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幸福な生活と、内海課長の圧倒的に強力な社会性

radioさんのbrettspierler内のカテゴリ ラヂオ部

 ああ、やっぱりいたんだな、あんな高校生活を送れていたやつらは。くそう。

 僕は究極超人あ〜るにガツンとインプリントされた人間なのですが、何を刷り込まれたかというと、幸福な生活のモデルです。

 もっと遡るとアーサー・ランサム全集とかになるんですが、つまり、自分か自分プラスアルファぐらいの人間を含む幸福な情景、モデルルームといいますか、この状況に放り込まれたら俺はかなり幸福に生活できる、という、そして現実の物理的・社会的法則に抵触しておらず、<傍点>ありえるという情景です。

 一般に物語の中に含まれる状況の中で、視聴者がそこに放り込まれたとして幸福なものは、多くありません。いいかげんに言って、全体の1割ぐらいでしょう。エンドマーク直前の、ピンチをくぐりぬけてねえちゃんに抱きつかれたところとか、序中盤の息抜きタイムとかです。たいていの場合、すぐになんらかのイベントが発生して、それら幸福な状況は終わってしまいます。物語とは、視聴者が楽しむものですが、しかし、主人公にとって楽しい状況を映すわけではない。主人公は排気孔を匍匐してまわったり、振られたり、身内を殺されたり、いろいろ苦労をしなければならない。一般に視聴者が主人公に対する態度は、保護者的であって、同一化的ではない。(妹パワーでモテモテに

 一般ではなくやや狭いところに、同一化的なジャンルもあり、たとえば、娘っ子がピンポイントに落ちてくるモテモテ漫画だったり、いちゃいちゃな野郎女郎衆が隣町の人死にを見に行ってそれを解決する「モニターのこちら側の萌え平和」小説などです。それらはたいがいの場合、物理的あるいは社会的法則にがっつり抵触しており、その点についてファンタジーなどと形容されます。宇宙人衆、女神衆、頭が宇宙人か女神な娘っ子衆。

 そして稀に、物理的・社会的法則の違反が少なく、頭が女神でなく、なお登場人物が幸福な状況にいる、同一化的な作品が生まれます。その一例が究極超人あ〜るです。そして10年後、よつばと!が似たふうに振り返られるのではないかとも思うのですが、これはわかりません。



 幸福な生活状況とはちょっと違うことがらとして、おたくと社会とのモデルというものも、ゆうきまさみ先生に詳しく見せられたと思います。具体的には、機動警察パトレイバーの悪役、内海課長を中心とした話です。

 おたく対社会の構図でみると、内海課長はきわめて高い社会的能力を持ち、それを積極的に、攻撃的に行使することで、自分の趣味性を曲げることなしに、世の中とつきあっています。部下を掌握し、上司と互角以上に戦い、その頭ごしに組織の最上位者とパイプを保ち、情報収集と分析、戦略的、そして戦術的な判断をも、自ら行っています。自分たちの外側に存する組織の挙動についても、その原理と行動範囲を理解しています。そしてそれは、自分以外の個人についてもです。内海課長は作品中の全人物について(ただし一人を除いて)、適切な誤差範囲の見積りで、適切な行動予測を行っています。彼の計画の成否がきわどいのは、彼の判断と予測に誤りがあるためではなく、適切な判断と予測のうえでなおきわどい水準で計画を立てているからです。*1

 そこまで卓絶した社会的能力と、攻撃的な姿勢とによって、おたくの趣味性が世に出て、身を竦めることなしに存在しうる。自己実現などとも言います。

 そういうふうに社会の中に立つ、強力な大人のおたく、内海課長はそれです。

 無茶をして究極超人あ〜るで例えると、社会をも光画部のように扱うことができる程有力な鳥坂先輩です。

 機動警察パトレイバーでは、内海課長登場以前のごく初期、榊整備班長やレイバーメーカーの技術者に、仕事を通じての趣味性が描かれるのですが(「絶対に負けませんな」「俺はもううれしくってなあ…」「さあて、何人生き残るかな?」)、これはすぐに消えてしまいます。野明の「こういうのに憧れて志願したんです」発言もこのときのもので、これ以後は、何らかの判断に際して趣味性が第一規準になることはありません。それら趣味性は、内海課長とバドの中に集約されていくことになります。それと東都生物学研究所のお姉ちゃん、あとSSSのジェットストリームアタック組に一瞬。

 では趣味を第一義に置く人間の完全形として、スーパー鳥坂先輩として、内海課長が世界の中にその居場所を得ていていいのか? 存在していていいのか? 最終巻ののちに、どこか日本国外にせよ、あの笑顔でもって企画7課を保持していていいのか? その場合に、野明やバドや、徳永の立ち位置はどうなるのか?



参考:

 パトレイバーは1999年11月10日のBSマンガ夜話で取り上げられました。そこでは、岡田斗司夫ほかによって、野明や遊馬ら青年をはさんで、子供であるバドと、大人である後藤隊長/内海課長らが配された成長漫画と読める、と、論じられました(参照:98式イングラムが見た80年代の終わり)。そのすぐ後に、どこぞの掲示板にゆうきまさみ本人による書き込みがあったようです。以下はgoogle経由で2chでみつけたもの。

186 名前: 名無しさんのレスが読めるのは2chだけ! 投稿日: 2001/08/06(月) 01:18



何度も「ゆうきスレ」には出てきてるけど、夏休みだし初めて目にする人が

いるかもしれないので張っとくね。

BSマンガ夜話(明日から新シリーズ開始!)でパトレイバーが取り上げられた

あと、某掲示板にゆうきさん本人が書いた感想だ。ターンAの感想もあり。





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>よっこいしょ 投稿者:ゆうきまさみ  投稿日:11月15日(月)02時31分59秒



 と、遅ればせながらリングに上がってみましたが、年齢が年齢だけに結構しんどいです。



 えーと、マンガ夜話に関してですが、自作の解説はやろうと思うといくらでも長くなって、

仕事が進まなくなるので勘弁して下さい。

 ただ一点、「脱オタク」を目指すというほどの意識は当時なかったと思いますが、内海は

明らかに自分の中から出てきたキャラクターですから、これに一本釘を打ち込んでおくのは、

社会の中で生きて行く自分のためでもあるかと。結果的に岡田氏が言うような作品になった

ということです。



∀ガンダム

 ニュータイプや聖戦士のような存在を導入することに富野監督が躊躇したのは、「選ばれ

し者」とでも言うべき概念(SF、ファンタジー系まんがやアニメを見続けるとこれを大量

に浴び続けることになります)を、オウムや何やらが明らかに歪んだ形で継承しつつあるこ

とを危惧するからでしょう。本来はいびつなエリート意識を「ジオン公国の敗北」によって

否定したはずなのに、そのための仕掛であった「ニュータイプ」が抜け道になってしまった

という事実は、かなり監督にはショックだったのではないでしょうか(たしか監督御本人が、

そのようなことをどこかで語っていたかと記憶しています)。







187 名前: 名無しさんのレスが読めるのは2chだけ! 投稿日: 2001/08/06(月) 01:18



こんなモノ、浴びる側の自己

責任と言ってしまえばそれまでなのですが、それを言い訳にして大量に吐き出し続ける側の

責任はいかがなものか、と監督は考えたのでしょう。実はこういう危惧は私にもありまして、

パトレイバー」で私が肯定的に描いた大人の世間知も、更に肯定的に描くような作品が増

え、万が一小林よしのり的「公(おおやけ)」の概念に組み込まれて、個人の自由と責任を過

度に圧迫するようなことがあれば、今度はそれを否定することになるだろう、と漠然と思っ

ています。



 で、ニュータイプや聖戦士が出てこなくとも「∀ガンダム」は面白いです。



 ああ、なんでこんなことを長々と……エリザベス女王杯はヒシピナクルを軸にして縦目で

爆沈しましたが(後になって何故フサイチエアデールを軸にしなかったのかと悔やんでいま

す。スティンガーと二度に渡って好勝負、秋華賞でも強い競馬をしていて、人にはこの馬は

強いよと言っていたのに)、それはそれとしてメジロドーベルの顕彰はされてしかるべきだ

と思います、はい。



 それではまた仕事に戻りますので、書き込みやってるのは内緒にしておいて下さい


 鳥坂先輩内海課長の行動の姿勢は、おたくと呼ぶだけだと少し輪郭が広すぎる気がしてきた。

 彼らの姿勢は、現実的な、日常的でそれほど特別でもない物事を、組み合わせ演出することで、おおごとに持っていくことにある。「何かことが起こると、わざと大ごとにする」「日常を自分の意志でイベントにする」(「究極超人あ〜る」と「げんしけん」 その2) 祝祭空間を借りてその中に入るのではなくて、自ら構築して開催する。ファンタジー世界で起き描かれるイベントのおおごとさのマグニチュードを目指して、現実世界で手持ちのアイテムを配置して、それに匹敵するマグニチュードを発生させる。わかりやすいのは、カレーもかき氷も現実世界のアイテムであるが、その組み合わせであるカレーフラッペは容易ならぬ物体だ。



ガンダム関連のリンク:

御本人のページ:ゆうきまさみのスケッチブック内の「グンダマ」の悩ましさ パトレイバーの夜

シャア専用ポータルからいらした方、暇でしたら指輪世界本体のターンエー話:MSがたすける多数の因果の連鎖 リリ様とグエンのドラマその1も御笑覧あれ。本論とは関係がありませんが…



*1 内海課長の強力な社会性

 ここで内海課長のそれは社会性ではなくて反社会性だ、と考える向きもあろう(シャア専用ポータルside B内今週の)。しかしそれは違う。内海課長には社会を打ち崩し、あるいはさらに再構築しようという、いにしえの革命家な姿勢はない。彼は社会を自己実現を阻害する障害と捉えてもいない。彼にとって社会は、ある程度の難易度をもった操作可能なシステムであって、いわばプレイステーションガンパレードマーチのようなものだ。この社会への取り組み方は、それほど特異ではなく、シャフトの平光専務あたりから篠原重工その他、かなり多くのおっさんがそのように社会システムの中を動いている。特車二課の後藤隊長もそうだ。周囲上下の個人と交渉あるいはそれを操作し、周囲上下の組織と交渉あるいはそれを操作する。社会性というのはそのへんを指す。社会性という概念を、社会システムを保守維持すればするほどそうだ、と考えるのは誤りで、おっさんたちは時と機と位置によってひょいひょいと保持側と変革側を動く。うまく立ち回った結果システムが違うものになっても、あるいは維持されても、彼らにはどちらでもよい。

 さて、多くの場合、こうしたおっさんの動きは、影響力の増大または維持を指向する。それは目的的に見てもよいがたぶん淘汰的に見たほうが適切である。つまり、影響力を増大または維持するような動きをしたおっさんしか、社会システムのなかでカメラフレームに写る/観客の前の舞台にのぼってこないということである。内海課長が特異なのは、自分が動き人を動かし得た影響力を、惜しみなく、個人的な趣味に投入して消費してしまうところだ。維持そして拡大再生産がない。

 注意したいのは、維持や拡大再生産をちゃんとする/しない、というのと、善とか悪とか倫理的なアレとは、かなり別な話だということ。平光専務あたりは維持と増大をちゃんとやっているが、倫理的に立派な大人かというとあやしい。つまり、社会性があって人と組織を扱える/扱えないということと、それを維持拡大する/しないということと、倫理的に立派かどうかということとは、かなり直交している軸で、相関関係は薄く、したがって、8通りに分類できる理屈だ。

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