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麻雀とデジタルとオカルトと錬金術師

 本日は麻雀のデジタル派とオカルト派とについて一席。

 一般にマルチプレイヤーズゲームの構造というか、システムは、科学的な分析がぜんぜん進んでいない未開の分野といえます。株式市場という極大人数ゲームについては活発に研究が行われているようですけれども、活発さと進みぐあいとはまた別。ここで麻雀の話としては、このマルチ性に関する科学的な分析の不足を、経験則で補おうという姿勢がオカルト派といえます。

 それに対して麻雀の一人遊び的な部分は、すでに科学的な手法(数学的な順列組み合わせや統計学)による分析がかなり済んでいて、現在もwebなどで研究が進められています*mjs。それを利用する人が、デジタル派といえます。



 先日完結した片山まさゆきの漫画『牌族!オカルティ』でのデジタル派代表キャラクター梨積港(りつみみなと)に不満を言うとすれば、科学的にもう分析されて保証されている部分だけを使って、それを実地に使うだけで満足するんじゃあ志が低めなんじゃないかということです。保証済みの道具を仕様通りに使う達成度100%を狙うというのは物悲しい。

 いっぽう同作品のオカルト派代表キャラクター群鴎刈人(むれおかると)に不満を言うとすれば、経験則を「オカルトだからオカルトで結構。どうせ俺等は非科学ですよ」と開き直らずに、経験則から仮説と分析と理論化へ進んで欲しい。その道すじ、論理展開は、脆弱で怪しいものになってしまうのですが、それはむしろ科学がこれまで発展してきたあいだにしばしば通ってきた道筋ですからそれはそれでよい。いにしえの錬金術師たちが今は顧みられることもない紙屑の山を築いたことで、今の化学への道が拓いたようなもんです。



 科学的とは一言でよくみかける言葉ですけれど、細かく考えれば、科学的に保証済みの技術を使う姿勢と、そうした技術を未発見の領域から新たに求め見出し保証付けようとする姿勢、この二つは異なるものだ。専門用語でどう言うのか知らないのですけれども、合理的姿勢と科学的姿勢は違うとでもいうか。



 こういった脈絡で考えると、例によって、デジタルとオカルトというのが対立しているわけでもないものだということがわかる。一人遊び的部分で保証済みの技術を使う合理的姿勢と、五里霧中のマルチプレイヤーズゲーム領域に仮説をでっちあげて道を探す科学的姿勢は両立しうる。

 例によって、というのはなんでかといいますと、ものごとにはたいがい複数の、多数の切り口がありますから、ある二つのものごとが対立しているといっても、それらが向かい合っているのはそのうちの少数の切り口においてです。だから違う切り口がみつかったら対立してなかったということはよくある。

 文章さん的には、一般に対立していると考えられている概念二つからはじめて、こう切れば対立してませんよ、と話を落とすのは上々の組み立てで、褒めてくれます。ありがとう文章さん。





[mjs] 麻雀の科学的な分析

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