指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

人々はなぜ逸見エリカのことを考え続けてきたのか


「みほの黒森峰からの出奔って、具体的には何の誰のどういう原因の責任から生じたんだ? 戦車道のルール上における安全性とは? 連覇記録の価値とは? 黒森峰における西住流家元の立場とは??」

「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」

「ほう…それならそれはそれでいい…もしもここに逸見エリカというキャラがいなければな! 逸見エリカはみほの出奔によって《なんか感じわるいことになってしまっている》キャラだ! 世界設定の不備によってキャラクターが感じわるい状態のままに置かれ続けることは不当であり、解消されなければならない!! あるいは、解消されないのであれば、補償されなければならない!!」

隠された希望と責任、終わらない悪夢の演説/ダンケルク


ダンケルク、なんか感想が…あんまり」

「あら、そうだった? どんなかんじ?」

「フランスが一応時間稼ぎしてて、そこはまだフランス領なのに、フランス人が犠牲にされていったり、それでイイ感じに終わってんじゃないよと思う」

「ふむ? あの映画の終わりは、いい感じな終わりではないと思うけども」

ハイランダーズの子は、不貞腐れた後、新聞の論調に満足して喜んでたよね。新聞や世論的に盛り上げる展開で終わってる。戦争そのものが理不尽ってことにはなってるが、なんかポジティブな意味付けしてるラストで、頭打った子とか、落ち込んで死んだのに、新聞載せて美談にしてしまって終わる。イギリス全体の世論、語られ方としては、ピンチだったけど頑張った、まだ頑張れる!!ってことで、その後実際、イギリスは耐え切って勝つわけだ。この撤退戦は大変だったけどよくやった。人類捨てたもんじゃない!ってエンド」

「んーとですね、まずひとつ、違う視点から見ていると、同じ事柄がぜんぜん違って見えることがある。あの映画では、着水した戦闘機の窓から手が振られていて、無事だよ、という意味に見えたものが、そのあと上空からでなく水面の側から見ると、窓が開かずに溺死しかけていたということがわかる。あるいは、陸軍からは空軍の苦闘が見えていなかったりね。世論が新聞の視点から盛り上がる、一方で、じゃあ別の視点、現場や兵士の視点ではどうだ、ということだ。つぎに、これは僕もどなたかの呟きで気づかされたのだけれど、あの個人ヨットの船長、一見、映画を通じて、つねに冷静に行動しているのだけれど、実は彼の動機には、『万一、長男が生きていて、大陸で助けを待っているかもしれない』という思いがおそらくあるんだよね」

「ほう」

「だから着水した戦闘機に向かうときに態度が乱れているし、そしてそう考えると、そもそも海軍に引き渡さずに自分で出航してしまうこと自体が、実ははっきり衝動的な行動なんだよ。彼は、万が一、何かの間違いで、長男にまた会えないだろうか、という発作的希望に従って船を出してしまう。そう考えると、次男を一緒に連れて行ってしまうのも、倫理的にはけっこう怪しいし、次男の友人を連れて行ってしまうのは、やはりこれは失敗なんだよ。ミス、やらかしなの。ただ、船長はこの自分の感情を、態度と立振舞いの下に強く抑え込んでいるから、勇敢な大人が立派に行動しているように見える」

「えー?」

「だから、あの友人の死には、さかのぼると船長に責任はけっこうあるんだよ。三人目の人手は必要ないわけだし、長男を探すこと自体が個人的夢想なのだから」

「強引な気がするなあ」

「一般的に、戦争というのは悪行を善行の側にシフトさせていくはたらきがある。たとえば、通常、他人に依存性のある薬物を与えるのは悪い行いだが、地上を援護する作戦時間を増やすために、疲労困憊した戦闘機パイロットに覚醒剤を与えるのは、数百人の命を救う善い行いになってしまう。大規模な悪が頻発するようになると、小規模な悪は善のほうに含まれるようになってしまうわけだ。ダンケルクでのあの友人の死は、もし平時だったら、事故の原因が調査され、関係者の行動の理由が問われていくだろう。しかし、戦時には死は頻繁に起き、それは敵や危機に立ち向かう立派な死ではない理不尽で無意味な同士討ちであることも少なくない。安全管理も低精度で速度重視になるからだ。戦争遂行上の価値の低い少年について、その原因と責任者を精密に調べる手間など意味がない。そんなことを調べている間に、次の敵がやってくるので、追求を浅く切り上げて戦ったほうが善なのだ。船長と次男は、友人の死を修飾して新聞社に語り、英雄譚にしてしまった。一応、友人の発言を元にはしているが、本当のところは、自分たちの責任を隠蔽してしまっている。しかし、いまその戦時に、彼らの真実のその部分的責任を、告白したとしても誰が聞くというのだ。社会はそんな微妙に入り組んだ真実に聞き耳を向けるような状態ではない。社会は惨劇か栄光か、英雄か悪玉か、チャーチルの勇壮と悲剛な演説を伝え、灰色で煮え切らない理不尽な小話は戦史の豪流の中に沈めてしまったほうが『善い』…」

「じゃあ、それでいいってこと?」

「いいわけではない。『戦史の豪流の中に消えていってしまうということを、この映画は描くよ』、ということだ。チャーチルの鋼の闘志の言葉は、社会を奮い立たせ、敗北を耐えしのぎ、勝利に導くだろう。しかし、その言葉を聞いた一兵士の、うんざりした憮然の表情でこの映画は終わる」

「うーん」

「僕は感心したのが、公開前にダンケルクの予告を見たときに、『we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall never surrender』の口調が変だなと思ったのね。チャーチルの有名な演説が、妙に弱く震えたような声で読まれていた。でも、本編を見終わると面白い。チャーチルの国家の視点を体現した力強い闘志の演説は、現場の兵士の視点から見ると、悪夢が終わらないことを意味している。無事を知らせて振られる手のように、視点が変わると違うのだ。兵士の視点からは、まだ終わらないんだ、また次の戦場で戦うんだ、次の次もやるんだ、ずっと戦うんだ、ということだ。兵士はけっきょくダンケルクから脱出できなかった。それがあの映画のオチだ。チャーチルの最も知られた就任演説、挙国一致を求める歴史的テキストを用いることで、お得意の悪夢のループ構造を作り出している。おそるべき脚本力だ」



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トラップカードとしての北朝鮮


「いやーあの出汁巻き玉子、よかったねえ。旨味があふれるとはまさにあれ」

「中心が熱くてね。あと最後の泡盛も面白かったです」

「ね? あの通りのあの位置で長続きしてて、気持ち微妙に高そうな和食系。ずっと何かあると思ってたんだよ」

「前から言ってたね」

「位置から逆算するんだよ。通り1本か2本、面倒な位置で…」



小池都知事はさ、前任者やその部下たちの弱点をがんがん追求して、いよいよもう刃が喉元にふれた、頸が落とされる、というところでフッとやめて、とどめをささない。ああいうのが上手い。あれは暴けば汚く後ろ暗いものがぞろぞろ出てきて、たぶん相手方は連鎖的にごっそり吹っ飛んだと思う。でもそこまで追い詰めておいてから、スッと追求をやめて、吹っ飛ばさない」

「なるほど?」

「ふっとばしたら終わりだが、刃をつきつけてから生かし続けておけば、その相手はトークンなりカードなり、使い続けられるというわけか」

「あれはナポレオンみたいなというか、そういうのがやたら上手い。今度の動きはどうかな」

「そのへんさあ、今、ちょっと思いついてきてることがあるんですよ。聞いて」

「ほう」

「どんな」



「これは、赤ワインみっつめぐらい飲んでて脈絡がつながるようなエスパーな話で…だから…脈絡のつながりが細くてもエスパーしてほしいんですけど」

「うん。妄想的な話ね」

「まず、ここのところしばらく、北朝鮮ロケットマンアメリカ大統領とがメンチを切りあってますよね」

「やんのかこら、やんのかこら、おぅウ?↑ おぅウ?↑↑ だね」

「そうそう。それで、あのメンチの切りあいは、やってればやってるほどアメリカが損をしてるんだと思うんですよ」

「なんで?」

北朝鮮はさ、言っても国としてはちんぴら格なわけですよ。対してアメリカは、いくつもの軍事同盟の盟主、いくつもの舎弟を従えている親分格です。そうすると、ちんぴらと親分が直接、メンチを切りあっていたら、親分のほうの面子が安くなっていく。『親分さんよお、手が出せねえのかよ。俺ごときちんぴらに手が出せねえとは、大した親分さんだな、お安いじゃねえか』となる」

「ふうむ? じゃあ、逆に、なんでアメリカ親分はちんぴらに手が出せないんだ」

「それはちんぴらのすぐ後ろに、実は中国親分がいるからなんですね。なにしろこのちんぴらの家の裏口は中国親分の事務所と溝板一枚渡るだけでつながってて、事実上出入り直通なんです。あくまで違う国ではあるけれど、物も人も金もすいすい行き来できて、いざ殴り合いとなったら中国親分の事務所から組のバッジを外した若い衆をじゃんじゃん送り込める。70年前の朝鮮戦争で、中国は100万規模の『義勇軍』を投入して、米軍を38度線まで押し戻した。あくまで『義勇軍』であって中国軍じゃないよ、これは中国の戦争じゃあないよ、盃交わしたわけじゃないよ、とシラを切って、国境からこっちの本国は安全なままでね」

「そんなバレバレなの通用するの」

「これが実際通用するし、したんですな。というのは、おまえ中国じゃねえか、直接この中国を殴って手を引かせてやる、と考えてみても、じゃあ中国親分の本土に殴り込みたいのか、というのがポイントになる。北朝鮮を越えて、中国本土を攻撃するとしたら、広い中国のどこをどれだけ殴り取ってから交渉に入るのか。どこまで殴り取ったら取引材料が足りて手の打ちどころになり、講和ができるのか。これはかなりわからない。殴り合っているうちにどちらかの、あるいは互いの国の世論が盛り上がってしまい、講和を認めなくなるかもしれない。事前に計算できず、リスキーです。あるいは講和なんてケチを最初からいわず、中国全土を殴り倒す大作戦にとりかかろうというのか。どれだけの大戦争になり、どれだけの兵力と予算をつぎ込むのか。しかもそこにロシアが中国側についたりしたら似たような構図がさらに広がる。そんなリスクと兵力と予算を、たかが朝鮮半島の北半分のために投入する? アメリカの議会からすれば、朝鮮半島なんて地球の裏側の、経済的にもさほど興味のない土地です。大統領府が議会に予算を出すよう説明するにあたって、費用と利得が釣り合わなすぎだろう…」

「史実でも、現場のマッカーサー将軍は中国本土の攻撃を主張しはじめて、更迭されたしな」

「えー? なんかイカサマな話なかんじがするけど」

「実際、一種の妙なトラップみたいなパターンともいえます。アメリカは北朝鮮と戦い始めることはでき、そこに増援された中国義勇軍と戦い続けることはできる、が、中国本国と戦い始めることはできない。そして中国にとって北朝鮮はすぐ隣なので戦力をつぎ込みやすく、つぎ込む価値も高いが、アメリカにとっては遠いために戦力をつぎ込みにくく、またつぎ込む価値を議会に説得できない。なので中国が持久戦に持ち込めば、いずれアメリカのほうが先に諦める。このパターンはベトナム戦争でも繰り返されて、中国とソ連が比較的気楽に北ベトナムに支援をつぎ込み、アメリカはそのふたりの親分に殴りかかるほどの覚悟は持てなかったので、けっきょく負けた。このときのアメリカの振る舞いは朝鮮戦争の経験から、『中国の義勇軍投入を引き起こさないていどに勝つ』という混乱した動きになっている。妙なはまりかたをしやすい、ひねり鈎のついたトラップなわけです」

「うーん。本当かなあ?」

「やくざにとってちんぴら、盟主国にとって緩衝国が、どれほど便利な『トラップカード』であるか、というわけだな」

「そうそうそれ。トラップカード。あきらかに弱そうなのに、踏むと非直感的な効果が発動して高確率で負ける。大きく負けるわけじゃなく、あくまで小さな負けだが、逆にいうと小さいからこそ負けを受け入れなければならないという合理的な得失計算の立場に置かれる」

「なるほど、一見踏めそうだが、踏めない。じゃあそうだとして、そうするとどうなる」

「メンチを切りあってみたあとで、相手がトラップカードだったことに気づき、踏めなくなる。そうすると、親分がにやにや笑顔で登場して、ぬけぬけと言ってくるわけですよ。


『いやあ、乱暴者がいると町内が困りますなあ。私もこいつには少し縁があって、つねづね叱りつけているんですが、とんと言うことを聞かない。しかし、こいつも性根は良いところもある。決めつけて暴力的な解決はいけません。話し合いで解決しましょう。関係者(もちろん、私を含めて)でよく話し合って、全員が納得できる落とし所を見つける。これしかありません』

てなところで、これで謎の事業基金とか謎の投資プロジェクトとかを作り出して、金なり何かリソースを出させ、そこから割前をちんぴらも親分も獲得する。美味しいです。いまの場合だと、中国が『つねづね叱りつけている』役、ロシアが『話し合いで解決しましょう』役と、2役に分かれてやっているようで、少しテクニカルですね」

「ふむむむ」

「ズルい。アメリカも使おうよトラップカード」

「そう、そこだ。置きたいですよねこのトラップカード。これがですね、本来は、それがあった。韓国がそれなはずなんですよ」

「ん?」

「韓国が、アメリカにとっての緩衝国だったはずなんですよ。北朝鮮が、やんのかこら、とメンチを切ってきたとき、やんのかこら、とメンチを切りかえすのは韓国の仕事だったはずで、この2国がそれぞれを威嚇しあって拮抗するのなら、中国もアメリカもどちらの親分も安全だった。ところが、今回、韓国は北朝鮮にさっさと経済援助を申し出てしまい、メンチを切らなかった。あくまでアメリカ親分につきあって演習してるんですと。なのでアメリカ親分自身がツイッターでメンチを切るはめになっていて、ちんぴら相手に手が出せず、面子がつぶされている。これ、どうして韓国のいまの大統領がアメリカ親分の統制を脱したのか、ちんぴら役を拒否できたのか、これがわからない」

「わからないのか」

「まだ僕のエスパー能力が足りないんです」

エスパー能力に頼るのがそもそも道を外れているのではないのか」

「まあまあ、ここからが聞かせどころがありますから。われらが日本の傑物、女ナポレオン、小池女史がもうすぐ登場します」

「おっと」

「つまり、ここで、韓国がメンチを切らないから、アメリカが直接北朝鮮とやりあわなければならない。じゃあここにかわりにひとつ国をはさみたいですよね? それはあるじゃないですか。日本です。われらが日本。日本がメンチを切ればいい。だから、とりあえず安倍総理は何度かメンチを切ってみせました。忠節な、アメリカのブルドッグといった献勤です。だが迫力が足りない。メンチを切るための、自他の流血をいとわぬ迫力が。世界第10位の軍事予算の刀を持っていても、紐で縛りつけられていて鞘から抜けないのでは血は流れません。だから、この紐を断つか、それが通らなそうなら、一時的にでもほどけるようにする必要があります」

「刀が自衛隊、紐が憲法第九条、一時的にほどくのが緊急事態条項、という見立てか」

「ザッツイット!(両手でスナップを鳴らしてから指さす)」

「まあもっと飲め」

「これはどうも、頂きます。それくらいで…それくらいで」



「いやあ、うまいですね。バニラ香めちゃ推しで。アメリカ人、ワイン作るの上手いですよね」

「それで?」

小池都知事が活躍するんじゃないのか」

「ああ、はいはい。そう、それでここで、刀が抜けずに困っている、迫力不足の安倍総理に、小池女史が語りかけるわけです。


安倍さん、私が貴方と戦う新党を立ち上げます。人々がどちらの味方をするかはわからない。でもこのドラマチックなストーリーの力に、人々はあらがえない。勝つのは貴方か私のどちらかになる。勝ったのがどちらでも、その勝利による人々からの祝福を受けて、刀は抜けるようになる。

100のうち100がこれだとやはり、陰謀論すぎるかな。16くらい。総理と都知事の動きの理由が100あったとして、そのうちの最大16ぐらい、多くて16%ぐらいがこんなかんじではないでしょうか」

「泣いた赤鬼じゃん」

「最大で16%? 多いのかそれは」

「僕のエスパー能力は最高に当たってそんなところでしょう。この16のうち、8がアメリカの謎のやり手、8が日本会議だかどこだかの謎のやり手というかんじでしょうかね」

「謎のやり手なんて居るのか? エスパーが当たっていたとしても、そんなアメリカに言われたとおりってのは、僕は気に入らないね」

「ああ、いえ、日本会議の謎のやり手も、ただ自衛隊を使わせろと言われて従ってるわけじゃないと思うんですよ、そこはたぶん。人間そうは動かないと思うんで、何か、刀を抜き流血を担うこととひきかえに…たとえば『東アジア方面で(アメリカの次に)一番いばっていいよ、栄光のナンバーツーだよ、若頭だよ』とか。そういう取引。韓国やフィリピンなんかに対していばっていい」

アメリカがいいって言っても韓国フィリピンが納得するとも思えない。フィリピンは中国と仲良くしようという節もあるし」

「『屈辱の戦後』からの脱却…的ななにかが取引材料な気がする」

「取引でなんとかなるものなのそれ?」

「なんだろうなー でも誇り高い日本人のロマンティシズムを満たす取引材料なはず…『名義上、日本が盟主である西太平洋軍事同盟』とかかなあ…? フィリピン、ベトナム、オーストラリアなんかと組んで南沙諸島とかで中国と張り合う同盟。その同盟内では日本が筆頭で、一番偉い。これは気持ち良いですよね。セットで貿易条約と、合同採掘プロジェクトでの資源分配もする。これで日本も資源国だ。その日本をアメリカは安保条約の手綱で握る。アメリカ組の、東アジア若頭だ」

「東アジア若頭」

「これは、安倍総理にしろ、小池女史にしろ、その代で到達できるかは不明な目標だ。もう数代後かもしれません。しかし、謎のやり手が目標にできるくらいの中期的な課題であり、そのための突破口を開いた政治家は、たとえ紐を一本ほどく以外になんらの功績を残せなかったとしても、かれらにとっての英雄となり、どこに行っても下に置かぬ扱いを受けることになる。謎のやり手は、そのために暖かく迎え入れる椅子を用意してある。気持ちよく昔話を喋れる講演会とか。だから、何十年も長期的に権益集団間の利害調整をちまちまし続けるような政治家をやる必要はない。いろいろ派手なことを言い出して現場に命じ、後手に回らせておいて、ドラマチックなストーリーにする。それらの煙幕に隠して本命をひとつ通したら、あとはなんか格好良く見えるタイミングで劇的に辞任すればいいわけです。途中のままのプロジェクトがあれこれ残るが、それらは現場にあと始末させればいい。こういう短期的に勝ち逃げする踊り方をするなら、自分が手札を持っていなくても、空中の無から取引のカードを作り出して対手をひきずりまわすことができる」

「(寝息)」

「ここしばらく科学立国とか本気でするつもりがなさそうなのとか、沖縄を社会感情的に切り離そうとしてるのもこのへんかな…地理的、人員的な前線が血を流すことを負担できるようにするには権威主義が要るし、国家というデッキを権威主義寄りに調整中なんだ…さしずめ目指すは《同盟の盟主》デッキか…」

エスパー能力を使いすぎると、どうなるか、漫画で読んだなあ」



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ドリーム/ヒドゥンフィギュアスの感想


「ドリームみたよ」

「良かったでしょう。ヒドゥンフィギュアス。四つの戦いが並走して全部勝つ、一二七分四勝。プロットぎちぎちで、無駄もだれ場もなくがんがん進む」

「普通に脚本書いたら、あの三人の話をつなげて、たとえばオイラーの公式の話をしておくとか、fortran言語の話をするとかできるのに、やらない。カッコいい」

「そういうのないですよね。というのは、より抽象度の高いレイヤーでかれらは助け合ってる」

「ほう」

「既存の閉ざされた扉を、どうにか隙間を通っていくことで、『そういうこともあるか』と前例化していく。そうして前例を作るとその後の者が通りやすくなる。実際、あの三人のうち、一人目がスペースタスクグループに入ったことで、二人目、三人目はやりやすくなってる。」

「あーそうか」

「この映画なかなか面白いのが、かれらの間で具体的な専門技術、技法での助け合いや、落ち込んでいる個人を励ましたりとかいったことは、きっとあっただろうと思うんですが、そのレイヤーでの助け合いの描写をしないので、抽象度の高いレイヤーでの『前例を作ることで互いを助けるんだ』という関係が強調されていると思うんですよね」

「ははあ。そのへんからがあの三人の距離感、なんというか、ウェットにならない関係になるんかな」

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ムスカがいかに悪役として優秀か

 ムスカの悪役として優秀なのは、若僧であるところである。物語における悪役は、強大でありながら、主人公たちに打ち倒されうる隙を備えていなければならない。狡猾でありながら間抜けであり、チェックメイトをかけながら説得力ある負け方をしなければならない。これは矛盾しやすく、難しい問題である。水も漏らさぬはずの一大犯罪計画に小学生でも気付く穴があって小学生たちに崩壊させられたり、悪辣非道の残虐帝王がヒーローの馬鹿丸出しテレフォンパンチにノーガードな接待プレイをして負けたりする。

 ムスカはこの問題を動的に解決している。

 つまり序中盤、「ムスカが主人公たちを抑えつける→突発事態が生じてアクションシーンに→ムスカが事態に臨機冷静に対処し立場を強める」という展開が繰り返される。ここではムスカは狡猾で、アクションシーンが一段落したとき、つねに得点を増やしている。得点が増え立場が強大になっていき、倒されるべき悪役としての格が上がっていく。にもかかわらず、冷静度は逆に下がっていき、将軍との対決を境に怒涛のヒステリーを爆発させ、敗れる。

 言い換えると、何を考えているかわからないゴルゴは強く、ゴルゴに追い詰められて退場5秒前の死に役は心のうちをべらべら喋ってから死ぬ(内語と主人公の優位)。序盤、冷静で正体不明な悪役が、手の内をさらしていく(呪文を知っている筈だとか真の名とか読めるぞとか)ことで立場的には強くなるが内語(精神的物語構造)的には弱くなって負ける、というつくりである。

 カリオストロ伯爵は最初から一国の領主であると同時に一大犯罪組織の運営者であるので、この冷静・ヒステリー・敗北の三段活用にやや説得力を欠く。特に時計塔に入ってからはトバしすぎで、指輪やクラリスにそんなに価値があるのか? という疑問が生じる(唐沢俊一『B級学』)。その点、ラピュタには世界を制する大きな価値があり、さらに、軍という組織的暴力(理性による指揮)によって主人公たちと対立していた悪役が、逆にその軍(人間集団)を排除し、個人として強大な力を握る、という図式の不安定さが、ヒステリーに説得力を与えている。

 ある意味で、急激に力を得た若僧の(あらまほしくない)成長物語が、ムスカである。だからやることが怖くて詰めが雑で負け方はみじめである。



(2003.08.22 指輪世界 ityou)

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ぼくらのヒーロー・ムスカ

 宮崎駿監督作品「天空の城ラピュタ」に登場する軍のラピュタ探索責任者ムスカ大佐は、まさにみんなのヒーローであった。

 冷静にして沈着、しかしその胸に秘められた他者全般に対する復讐心と空想的な絶対権力への指向が、全国の少年の心を固くつかんだ。

 彼の努力と成功、そして失墜のドラマは、一個の文学作品として成立する。

 「天空の城ラピュタ」が一流のエンターテインメント作品として支持されるのも、ひとえにこのムスカ大佐の人間的魅力あればこそといえよう。

 以下に、ムスカ大佐に関して愚考ながら述べたい。



 「君の一族はそんなことも忘れてしまったのかね」

と言うように、ムスカの一族はシータのそれとは違い、ラピュタの知識を伝承してきた。

 彼は、父母あるいは祖父母から、一族の秘密としてそれを教えられたと思われる。

 しかしその一族は、ムスカが将軍から「特務の青二才が」とののしられる様子から、むしろ権威ある家柄などではなくて、ラピュタ王族の末裔であるということのみを内心の誇りとしている、零落した人々ではなかったかと思われる。

 この点、ムスカとパズーは相似する。親の見た夢を自分も抱いて生きているのである。

 そしてムスカは、自分と一族に正当な地位を取り戻すべく、ラピュタの知識を独力で集めた。たとえば

 飛行石の用法

 「飛行石にラピュタの位置を示させる呪文かなにかを、君は知っているはずだ」

 ラピュタの構造

 「ここから先は王族しか入れない聖域なのだ」

 ラピュタの超兵器

 「旧約聖書にある、ソドムとゴモラを滅ぼした天の火だよ。ラーマヤーナではインドラの矢とも伝えているがね」

である。こうした努力に関しては、パズーの飛行機とムスカの手帳が対応する。

 しかし、暗い図書館の片隅で、埃のつもった古文書を読み、メモを取りながら、ムスカは不安を抱いていた。

 ラピュタは夢物語かもしれないのだ。飛行石も伝えられてはおらず、自分が集めた知識もでたらめかもしれない。

 「このまま進め。光は常に雲の渦の中心を指している。ラピュタは嵐の中にいる」

と命令するムスカ。その自信にあふれた態度の奥には、自分の信じてきたラピュタを、人生を捧げてきたラピュタを、本当に信じられるのかとおびえる彼がいるのである。

 その不安が打ち破られたとき、彼は叫ぶ。

 「読める、読めるぞ!」と。

 この一言に彼のそれまでの人生すべてが表現されていると言っていいだろう。そう、その時、彼は勝ったのだ。彼のそれまでの人生は肯定された。ラピュタはほんとうに彼のものになったのだ。



 以上、もはや国民的ヒーローとなった観のあるムスカ大佐について、そのライバルであるパズー少年と対比しながら、推測を織りまぜつつ論じた。

 「天空の城ラピュタ」自体はムスカ大佐の敗北とラピュタの崩壊によって悲劇的に終わるが、劇中大佐が言うように、それが人類の夢である限り、ラピュタは何度でもよみがえる。

 志を胸に秘めた少年少女は、彼をめざして奮闘してもらいたい。

 およばずながら励ましとしつつ、本論を終える。



(1998.1.13 指輪世界 ityou)

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あんみやの心の中

庵野監督と宮崎監督

「心をとぎ澄ますことで、庵野監督×宮崎監督のより深いペアリングを見出すことが可能です」

庵野宮崎…『あんみや』か」

「そうそう。あんみや。どうやるかというとですね、たとえば、TV版エヴァンゲリオンの15話で、シンジとゲンドウの親子が、亡くなった母親の墓参りに行って、そこで話をするでしょう」

「するね」


シンジ:写真とかないの?

ゲンドウ:残ってはいない。この墓もただの飾りだ。遺体はない。

シンジ:…先生の言ってた通り、全部捨てちゃったんだね。

ゲンドウ:すべては心の中だ。今はそれでいい。

http://wikiwiki.jp/eva-shingeki/?%A5%BB%A5%EA%A5%D5%CA%DD%B4%C9%B8%CB%2F%C2%E8%BD%A6%B8%E0%CF%C3

「この会話はですね、宮崎駿先生が、若き部下、庵野秀明先生に語った、キャラクターアニメーターの心得なんじゃないかと思うんですよ」

「は?」

「つまりですね、もう何十年か前、まだジブリではなかったスタジオの一角で、夜中、二人で鉛筆を走らせながら、こんな会話をしていた」


宮崎先生:昔見た、○○っていうすごい作品の□□っていうキャラクターがいてさ。それがもう素晴らしくてね。最高なのだよ。

庵野先生:へえーそうなんですか! 素晴らしいんですか。ビデオテープとかお持ちですか? 見れます?

宮崎先生:馬鹿者!!

庵野先生:!?

宮崎先生:そんなもの持ってるわけないだろう! とっくに捨てたよ! 庵野くん、君はなにもわかっていないね。そんなだからダメなんだ。全然ダメだ。

庵野先生:ど…どういうことでしょうか?

宮崎先生:あのね、君もアニメーターになるならだ。若いときに自分が見て感動した作品というのがきっとあるだろう。しかし世界の技術の水準も自分自身の技量も、日々、年々、上がっていく。腕を上げてから、かつて感動した作品を見直せば、なあんだここができていなかったのか、あそこの仕上がりが甘かったのか、と、粗がわかるようになっていく。欠点に気づけるようになっていく。そうに決まってるだろう?

庵野先生:ハ、ハイ、そうかもしれません。

宮崎先生:自分が見て感動したとき、その素晴らしさ、最高の印象で記憶したその心の中のキャラクターが、一番美しいに決まってるんだ。自分の心の中にできるかぎり美しいものをできるだけたくさん集めていく。それは元の作品をこえて、自分が腕を上げれば上げるほど美しくなっていく。そうしたら今度は、自分の心の中からその最高の美しさを取り出して、アニメーションを描くんだよ。ビデオテープからビデオテープに描き移していくものじゃあないんだ。だから昔愛したキャラクターのビデオテープなんて、愛していたのだからこそ、持ってちゃいけない。そんなものは全部捨てる!!

庵野先生:(ひえ〜!!)

宮崎先生:少しは見込みがあるかと思えば。まったくダメダメだね君は。

庵野先生:心得ちがいをしておりました! たいへん勉強になります!(このおじさん最高に面白え〜!! いつかアニメに登場させてやろ!!)

「…と、こういうやりとりを込めたのが、あの墓参りの会話なわけですよ」

「ややこしい。妄想の屋上屋を重ねるといったところだな」

「この数十年前の会話は、師匠から弟子へのマウンティングでもありますが、弟子である庵野先生は、エヴァンゲリオンでそうやって、師匠である宮崎先生をおもしろおじさんとして描きかえしたわけです。つまり、リバです。意味合ってますでしょうか」

「本当か? どうだろう」



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