指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

隠された希望と責任、終わらない悪夢の演説/ダンケルク


ダンケルク、なんか感想が…あんまり」

「あら、そうだった? どんなかんじ?」

「フランスが一応時間稼ぎしてて、そこはまだフランス領なのに、フランス人が犠牲にされていったり、それでイイ感じに終わってんじゃないよと思う」

「ふむ? あの映画の終わりは、いい感じな終わりではないと思うけども」

ハイランダーズの子は、不貞腐れた後、新聞の論調に満足して喜んでたよね。新聞や世論的に盛り上げる展開で終わってる。戦争そのものが理不尽ってことにはなってるが、なんかポジティブな意味付けしてるラストで、頭打った子とか、落ち込んで死んだのに、新聞載せて美談にしてしまって終わる。イギリス全体の世論、語られ方としては、ピンチだったけど頑張った、まだ頑張れる!!ってことで、その後実際、イギリスは耐え切って勝つわけだ。この撤退戦は大変だったけどよくやった。人類捨てたもんじゃない!ってエンド」

「んーとですね、まずひとつ、違う視点から見ていると、同じ事柄がぜんぜん違って見えることがある。あの映画では、着水した戦闘機の窓から手が振られていて、無事だよ、という意味に見えたものが、そのあと上空からでなく水面の側から見ると、窓が開かずに溺死しかけていたということがわかる。あるいは、陸軍からは空軍の苦闘が見えていなかったりね。世論が新聞の視点から盛り上がる、一方で、じゃあ別の視点、現場や兵士の視点ではどうだ、ということだ。つぎに、これは僕もどなたかの呟きで気づかされたのだけれど、あの個人ヨットの船長、一見、映画を通じて、つねに冷静に行動しているのだけれど、実は彼の動機には、『万一、長男が生きていて、大陸で助けを待っているかもしれない』という思いがおそらくあるんだよね」

「ほう」

「だから着水した戦闘機に向かうときに態度が乱れているし、そしてそう考えると、そもそも海軍に引き渡さずに自分で出航してしまうこと自体が、実ははっきり衝動的な行動なんだよ。彼は、万が一、何かの間違いで、長男にまた会えないだろうか、という発作的希望に従って船を出してしまう。そう考えると、次男を一緒に連れて行ってしまうのも、倫理的にはけっこう怪しいし、次男の友人を連れて行ってしまうのは、やはりこれは失敗なんだよ。ミス、やらかしなの。ただ、船長はこの自分の感情を、態度と立振舞いの下に強く抑え込んでいるから、勇敢な大人が立派に行動しているように見える」

「えー?」

「だから、あの友人の死には、さかのぼると船長に責任はけっこうあるんだよ。三人目の人手は必要ないわけだし、長男を探すこと自体が個人的夢想なのだから」

「強引な気がするなあ」

「一般的に、戦争というのは悪行を善行の側にシフトさせていくはたらきがある。たとえば、通常、他人に依存性のある薬物を与えるのは悪い行いだが、地上を援護する作戦時間を増やすために、疲労困憊した戦闘機パイロットに覚醒剤を与えるのは、数百人の命を救う善い行いになってしまう。大規模な悪が頻発するようになると、小規模な悪は善のほうに含まれるようになってしまうわけだ。ダンケルクでのあの友人の死は、もし平時だったら、事故の原因が調査され、関係者の行動の理由が問われていくだろう。しかし、戦時には死は頻繁に起き、それは敵や危機に立ち向かう立派な死ではない理不尽で無意味な同士討ちであることも少なくない。安全管理も低精度で速度重視になるからだ。戦争遂行上の価値の低い少年について、その原因と責任者を精密に調べる手間など意味がない。そんなことを調べている間に、次の敵がやってくるので、追求を浅く切り上げて戦ったほうが善なのだ。船長と次男は、友人の死を修飾して新聞社に語り、英雄譚にしてしまった。一応、友人の発言を元にはしているが、本当のところは、自分たちの責任を隠蔽してしまっている。しかし、いまその戦時に、彼らの真実のその部分的責任を、告白したとしても誰が聞くというのだ。社会はそんな微妙に入り組んだ真実に聞き耳を向けるような状態ではない。社会は惨劇か栄光か、英雄か悪玉か、チャーチルの勇壮と悲剛な演説を伝え、灰色で煮え切らない理不尽な小話は戦史の豪流の中に沈めてしまったほうが『善い』…」

「じゃあ、それでいいってこと?」

「いいわけではない。『戦史の豪流の中に消えていってしまうということを、この映画は描くよ』、ということだ。チャーチルの鋼の闘志の言葉は、社会を奮い立たせ、敗北を耐えしのぎ、勝利に導くだろう。しかし、その言葉を聞いた一兵士の、うんざりした憮然の表情でこの映画は終わる」

「うーん」

「僕は感心したのが、公開前にダンケルクの予告を見たときに、『we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall never surrender』の口調が変だなと思ったのね。チャーチルの有名な演説が、妙に弱く震えたような声で読まれていた。でも、本編を見終わると面白い。チャーチルの国家の視点を体現した力強い闘志の演説は、現場の兵士の視点から見ると、悪夢が終わらないことを意味している。無事を知らせて振られる手のように、視点が変わると違うのだ。兵士の視点からは、まだ終わらないんだ、また次の戦場で戦うんだ、次の次もやるんだ、ずっと戦うんだ、ということだ。兵士はけっきょくダンケルクから脱出できなかった。それがあの映画のオチだ。チャーチルの最も知られた就任演説、挙国一致を求める歴史的テキストを用いることで、お得意の悪夢のループ構造を作り出している。おそるべき脚本力だ」



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