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なぜ人を殺してはいけないのか? 別版・補講

 過ぐる6月18日の理屈の言い換え。

 人々が人を生み育てるのに、そうとうな費用と時間とをつぎ込むのは、なぜか、なんのためか。と問うと、話が長く広く細かくなる。まず、人の生きる目的とかいう方面の題目になるし、しかも、人に費用と時間をつぎ込んでいるのは、たとえば親ばかりではなく、おじいちゃんおばあちゃん、親類筋、教師、友人、近所のおにいちゃんおねえちゃん、上司、同僚、などなどいる。なんなら遺伝的ミーム的に百世代ぐらい死人をさかのぼってもいい。

 人に投じられるコストというのは、それら種々の連中それぞれの、それぞれなんのためにかの投資の、かたまりである。そして、投資した人々からして、なんのための投資だったのか、自分でよくわかっていない。人がしとげることというのはけっこう多彩で、かつ時間差が大きいので、あまり予期しても当たらないというのもある。

 このため、人がその投資されたぶんを減価償却しきるのがいつなのか、というそろばんをはじくのは、かなり面倒だ。言い換えると、減価償却という考え方は、人間のように投資が長く広く細かく入り組んだものの理屈を組むときには、一筋縄にならない。人間の効用、ユーティリティに話をつっこませていくというのは、ややこしくもややこしいなりに面白い展開ではある。しかし、殺す、という派手な操作について語る話であれば、そこに踏み込んでいっても、スケールがあまり合わず無駄だ。

 そこで、人間の効用を棚上げして、話をバイパスする。効用に踏み込まずに理屈を通す。つまり、効用のほうはコストを払った人たちに任せてしまって、こちらからはおおざっぱにコストを見て済ます。本人がなんのために生きているのかとか、人々がその人になんのために投資したのかとかは、こっちはよくわからん、知る暇もあまりない、それほど興味ない。払ったんだから払った連中が知ってるんだろう。もし知らなくったって、言語化できなくったって、心配してあげることもあるまい。いずれにせよそのコストぶんのものだとして扱えば文句なかろう。





補講(一) 人間のコスト

 人間のコストについて、安価な人間だっている、なんならなんなりかの価格で買える、これに対応できないからコスト基盤の考え方は駄目だ、と言う向きもある。考えがあさい。「最低限の生活」がゼロコストでできて、豊かな生活がその差分のコストで生きられている、という考えをすると誤る。人は生きていくだけでそうとうのコストを使っていて、そのぶんを投入し/されている。経営や雇用に際してはそこを差し引き省略しゼロとおいて計算するが、自分が省略しているということを忘れてはねむい。

 言い換えると、もしなんなりかで買うとして、その場合、そのなんなりかというのは、殺されていいつもりで売っている価格ではないということだ。週40時間拘束されているとして、その時間中何をされてもいい、というわけではなく、週168時間拘束されているとして、その時間中何をされてもいいというわけではない。もし末端でそう言って売っていたなら、経路のどこかで契約違反がある。





補講(二) 道徳と脅迫

 道徳的な題目というのは、脅迫、あるいは推奨である。べつに、人を殺すと天からいかずちが落ちてきてふっとばされる、と言っているわけではない。わたしが怒るよ、わたしたちが怒るよ、と言っているのである。あるいは、殺さなければ感謝するよ、と言っているのである。では、どれくらい怒るか? コストぶんくらいは怒るだろう。あるいは Tit For Two Tat でコストの半分くらいとか怒る。ここでコストが出てくるわけだ。そして、たとえば十年間のうちの養育ぶんのマンアワーと費用を算定し、それだけのコストをかけて怒られると考えると、多少のことではペイしないとわかる。

 なお、ここで「怒る」と書いているのは、繰り返し囚人のジレンマゲームでCDの後でDを出す、ということの言い換えである。アクセルロッド先生を参照。





補講(三) 社会契約

 人々は、人が殺されると、その人の関係者でなくてもいくぶんか怒る。その理由は、関係者が直接怒りに来れなくても、かわりに怒っておいてやるよ、というものである。そのような相互代理の協定がなぜあるか。

 まず、本文で述べたように、効用に踏み込んで故人の関係者に聞き込みをしてまわり、価値査定をするなど、面倒、かつ、それほどの差がまず出ない。事情をよく知らなくても、まずもってどうせ、高い、という結果が出るのである。

 次に、集団が大きく広いと、関係者が直接怒りに行くのが大変である。

 また、関係者がすでに順次物故しているかもしれず、そうすると時間的にも怒りに行けない。

 相互代理の協定は、こうした事項にある程度、対応できる。ある程度であり、また、協定なりのバグや非効率な箇所もあるが、統計的には黒字のしくみである。正義感や、司法制度は、ひとつには、この実装である。





追記

 もし、ファンタジックな話では満足しない心構えをしているのなら、ファンタジックな話を聞こうというのは無茶だ。

 ここで述べ書いている話はファンタジックな話ではない。死後の世界でボコボコにされるよ、とかいったビジュアライズ簡易な題目ではない。そこそこの長文だし、アクセルロッド先生の本も読んで、繰り返し囚人のジレンマについて押さえておかなくてはならない。少しは面倒というものがあるものだ。

 その昔、はてなの質問で、「なぜ人を殺してはいけないかを説明してください」「小学生にもすぐわかるように」「ゲーム理論は持ち出さないで」というのがあった(http://q.hatena.ne.jp/1124114353)。小学生にすぐわかるようでないと満足できないとは、趣ある了見だ。人生に大事なことならばすべて幼稚園の砂場で学べるはずだという流派であろう。ときおり見かける。これはファンタジーを聞かせてくれといっているわけで、満足するまで聞かせてもらえば幸せだろう。実用上も問題はない。

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