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そこに書かずに一瞬を読ませる/『大奥』第三巻207頁の話続き

 昨日付けの日記の話の言い換え。

 大奥第三巻207頁のあのシーンは、たとえば映画やアニメではやりづらい。それは時間と意味の含め方の話で、この4コマをそのまま映画に入れると、一瞬で流れてしまう。ほんの数秒か、あるいは秒に満たぬ場面だからだ。では、伊豆守の心中に去来することごとを、回想シーンとして挿入してみるか。しかしそれらは、疫病と、経済構造と、階級支配と、愛憎劇と、老女の偏執と、英雄の諦念とだ。それではほとんど、大奥のそこまでの展開を再演するのと変わらない。いったいこのシーンで何秒の時間を流せばいいのか。いずれ無理のある話だ。

 では小説ならどうか。小説では、一同の、伊豆守の顔だけを描写して済ますことができない。文章はその意味を書いてしまう。内実をすぐに語ってしまう。というのは、文章はフォーカスの合ったものを説明せずにはいがたいからだ。フォーカスを合わせておきながらそれを説明しないでいるという、じらしの類は、文章に向いた手ではない。

 ごく短い一瞬の時間経過の中に多数の含意を集約させながら、それをそこに書かない、という手は、漫画の得意とする技法のひとつだ。207頁の4コマに傑出しているのはこれだ。



 こういうのを漫画が得意とする理由は、いわば、漫画がゲシュタルトとリニアを何チャンネルもで併用するものだからだ。ゲシュタルトというのは絵のように、時間経過ほとんど抜きで全体をいちどに認識するものをいい、リニアというのは文章のように、ひとつずつ時間軸に沿って伝えられるものをいう。

 ゲシュタルトに寄せれば、この4コマのように、ある一瞬の場面の中に複数のカメラを置いてやることができる。そうしてごく短い時間切片の中の各局面にカメラを向け、そのそれぞれをフォーカスしてやり、えがくことができる。一方リニアに時間を流せば、事象の発生とその結果を描くことができる。リニアに描写を連ねていくことで、物事の因果、歴史を脈々と、長大に語っていくことができる。この二特性の配置でもって、ある一瞬に、多数の事象の因果を集約してみせることができる。

 漫画は、絵がゲシュタルトであるが、それをコマとして並べてリニアに流すことができる。しかし一瞬の場面を複数のカメラで割るゲシュタルト寄りのコマ割もできる。一方、台詞や吹き出しに文章を置けば、そこではリニアな情報が流れる。

 そして、そうして並べたコマ、ページ構成をどのような速度で読み進むかの制御は、過半が読者に渡されており、適当なコマやページで目を止めて精読することも、以前のページに戻って読みなおすことも容易だ。全コマ、全ページが同時に読者の前に置かれている、とみなすことも、比較ではたやすい。したがって、そのレベルで、容易にゲシュタルトに寄せなおすことができる。



 一同の一瞬呆然とした表情を、そして伊豆守の何かに気付いた表情を描いてやり、では彼が気付いたことは何か? それはそこには書かない。それはこの時点までに、この以前までの部分で描かれてある。それを確認するまで読者が刹那でも三日でも、どれだけでも時間をかけ、ページをめくり戻して読み返せばよい。それにかかった時間がどれだけであっても、それはその読者にとって最適の、ぴったりの時間だ。映画のように特定の秒数を割り振ることにはならないし、文章のように注意を引くことと同時にそれを説明してしまうこともない。

 こういうのは漫画は得意だ。



おまけ 大奥第三巻補足

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