スクールランブルぬり絵
いずみのさんから面白い遊びを教えてもらった。ぬり絵だ。
スクールランブル第9巻47ページ。
結城つむぎ(お下げ)の意識のコマを赤色で、高野晶(ショートカット)の意識のコマを青色で塗ることにしよう。
そうすると、この47ページにぬる色は、1コマ目から順に、赤、青、紫、紫、紫、赤/青、白、となる。
2コマ目は青。高野がつむぎを見ていて、つむぎは忘我の状態にある。つまりこの2コマ目の「ぼ〜」というのは、高野から見て「ぼ〜」なのであって、その「ぼ〜」の中身、実体は、1コマ目の「うひゃ―― …… カッコい――!!」である。「うひゃ――」を外側から見ると「ぼ〜」になるのだ。つむぎは「ぼ〜」と考えているわけではない。「うひゃ――」と考えている。
つまり、1コマ目と2コマ目は、つむぎの思考を、その内と外から見た、ということになる。
また、「ぼ〜」=「うひゃ――」からして、1コマ目と2コマ目は、時系列上でほとんど同じところのものだ、ということになる。
さて、3コマ目で、つむぎが忘我状態からわれに返り、それによって、コマは紫になる。これはこういうことだ。1〜2コマ目でつむぎと高野は、つむぎの忘我状態を軸として、違うものを見ていたのだが、この忘我状態が解けたことで、二人の見ている状況が一致する。つむぎがわれに返るという事象は、二人とも、同じに意識したことだからだ。
そして、そのまま、4コマ目と5コマ目も紫である。つむぎは自分が何をして何を言っているか意識しているし、高野も何をされて何を言われているか意識しており、それらが一致している。
次の6コマ目、ここは二色のぬり分けになる。
まず、コマ下部の、つむぎが高野の手を握っているところの上に、エフェクトが載っており、したがって、その部分は高野の意識している領域であり、青くなる。握られた手を特に意識しているのは、高野だけだ。
いっぽうコマ上部では、忘我している高野が高解像度で描かれている。そこはそれを見ているつむぎの領域である。よって赤になる。
ふたりの人物の視線が、意識している場所が、ずれて交錯している、典型的な">"型の構成といえる。
そのつぎ、ページ末の、7コマ目は白い。というのは、このコマには室内の風景がうつっているが、赤も青も、そこにぬられていないからだ。続いている台詞からわかるとおり、赤と青はこの時点でも、6コマ目と同じ場所に、つまり握られた手と、高野の顔とにぬられている。7コマ目の室内の風景に色づけしているキャラクターはいない。だから、7コマ目は白い。
さて、時間的に考えてみると、7コマ目でしゃべられている台詞と、5コマ目でしゃべられている台詞とは連続しており、あいだに間が空いてはいない。と、すると、6コマ目というのは、時間が経過しているコマではない。そうではなくて、この6コマ目というのは、時系列上では、5コマ目の「書いてみない!?」の「!?」ぐらいの時点なのだ。その一瞬に、コマみっつぶん重なってきたつかのまの紫は分色し、また赤と青になったと考えられる。
つぎの48ページは空から始まる。
この1コマ目は白でいいだろう。以下、見方があろうが、緑、緑、緑、黄、白、白、青、とぬろう。
ポイントは5コマ目と8コマ目だ。
このぬり分けの根拠は、意識だ。どちらの意識のあるコマなのかだ。
5コマ目の高野の台詞と表情は、高野が意識して言い、みせているものではない。5コマ目は、語る高野の、ある一瞬の台詞と表情が、沢近の印象に、意識に、強く残った、その一瞬だ。このコマを強くおぼえているのは沢近であって、高野自身はあまり意識しておらず印象にも残っていない。将来思い出したりもしない。そういうコマだ。だからここは黄色だ。
逆に8コマ目は、高野が意識し、その印象に残した一瞬である。沢近自身は軽い気持ちでこの台詞を言っており、表情も自意識なしの一瞬のもので、やはり同様に、思い出すこともあるまいが、高野のほうはこの沢近の台詞と表情が印象に残った。この話の最末尾の50ページで思い出している。そういうわけで8コマ目は青だ。
この喫茶店での会話を思い出すとき、沢近は5コマ目を、高野は8コマ目を思い出す。そういう描写というわけだ。
(本稿の内容はいずみのさんとのチャットによる。47〜48ページの色分けはいずみのさんの色分けをもとにしているが、いずみのさんの分けかたはこれとは異なる)
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