萌える諸子百家
ある晴れた日、荘子と恵子とが連れ立って、川沿いの土手を歩いていた。
荘子「あー、暑い。おっ、見ろよ、魚が泳いでる。気持ちよさそうだよなあ」
恵子「魚の気持ちがどうしてわかるのよ。あんた、魚? 馬鹿?」
そこで荘子は恵子を突き飛ばした。
恵子「なっ!?」だばだばだばば ざばー
恵子「な、ななななにするのよっ!! いったい、あんた、わたし――」
荘子「あばれるなって。足着くだろ、ほら。浅いし、流れも遅いし。」
恵子「何のつもり…」
荘子「こっちから引っ張るから、ちょっと寝そべってみ。空向いて」
恵子「………。」
荘子「冷たくて、気持ちいいだろ。昔、ときどき魚釣りに来たんだ」
恵子「聞こえない」
背泳ぎの体勢だから耳が水に浸かっていて聞こえないのだ
荘子「昔、ときどきここで泳いでたんだ」
恵子「聞こえない!」
荘子「ま、いいや。だいたいわかるだろ? こんな時どんなこと言ってるのかなんてさ。」
恵子「(わかるもんですか…あんたの言ってることなんて。直接声が伝わったって伝わらないのに。)」
荘子「え? 何だって?」
恵子「服びしょびしょで最悪! 馬鹿、乱暴者、考えなし! って、言ったの!」
原典
知魚楽
恵子 × 荘子 知魚楽
解題1
誰かの気持ちが原理的にわからないといっても、原理的にわからないのは全体のわからなさの1割かそこらである。魚の気持ちがわからなければ、わかるべく川に飛び込んだり、生物学を学んだり、水質調査をすればよい。9割のうちのいくぶんかを知っていくことができる。参考:「なぜみんな本当のことを言わないのか?」
解題2
恵子からみたとき、魚の気持ちは一万通りあり、荘子の気持ちは一万通りある。このふたつの気持ちが一致している確率は一万分の一である、ということを恵子は知っており、それを自慢気に言った。しかしこれは、自分がわからないでいることを誇っている態度であり、荘子はこれを非知的態度とみなして不満とした。特に、荘子の気持ちがわからないとしてそれを誇るがごときは許せぬ物言いである。ここで荘子が求めていた台詞は「私には君の気持ちがわかる。私には魚の気持ちがわからない。だから、君にも魚の気持ちがわからない」であった。この台詞には食い違いがある。この食い違いこそ議論を広げていく源であり、人間が会話を続けていくに値するものなのだ。つまり荘子がツンデレである。