一局と半荘、点数と最終順位
麻雀は、お金を賭けて遊んだほうが良い。理由のいくつかは第一日記2000年9月8日で述べた。
1)ノーレートで順位だけ考える場合、30%の2位と5%の1位ではどちらを狙うべきかを定義できない*tp。
2)ノーレートで「2位以下はクズ」の場合、5万点差で親番のなくなった南2〜4局が非常に苦痛になる。
2-1)麻雀はモノポリーと違って負け抜けではない。大きく沈んでモチベーションを失った人間を席に座らせておくとゲームが腐りやすい。
2-2)麻雀はモノポリーのように「優勢な者の選択肢が広く、劣勢な者の選択肢が狭い」ゲームではない。形勢にかかわらず選択の幅は一定である。一般に(劣勢さ*選択肢数=不快度)である。
ある一局での、自分の手役-自分のアガリ確率-他家の手役-他家のアガリ確率、という4要素(ほんとは他家が3人だから8要素)のトレードオフを最適化する。このゲーム性が麻雀の主たる楽しさであって、半荘合計の最終順位を競うというゲーム性は、南場にそれを多少修飾するスパイス程度のものである。
ドイツボードゲームなどでは、1プレイの全体がゲーム性を構成する。また、勝った場合の点数の大小に、ゲーム性はほとんどない。これらは重要な相違点である。
順位だけ考える麻雀(例:101競技連盟のルール)は、修飾であるはずの半荘合計のゲーム性を重視しすぎて、麻雀の主たるゲーム性をスポイルしてしまう。
賭博麻雀について補足に続きます。
[tp]30%の2位と5%の1位ではどちらを狙うべきか定義できない
東風荘のレーティング評価のようなシステムでなら定義できる(東風荘/Rの計算)。しかし、それでも、点数の大小を無視することになるためゲーム性は低くなる。例……東風荘では6万点のトップと3万点のトップに違いがないので、オーラスのトップの手牌構成のトレードオフは牌効率と他家のアガり期待値のみになり、手役の高さは全く意味がなくなる。同じく、何点のラスだろうと差がないので、オーラスのラスの手牌構成のトレードオフは手役の高さと牌効率のみになり、他家のアガり期待値は(ぼぼ)意味がなくなる。
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