増やす、などというルールがあったとすれば、その「ランダム性」はたしかにプレイヤーの実力差を埋めて、ゲームを運次第にする力があると言えるだろう。
 しかし、配牌や途中のツモ、リーチするしないの時点でかかってくる「ランダム性」はそれとは違う。そのルールに適切に対応する技術を要求するからだ。そのルールによって、配牌に赤が多いから押す、少ないから引く、一発が怖いから親の現物を抱える、親のリーチの一発を消す、などと、対応すべき要素が増え、それによる「技術性」が「ランダム性」を打ち消す。計算しなければいけない要素の数でいえば、一発・裏ドラ・赤・赤3・御祝儀といったルールが増えるほど、初心者には厳しくなる。


 インフレ麻雀と一言でいうが、具体的にどんなルールでインフレしているのかに注意しなくてはならない。ランダム性と技術性とは、決して対立する概念ではないのである。

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