指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

「面白いか?」/禁止

第一日記2002年4月24日の続き。

 面白いかどうかなんて、面白くない。

 何かが評価に値するかどうか、という命題は、話題を始めるとば口に過ぎず、人々の気合を込めた談義の軸となるべきものではない。「面白かったよ、なぜなら……」「面白くなかったよ、なぜなら……」に後に続く根拠のほうが本題であり、その具体性を追求するところに面白さがある。追求すべきは談義の面白さであって、面白いか否かの二択に正しい結論を出すことではない。二択は仮の目標であり、話の建前である。それをナイーブに追求するとしらける。面白いかどうかは発端の点、そこから始めたほうがいいが、できるかぎり早くそこから遠ざかるべき点である。

 それが面白いかどうかという判断の材料にしたいなら、誰かと誰かの議論の結果出た結論なんかより、一個人が列挙した「面白かった作品リスト」や、一作品に対する「面白いと言った人リスト」のほうが役に立つ。→エロゲー批評空間の×××を高評価しているサイト、ユーザーが他にどんなゲームを高評価しているか探すページ



 ナイーブな追求も、一方的な愛の吐露か、一方的な憎悪の吐露においては、面白くなる。それにはそれに酔い痴れることが必要である。つまり客観性を失って主観的に主観的にと偏りつつ、その主観を会話集団内で共有していくところに楽しさが生じる。

 この場合、「面白い! なぜなら……」「面白くない! なぜなら……」というときの「面白い!」は、主観の共有化過程をこれから始めるぞ、ものどもついて来い、という宣言である。

 ここでは一方的であることが大切なので、ナイーブで反対の考えをもつ人間が共有化過程の場(たとえば、スレッド)に迷い込んできて「真面目な議論」を始めようとしたときは、誰かが彼をやんわりといなして処理しなくてはならない。





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