指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

混ぜるな危険:動く城と恋物語

 ハウルの動く城を観てきました。

 あらすじ1。


 帽子屋で働く主人公ソフィは老婆である。この年を経た老人の所作が、階段を上り下りするなど四肢による動作だけにとどまらず、視線の振り方などいろいろの小芝居で作画されており、素晴らしいのだが、しかしパーティに誘う同僚の娘っ子たちや店長、町のひとびとの対応などから、ソフィは絵面と立ち振る舞いが老婆に描かれているのであって、実は気の持ち方がむやみに老成して人生を早見切りしまくっている少女なのだということが、薄々示される。

 帽子を注文先にとどけに行く途中、はなやかな軍隊のパレード。ここの軍勢の格好良さ、頼もしさ、人々の高揚、国民としての一体感と誇りの描写が素晴らしい。しかし、ソフィには感動も嫌悪もない。

 ソフィは戦術魔法空軍の青年士官ハウルに出会う。ハウルはエキセントリックで、その感情と行動の脈絡がソフィにはさっぱりわからないが、彼のくれた魔法の指輪は彼女を若返らせる。若い手足をおそるおそる使うソフィの芝居が面白い。ハウルはソフィを小型飛行機に乗せて、ワルツをBGMに遊覧、曲芸飛行して楽しませる。

 ここの曲芸飛行のマヌーバと同じ空中機動で後半の山場、血飛沫と臓物の大空中魔法ドッグファイトが戦われるのが熱い。ハウルは王国空軍のトップエースで、美しい人頭体鳥の魔物に変身し、敵国の迎撃魔術師たちを食い殺すのだ。ここで、冒頭にハウルが飛行場に帰還着陸するときのスモークサインの意味が、撃墜した敵の数であるとわかる。

 快く澄み切った空で、そして陽光うららかにそそぐ町に、繰り広げられる人々の死。胸をおさえて倒れて遺言をのこすような、落ち着いた死に方をする奴がいない。

 このへんから話を端折ると、雑に言って、ソフィがハウルを殴る、かっこいいフックで。ハウルはぶっ倒れて偽りの快活さを失い、老いて寝込んでしまう。人々がソフィを囲繞難詰するが、ソフィは言い放つ。

 「あの人は弱虫でいい」

 そこからもう一盛り上がりあっておわり。

 これだと城がどこにも出てこない。

 あらすじ2。


 冒頭、機動城塞2対1の戦闘シーン。怪獣もののカメラワークと海砲戦もののシークエンス。まず、視界外の敵からの砲撃があって、自方前進観測歩兵からの通信とそれによる間接射撃ののち、地平線上に共和国(敵)の新型駆逐城塞2構が姿をあらわす。帝国側(自方)は補修に補修を重ねたわずか1構…… だが城長と敵の経験量の差と、機関以下、砲・通信の懸命の働きで2構ともを撃破する。しかし敵方最後の衝角攻撃から白兵戦を受けて、自方もまた全滅する。ここで機動城塞の内部構造をあまさず利用した建築物演出。

 主人公、砲兵伍長ハウルはひとり命を拾うが、孤軍敵中脱出の途上、負傷により意識を失う。

 回想シーン。戦略的な敗勢のなかにあって、殿(しんがり)として敵進撃を遅滞する任務を受け、交通の要である街道結節点の村に派遣されたハウルらの機動城塞は、村の畑を踏み潰して壕とし、防風林を倒して射界を得る。その城に憎悪の目を、伏しながらも向ける被占領下の共和国民。かれらの村を奪った侵略者達が、退却のきわに最後の悪行をしにきたのだ。いっぽうつかのまの支配をふるい、いまや逃げ支度の帝国入殖民らは、どこかなげやりになりながらも城塞到着を喜ぶ。橋梁がゲリラに破壊されたため、避難民らは荷馬と徒歩とで後方の鉄道点まで逃避しなければならない。その人の列の中のソフィとすれちがうハウル

 回想終了。ハウルは撤退する自方部隊に救われるが、後方陣地にたどりつくや任務放棄・敵前逃亡とみなされ、捕縛される。そこへ敵軍が攻撃をかけてきて、混乱のなかハウルはソフィに助けられる。

 ここからロードムービー展開。だんだんに道連れを拾い増やしつつ、遺棄された軽駆逐城塞に給油してこれを駆り、山野を西へ西へ進む一行。ここで背景に美しい山河を映して気を晴らす。適宜軽いトラブルとその解決をはさみ、人間関係を築く。徐々に城が家庭あるいは組織として機能していく。

 ラスト、ハウルの城は中立国まであと一歩のところで敵方の機動城塞に補足される。戦力比2対1。捕虜になればどんな目にあうかわからない。砲を構えてハウルの指揮を待つ一同。しかしハウルは降伏を選び、一行は城を出るのだった。おわり。

 これだとハウルが魔法使いじゃない。



 だいたい、ラブストーリーの相方が既に城という防御力を持つ家庭を所有していて、それが移動力までをもそなえていたら、戦争にせよなんにせよ災禍を離れて、傍観し、山奥で自足し得てしまうんである。動く城というのは基本コンセプトであり、それがこの問題を発生させるのだからかなり厄介だ。ラブストーリーとしておたがい個人を何より貴いものと価値付ける話では、ハウルはもちろんソフィにも、街に守りたい係累がいるでなし、どこでもドアを切って引っ込んでしまえば、戦争は対岸の火事だ。やばい。後半、ハウルが引越しだとかいってソフィの帽子屋跡にどこでもドアをつなぐ展開は、この問題に起因するものだ。つまり頭上に爆弾が降ってくる絵面のためなのだ。ガタついてるなあ。



 こう考えていくとナウシカの劇場版がいかに素敵な攻城戦映画であったか認識されてくる。ナウシカ劇場版は、風邪を引いて寝込んで、なおりかけにビデオアニメを見てまた熱をぶり返す、という幼年期黄金コンボの主役であったが、物心ついてからはラピュタ、そして漫画版が主体となり、見ることも少なくなった。しかし今日思い返せば異様に素敵である。数例を挙げると


・トルメキアコルベットによるペジテの輸送船への接舷制圧描写。これは建造物の制圧シークエンスである。風の谷の城の制圧シーンも参照。

・船内をすべて制圧され、貨物庫に追い詰められたペジテの老若男女の演出が最強。扉が突き破られようとしているところで、爆弾の信管を握って「来るなら来てみろ。ペジテの誇りを見せてやる」その男衆を脅えた目で見る女子供。「来るなら来てみろ」って。うおおお。

・そこからナウシカごとメーヴェを蹴り出して「行ってくれ、僕らのために行ってくれ!」雲面をかすめ飛ぶナウシカに機関砲の曳光弾。くおおお。

・どろどろの粘液系が染み透ってくるより、人と棒が突き破ろうとしてくるのが楽しい。粘液系の敵って強すぎていかさまっぽいところが難有だ。

・ペジテの男衆はリーダー以下皆若く無茶で、屈服する柔弱な老人の国風の谷との対比になっている。

・ペジテは被占領国の風の谷ごとトルメキアに王蟲攻撃をかける。リアルだ。この三カ国の関係はかなり非対称で、戦争映画として豊かだ*wtp

 攻城戦に注目して考えた場合、ハウルの城は芝居が玄関口でしか行われない。他にかろうじて風呂場とバルコニー、ハウルの部屋があるのみで、きわめて貧弱である。TRPGでいえば古き良き3DKダンジョン。敵も玄関口までしか来ない。もっと上の層までの機構を説明し、その中での生活を描き、そこまで敵を侵入させて攻防戦をやらせなくてはならない。そして最上階の部屋まで追い詰められて、ゴーン、ゴーンと扉が重い物で叩かれ、きしむ。下層では敵兵たちがあわただしく城の機関部を掌握しつつある。敵指揮官の副官が卓上に残るまだ暖かいスープを一口すすり、その表情(お、いけるじゃねえか)、そしてすぐにテーブルの上からスープも他の料理も乱暴に払い落として「作業を急げ! 閣下の到着までに間に合わせるんだ!」

 侵入され乱される城内こそが、それまでの平和と安逸の舞台でなくてはならない。高原の花畑に嫁を連れて行ってしまうのはNGである。

 アニメが実写に情報量で対抗するには背景美術に頼るべきであり、その美術の情報量は、舞台を人為的な、人の手と意志の加えられた地形、すなわち建造物の内外に置くことによって確保される、そう押井守先生は説いた。ここから雑に理屈を広げれば、アニメのなかで登場人物たちが争うものは、常に建造物内の空間である、という命題がつくれる。建造物の中の一定の空間を満たしてみせて、その奪い合いを描く。しかしその対象である城が、劇中最初から最後までハウルの所有を離れず、敵方にその位置を捉まれることすら結局ないとは……厳しいものだ。





関連リンク:

宮崎駿のリ・スタート「ハウルの動く城」 mame8さんの感想。3人の老女の3つの欲望について。

セミナー スタジオジブリの3D作法〜平成狸合戦からハウルの動く城まで〜 感想 合資会社クロノス・クラウンの柳井政和さんの詳細なレポート。

乙女魂 ソフィ・ハッター 若返りではなく、違う人間になっている、という話のほか、シューティングゲームのストーリーとして素晴らしい、など、とても読ませる。



 本文中の話は9割方、混沌協定の早川忍君とのだべりから生じたものです。彼のハウル話:ugoke.txt





[wtp] 三カ国の非対称性

 自国を焦土にし、よそさまの土地である風の谷までいっしょくたにトルメキアを殴ろうとするペジテがリアルに無茶。トルメキアはというと、兵隊に腐海/胞子への対処ノウハウが不備なために地元民の火炎放射器武装解除しきれずに反乱を起されるのが萌えポイントだ。風の谷では、「殺すがいい 盲の年寄りだ 簡単なことさ ジルを殺したように」のおばあちゃんが、こっそり人民を煽動し、虚脱させないでいるのが熱い。歴史の教科書で派手なのは二大大国/同盟間のガチ勝負であり、漫画版のトルメキアvs土鬼戦なのだけれど、こういう、ちょっと湿気ったら戦争じゃなくなってしまうような、統治と抗争と戦争との相転移な状況というのは趣が深い。

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