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猫に鼠をどんどん与えていく/サブルーチン式の制御と並列式の制御

 ローレンツ先生の『攻撃』にいわく、動物行動学の実験で、猫に鼠をどんどん与えていくというのがある。

 狭い実験室に猫と鼠、どちらも生きている、当然猫は鼠に忍び寄り、捕まえ、殺して、食べる。さらに鼠を投入していくと、そのうち、猫は何匹か、鼠たちに忍び寄り、捕まえ、殺すが、それらを近くに置いておくだけで食べなくなる。さらに鼠を加えると、猫は鼠に忍び寄り捕まえるが殺さなくなる。そしてさらに鼠を増やすと、もう捕まえることもしなくなるが、こっそりと忍び寄るという行動だけは残る。そしてこのとき、猫が狙うのは部屋の遠い隅にいる鼠たちであって、自分の前足の上をはいまわるようなものにはかまわず、ほうっておく*2

 また、鴨の採餌行動の実験というのもある。池の水中の餌を食べている雁がいる。雁は池の中央に行って、そこで逆立ちをして、水中の餌を探して食べている。こうした雁たちを餌のない池に住まわせて、岸辺で人間が餌を与える。すると雁は餌がなくても池で逆立ちを行う。また、岸辺で満腹してそれ以上食べないほどに餌を与えたうえで、同じ餌を池に撒いてやると、雁たちは即座に池に入り、逆立ちして餌をつまみ、食べる。

 こういう話では解発因、リリーサー、鍵刺激、などという言葉を使い、「イトヨのオスの闘争行動の鍵刺激は赤色である。婚姻色である赤い色が視界に入ると、闘争行動が解発される」等いう。

 解発因で面白いのは、動物を長いこと解発因に接触させないと、解発の閾値が下がっていって、そのうち「小鳥が、なにもいない部屋のすみにいる"小虫"を"捕まえてきて""食べる"。しかしいくらよく見ても虫などいないし、小鳥はなにも食べていない」などの観察がされることである*1

 あともうひとつ、この概念が面白いのは、猫は腹が空いたから鼠を捕って殺して食べているのではない、という話になるところだ。

 ソファーの裏とかにかさかさ音を立てて動くものがいるから、忍び寄る。
 小さいものがちょっとだけ動いて止まり、自分に気付かないまま休んでいるように見えるから、飛びかかる。

 足の下でもがく小さいものがいるから、噛む。

 死んだ鼠があるから、食べる。

 そしてそれぞれのステップに、それに飽きていないか、つまりそのシークエンスの起動履歴、最近の実行頻度がチェックされている。

 つまり、空腹だから「鼠を捕ってきて食べる」という親ルーチンが起動し、そのサブルーチンである「近接」を起動し、「近接」は成功後返り値1を親に渡し、次に親は「捕獲」を起動し、「捕獲」は成功後返り値1を親に渡し、親は「咬噛」を起動し、「咬噛」は成功後返り値1を親に渡して…という処理では<傍点>ない</傍点>。親子関係になっているメイン・サブルーチン構成ではないのだ。親はおらず、それぞれのシークエンスの立場は並列で、その起動条件は独立している。実際の自然状態では、捕獲シークエンスを完了した状態では殺傷シークエンスが起動しやすい、というかほぼ起動し、その後は採餌シークエンスがほぼ起動するので、「鼠を食べよう」という目標を持つ一連の行動に見える。が、そうでもないわけだ。完全に独立かというとそれはそれでそうでもなくて、空腹度デーモンかなんかが空腹度を一定周期で監視していて、閾値以下になったら「近接」を起動するという仕様がたぶんあったりするのだと思うが、しかしやはり、基本的な造りは並列にできている。たぶん。

 これは制御システムとしてかなりゆるく組んであると言える。しかし自然状態ではそれで十分最後まで、食べるところまでいくし、きつくタイトに作ると不具合が多いのだろう。タイトに、モノリシックに、一体成型でつくると、問題が起きた時にバグっている箇所が同定しにくい。ゆるく独立しているほうがメンテナンス・バグフィクス・適応の済むまでが速い。ロバストで、より実用に耐える。



 さてそこで。人間が小学校なり読み物なりで学ぶ思考体系というのは、まずもって目標をその頂に置いたツリー構造のものだ。ルーチンがサブルーチンを持ち、それがまたサブルーチンを持つ、親子関係からなる体系で、どの要素も「〜のために」でつながっていて最終的には1つの目標に遡れるようになっている。こうした計画的な体系というのは行動の連鎖を遠く遠くまで伸ばせる力を持っているし、人類の達成してきた事柄というのはたいがいがこの力を発達させてきたおかげのものだ。そういうわけで、人間がなにかしらをつきつめて考えるとなったら、親子関係でサブルーチンを上か下か遡っていくことになる。が、しかし、人間も、脳神経系のねっこ近傍では「かさかさ音を立てて動く小さいものがいるから忍び寄る」式の、並列・独立シークエンスでできている。だから、「人生の目的」「意味」のへんをつきつめて考えていくと、その部分と接触したあたりで、たぶん考えがよれやすい。



 もう一言与太を伸ばすに、後天的学習を得意とする大脳新皮質が連想網を形成していってサブルーチン式制御を受け持ち、つくりつけの大脳辺縁系が並列独立シークエンスを盲撃ちして猫式の制御を担当しているわけだ。





※以上の話はCRPGでの最適化と確認の脚注を書きながらS木と話していて出来た。





*2 猫は遠くの隅にいる鼠を狙うのであって、前足の上をかけまわっているようなやつらにはかかずらわない。

 経験を積んだ猫フィッシャーならば、頭上や眼前で振りまわされる猫ルアーに対する猫の反応はとぼしく、むしろカーテンの陰や床布の下でこそり、かさりとわずかに動く猫ルアーこそが猫をひきつけることを知っている。猫ルアーを猫の眼前で振ってしまうのは人間の初心者に多いミスで、おそらく人間の赤ん坊をあやすシークエンスからの誤用である。猫はこれらにも時として反応するけれども、それは「寝ている自分の傍を通る同族をグランドから襲う」動作の援用である(たぶん)。グランド状態からの襲撃行動は猫ハッグからの猫喉首バイト、および猫キックであり、鼠に忍び寄って飛びつく動作とは判別することができる。





*1 小鳥と"小虫"


コンラート・ローレンツ『攻撃』ISBN:4622015994

 ある行動を解き放つ刺激の限界値が下がって、特殊な場合にはいわばその極限値がゼロに達することがある。それはつまり、事情によってはその本能的運動が、これというはっきりした刺激も*ない*のに「突発する」ことがありうるということだ。もうだいぶ前のことになるが、わたしは一羽のホシムクドリをひなから大きくしたことがあった。それはハエをとらえたことなど一度もなかったし、他の鳥が捕らえるのを見たこともなかった。餌は生涯鳥かごの中の、わたしが毎日満たしてやる餌つぼからとっていたのだった。ところがたまたまある日のこと、その鳥がウィーンのわたしの両親の家の食堂にある青銅の像の頭の上にとまって、じつに奇妙なしぐさをしているのを見た。頭を横にかしげたまま彼は自分の上の白い天井を調べているふうであったが、そのうちやがて彼の目と頭の動きからみてまぎれもなく、動いているもののあとを注意深く追っているのだった。と、ついに彼はぱっと天井へ向って飛び立つと、何かわたしの目には見えないものをさっと捕えて自分の見張り台の所へ戻ってきた。そして昆虫を捕食する小鳥に特有のやり方で獲物を打ち殺し、飲み込んだようすであった。それから、これも多くの小鳥が内的緊張の解けたときにするように、ぶるぶると体をふるわせてじっとしてしまった。わたしは何十回となくいすの上へよじのぼって、いやそれどころか、当時のウィーンの住居は天井が高かったから、踏み台を食堂の中へもち込んで、わたしのホシムクドリが捕えていた獲物はいないかと探した。何ひとつ、虫けら一匹いなかった。

 行動を解き放つ刺激もかなり長い期間にわたって断つと、現われるはずの本能運動が「せきとめ」られる結果、さきほどのように反応しやすくなる。そればかりではない。その結果ははるかに深刻な経過をたどり、生物体全体を巻き添えにしてゆく。原則として、本能運動から今のようなやり方で沈静の可能性を取り上げてしまうと、それが真の本能運動であれば必ず、*動物は全体として不安に陥り、その本能運動を解き放つ刺激を探し求める*ようになるという特質をもっている。
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