指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

サンダーバード/シークエンスの密度の埋め方

 サンダーバード劇場版を観て来た。実写だというので、何か不吉な予感があったのだが、Y本君の車に乗せていってもらった(そしてスチームボーイの上映時間が減らされてた)ので彼に決定権を譲った。そして大体、敗北。現在、Y本君の映画選定眼の株下落中だ。キングアーサー観たいとか言っているのも怪しい。

 あらすじ。

 主人公はトレーシー家の末子+友人のメガネ君+インドネシアテレキネシス娘(イヤボーン有)。主人公は隊員になりたがるが父親にまだ早いとか言われる。悪役は中国系のテレキネシス使いとギーク姉ちゃん(僕の功夫では萌不可)とクリンゴン系で、トレーシー家の南海秘密基地をのっとってからロンドンの銀行の金庫室を襲いに行く。父親と兄弟は全員宇宙ステーションにおびきだされてミサイル当てられて閉じ込められ、中盤の展開からリムーブ。子供連中+英国貴族娘が基地で抵抗して、閉じ込められて、脱出してイギリスに追撃して決着。キャラテーマは子供のチーム間の信頼、悪役の「トレーシー家長の偽善者め」、父親の「全員を救えないことも、あるんだ」。

 ストーリーとしては、サンダーバードの組織としての保安/後方支援/予備戦力の貧弱さを示指するものになっているわけだが、そんなことを指摘されても困るのではないか?と思った。エンターテインメント作品において、障害なり敵なり解決課題なりといったものは、主人公の強いところ・長所・得意スキルとがっぷり四つに組むように設定されるべきではないのかしら。



 オリジナルの人形劇を見たことがないので推測だが、ミニチュアのつくりもので火事なり台風なりの災害をつくって撮るその手間のバカっぽさが「こんなもんちまちま作ってるのか、すごいなあ」という見物になるのだろう。そして、その災害に対処するスーパーメカの発進/動作の手順描写も、こんなん作れるんだなあ、と感嘆できて、そこが面白いのだろう。いったんミニチュアというつくりものを作って、それをまたつくりもののフィルムに焼くという迂遠な手間をかける意味は、そこにあるのだろう。そしてそれが、自然現象とそれに対する人間側のシステムの作動手順を映すだけで画面が持つ理由だ。フィルムの密度を、ミニチュアの造形が担っているのだ。



 一般的に、バカみたいな労力を要する表現手段が用いられていて、そのことが画面から即座に観客に伝わるとき、それはそれ自体で芸となって、画面を持たせることが可能だ。実写作品ではこの芸は、たとえば管制室の能率的な業務シークエンスや、戦闘前の準備シークエンスなどの描写で、高密度に細部をつめこんでいくことによって行われる。機能的でその背後に有能なシステムの存在を感じさせる台詞、迷いのない、十分な訓練を思わせる動作。まさにメカの発進手順シークエンスでも、これらは重要なのだが、人形劇でそれらのシーンを描く場合には、労力の投入が、それらのミニチュアモデル/セットをつくる段階で費やされている。だから人物の台詞や動作の芝居が薄くてもいい。そもそも人形劇では、動作の芝居は高密度にしづらいであろう。

 で、今回は、ミニチュアから実写へのコンバートによってその効果が消されるわけだ。そのため、メカの発進手順シークエンスの絵面が薄くなってしまっており、ロケットや、あの緑色の太い奴が離陸するときに、「よおし動く動く」という高揚が少ない。

 実写でならば上で述べたように、この部分の密度を埋めているのが操縦者の発進準備シークエンスおよび、基地側オペレーターの管制業務シークエンスの描写なのだが、オリジナルではそれらが不要であったので、設定にそうした要素が存在しない。背後に管理システムや訓練体系が存在しない設定なのだ。

 じゃあ、いまさらサンダーバードプロジェクトとかいって、メガネ白衣ひとりに担わせていた機能を整備スタッフや管制室のオペレーター達などに分散し、総計数千人規模の支援体制を設定したら――もうサンダーバードじゃないということになるであろう。したがって、病が深く、どうしたものかわからない。



 この実写版の脚本が、災害と戦うストーリーにできないで、対人戦になってしまっているのも、同じ病根から来ているっぽいし、正規隊員全員が本筋から除外されていて子供連中と貴族娘主体になってしまっているのも、そのへんからのような気がする。難しげだ。



 先々週読んだ本で『映画の見方がわかる本』(ウェイン町山)というのがあって、とても面白かったのだが、その中で、サンダーバードのトレイシー家というのはJFKケネディ家が下敷きで、大金持ちの米国WASPが世界中から稼いだ金を政治的中立な組織によって国際的に還元するという、1960年代の世界観が見て取れる、という話があった。なるほど。それならばそれで、政治的に中立な国際組織という思想(つまり国際連合)の理想と敗北、みたいなテーマにしたらどうだったろうか。

 パトレイバー2フィルタリングすると――悪辣な独裁国家で起きた半ば以上人災の災害、それに対して懲罰的不支援を唱え、サンダーバードの出動を抗議妨害する近隣の大国、政治の駒にされながらも中立を掲げねばならぬトレーシー家長の理想への意志、英国娘との言葉無き相互理解の別れなど。それこそ数千人規模の組織になっていて国際政治の力学に左右されるようになっているサンダーバードプロジェクトのもとに、全世界に散ってしまっていたトレーシー兄弟たちが帰参してきて、父親「結局俺には、お前達だけか。」とか言って、私兵を以って理想の一石を為す。どうですか。そんな激渋なサンダーバードは。うーむ。



 それはそれとして、人形劇なら、お客さん、Team America(予告ムービー)が期待株ですよ。サウスパークの人材が、やってくれる予定です。紹介はまさにid:TomoMachi:20040812が詳しいです。





 「小年活劇風だった」というコメントを見たので、アーサー・ランサム『海へ出るつもりじゃなかった』変換をかけてみる。

 これは冬休みに父親と一緒に小帆船で北海横断をするはずだった四人兄弟が、いとこのお兄さんの交通事故/脳震盪と嵐による錨綱切断 のトラブルで、子供達だけで出港してしまい、一夜の必死の試練のすえに、海を渡ってオランダに無事到着するという話だ(N.P.さんアーサー・ランサム・ノート)。だから引率の兄ちゃんを急病にして、そこで災害が起きて、「メカもあるしやっちゃおうぜ」とはしゃぐ末弟、僕らはまだ子供だ、危険だと躊躇する長兄(ジョン激萌)、飛ばすだけで大仕事なサンダーバード号(帆船の航走に匹敵するディテールが出せるのかが不安だけれど)。子供たちなりにがんばった末に、これはもう無理だ駄目だという瞬間に親父のごつい手が操縦桿を握って解決。そんな話。サンダーバードだとお母さんがいないから、ジョンの責任の対象がいないな……

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