指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

ミニスカートの天秤

「昭裕くん。久しぶり。息災かね」

「はい。なかなか息災ぐらいです。その後いかがですか」

「僕はコードギアスR2マラソンをしたり、千早武士道を見てたりしたよ。じゃあ、コーヒーでも飲んで、人は何のために生きるかについて話すか」

「先輩まだそれ考えてたんですか。」

「『何々のために生きる』という文と、ミニスカートと、天秤について…10分ぐらいの話だよ。」

「ミニスカート。いいでしょう。」

「『何々のために』という文は、その何々のために手持ちのリソースを最適化すること、トレードオフするということだ。そういう最適化、トレードオフというのは強力な手法で、近代的な偉業はこの手法によるところが大きい。有人宇宙飛行にしろ、商品開発にしろ。だから人がどう生きるかについてもこの手法を使いたくなって、『何のために生きるべきか』といったふうに考えたくなるんだが、これがけっこううまくきれいにいかないんだと思う。」

「ほう」

「有人宇宙飛行や商品開発では、目標である何々と、それのために最適化しトレードオフする予算、設備、労働力等手持ちのリソースが書き下せる。関係要素を数え上げて、リストの中でトレードオフ作業をしていけるわけだ。ところが、『生きる』と言うと、関係要素は全部になる。人生、宇宙、すべての答えというやつだな。全部、というのがやっかいなんだ。君は小学校で谷川俊太郎先生は読んだかね」

「ええと…生きているということ、いま生きているということ、それはミニスカート、それはプラネタリウム、それはヨハン・シュトラウス、それはピカソ、それはアルプス…」

「いいね。俊太郎先生はおっしゃった。『生きる』と言ってしまうと、関係する要素が多くなりすぎて、おいそれと書き下せなくなる。自然数全部を書き下してください、とまでは言わないが、かなり多い。『何々のために生きる』というのは、天秤の一方に『何々』を載せ、天秤のもう一方に『何々以外全部』を載せようという話であるわけで、その後者がミニスカートやピカソやアルプスや、書き下しがたい多数の物事であるので、前者に載せてそれと拮抗し打ち勝てるような何々を一単語や二単語で書けるかというと、けっこううまくきれいにいかない。そういうわけだな。」

「少ない単語ではうまくいかないと。ふうん。なんとかなりそうにも思えますけど」

「なんとかならないこともない。たとえば、そこで…」

「そこで? ケーキセット…2つ、かぼちゃタルトと…両方かぼちゃと、ブレンドでお願いします。」

「そこで、神とか言い出すとかわせる。いったん一言で『神のために生きる』と言って済ましておいて、その後で、神とはあれを含み、これを含み、と『何々以外全部』の中から抜き出していって記述していけばいいわけだ。広いゆるい概念を置いて後から選ぶ、壁パスみたいなレトリックだな。こういった手はあくまでかわし手であって、うまくきれいにいっているとは言いがたい。」

「けっきょく後から天秤の一方から一方へ移しかえるんじゃ、あまりきれいではないですものね。これいいですね。クリームがしっかり堅くて、甘くなくて」

「『何々のために』は中短期的な、関係要素をリストに書き下したものごとに適用するのに向いた手法なんだよね。扱う範囲が狭ければ強力にはたらくが、広くなってくると、壁パスが生じがちであまりきれいにならない。生クリームが真面目なケーキ屋はいいね。香りもいろいろ入ってるし」

「お砂糖と、スパイスと、素敵なものぜんぶ、ですね」

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