指輪世界の第五日記。基本的に全部ネタバレです。 Twitter 個人サイト

文章さんの褒め言葉

 以前綾茂さんと話していて言葉になったのだが、文章さん(vs文章たん)の監督下になにかを褒める時、嘘をついて褒めなければならないことがある。これは文章さんの困った性質である*hb

 というのは、なにか見聞きしてとても面白かった事柄があったとして、その面白かった部分というのが月並みなものであった場合、それを褒める文章さん自身は、面白くならないからだ。月並みな面白さは、それ自体は面白いが、それについて語る文章を面白くはしない*tt。そして文章さんは、なにか面白いものを褒めるときに、自分自身も面白くなることを望む。相手が面白いだけでは不満なのだ。

 そこでわれわれとしては、その事柄に面白さを感じたほんとうの部分については触れないで、その面白さと本質的には関係のない、しかし特異性のある枝葉*tbをとりあげて、それを褒めたりすることになる。特異なものについて語る文章は、面白くしやすいからだ。これは嘘なので、つらいところだ。文章の語るものが、その文章を書きたいと思ったそもそもの動因とは違うものになる*om。ややこしいものである。



[hb] 文章さんの困った性質

 うちの文章さんは、たとえばあるページがすごい面白い、ファンメールを送ろう/日記で書こうと思って書き始めると、気が付くとそれに絡めた理屈と分析になっていてこれもう褒め言葉じゃないじゃん!いつの間にこうなった? どう書けばいいのかわからなくなって、結局消してしまう、ということがある。

 なにか理屈に乗せられないと好意贈与のひとつもできない不器用/ツンデレキャラ(海原雄山研究)ということで萌えていただきたい(たわごと)。



[tt] 月並みな面白さとそれを語る文章の面白さ

 この部分については、以前書いた正しさと安さの関係についての話を参照(安い正しい 理屈屋にとって、安物を避けるほうが楽なのはなぜか 「面白いか?」)。良いものは時として、良いからこそすでに幾度も使われた、枯れたものである。そうした有効な手段は繰り返されるうちに気付かれ尽くし、すでに言及されていて、面白く書くことが難しい。理屈屋が余人の知らぬマイナーなものを嗜好し、あるいはメジャーテーマであっても変な切り口で扱いがちなのは、このためである(id:AYS:20040906『誰でも知っている題材に関して、誰も聞いたことがないような切り口で語る/誰も聞いたことがないような題材に関して、普通の切り口で語る』)。



[tb] 枝葉

 たとえば、このゲーム面白いよ、やってみなよ、と言うとして、その次の台詞からもうすでに、発言じたいが芸になっていなくてはならない。……というのも言いすぎだが、芸にしたほうが効く。この要求を強く見積もる場合、グラフィックが綺麗だとか、音楽がよいとか、気の利かない真実をならべていって作品から文章上に一対一写像をつくるよりも、おもしろおかしいディテールを語ることが好まれる。そして、言葉を重ねれば重ねるほど、それは瑣末で中心からはずれたものになっていく。そのように末節を大量にちりばめまわりくどくした表現と、それらの中心にあってほのめかされるにとどまる動機とについては、少女革命ウテナのメイキングで幾原邦彦/榎戸祥司が触れている(『薔薇の刻印』)。



[om] 語るものとそもそもの動因

 これは美術で写実/自然主義バロックになっていく過程と同じ理屈だ。自然の写実だけで面白がれた時代が徐々に終わっていき、ディフォルメと強調の度合いが増していって、かなりグロテスクをきわめたあたりで、またそれも飽きられて写実に戻る。この過程は人間が飽きることによる頻度依存効果によって起きる。

 表現者は常に、目新しくて気が利いていることと、瑣末で狭い範囲の視聴者にしか届かないこととを、トレードオフしなくてはならない。そこをどうにか折り合わせながら磨いた一石をそのジャンルに積み加えていくのが、表現者の仕事である*dd。このトレードオフはかなり複雑で、運と才能と鰯の頭しだいでうまいこと両立させうる。言い換えると人間が悩み考えるに足る熱い課題である*sh



[dd] 一石が積み加えられていく

 この一石一石自体が頻度を徐々に厳しくしていきそのジャンルをバロック方向に進ませるのに対して、現実世界の変転は新たな題材を提供して頻度を下げ、それを少し後退させる。たとえば、携帯電話について語ることは近年からのみ可能だ。また、新たな視聴者が供給され、古株が去っていくことによる効果も後退方向にかかる。

 全体としては厳しさのほうが優ると思う。

 この過程は新たに切り拓かれたジャンル、表現手段ではゼロからはじまると考えてもよいだろう。



[sh] 人間が考えるに足る

 人間が考える、といっても、その考えは誕生から20代前半までに形成される脳神経系の構造に拠る。この構造による制約を重視して出力幅を狭く見積もることもできる。ロマンチックに言うと「わたしたちは皆それぞれ、ひとつの歌しか歌えない。誰でもその自分の歌を強く歌うしかない」(『小説道場』栗本薫)みたいになる。表現者の座標を固定して考えれば、そのジャンルでのその時点での最適のトレードオフ具合というスポットが移ろって、いっときその人にあたり、また去るのだ、とみなすこともできる。

spcateg文章[文章]